意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

友達に株式会社の考えを持ち込んでも仕方ない

私の妻の友達で犬好きの人がいて、その人はそもそもそんなに犬は好きではなかった。しかし実家では犬だか猫だかを飼っていた(私はどちらだか忘れた)から、それなりに好きだったのかもしれぬ。元は人間のほうが好きだったから結婚をし、自分の実家の敷地内に家を建て、そこで夫と生活を始めた。そこは私の実家の近所であり、私の小学時代の通学路の途中であり、私の通学路の風景は変わった。しかし変わったのはそこだけの話ではなく、随分と家が増えた。堆肥が臭くて仕方なかった通りぞいにも小綺麗な家が立った。そこに住む人は「新住民」と呼ばれ、かつて私たちが
「くせえ、くせえ」
と大騒ぎしながら通り過ぎたことなど知らない。新住民は、ゴミ捨て場の掃除当番とか、そういうのもやりたがらなかった。堆肥の中には実はカブト虫の幼虫がうようよいて、実は宝の山だったが、私はどちらかと言えば成虫のほうに興味があったから、そこに手をつっこむことはなかった。そういうのも、すべてつぶされてしまったのだろう。

妻は友達が犬を飼い出したとたん、友達が冷たくなったという。それは犬を飼う人はやはり犬好きの人と仲良くなる傾向があり、友達はインスタやツイッターを駆使しながらグループを形成し、山中湖等に出かけた。そこに日本一のドッグランがあるらしい。私はドッグランには何度か行ったことがあるが、興味のない人からしたら、ほこりっぽい、ただの空き地である。

だから生きていれば趣味趣向は変わってくるし、その影響で距離が縮まったり広がったりするのは仕方ないんだよ、と私はしたり顔で妻に語った。他人ごとだからなんとでも言えるのである。友達夫婦には子供がおらず、私たちにはいたから、そういう部分で先に寂しさを感じたのは、むしろ向こうなのだ、とも言った。とにかく感情的にならず、見守っていれば、また近づく日もくるかもしれない。私は神様や予言者の類ではないから、未来のことはわからないが、と付け加えた。ちなみに義妹は犬を飼っている上に子供も産まれたから、なかなかの欲張り者である。

翻って私はどうかと言えば、冒頭のポンコつっこさんの記事を読んで考えたのだが、私は三十歳を過ぎて友達全般に冷たくなった。だからもしかしたら、私に対してがっかりしたり、距離を感じた人もいるかもしれない。私は友達と遊ぶときはだいたいいつも自分が中心になって声をかけたり幹事をしたりしていたが、あるときからそういうのが理不尽に感じ、また、周りもそれが当たり前だと思っている節もあるから、いよいよ嫌になってきた。私の役を誰かに代わって欲しいと頼んだが、誰もひきうけてくれる人はいなかった。

同時に私がなにか企画をしたときに誰かがなかなか返事をしなかったり、また、当日予定外の行動をとったりするとそれが許せなく、さすがに当人を目の前に咎めたりしないが、後で妻にその友人がいかにダメな人間であるかを、さんざん言い聞かせたりした。私の周りは無能な人ばかりになってしまった。

私も薄々自分がおかしいことに気づいていた。どうして遊びに対してこんなに神経質になってしまうのか。よく「遊びも真面目に、遊びこそ真剣に」という主張を見かけ、私もそれに同意するぶぶんもあったから、それが悪いほうに作用してしまったのか。あとは子供も大きくなったから、大きくなればひとりの人間と同じだから人と会っている時間が増え、全体的な余裕がなくなったのかもしれない。私は昔からとにかく人と会うだけで疲れるのだ。とにかく私は友達とはだんだんと疎遠になり、たまに会って出かけるときなどは、半年とか3ヶ月スパンで計画を立て、よく自分の気持ちを整えるように、苛々しないように気を付けた。

もちろんしょっちゅうこんな風にシリアスに考えているわけではなく、書いた私もびっくりしているくらいなのだが。

それで昨日も取り上げたが内田樹の「街場のメディア論(光文社新書)」の中に、
「私たちは生まれたときから株式会社的なものの考え方にしか触れていない」
という旨のことが書かれていて、それはブログにも似たことが書いてあったから、興味のある方はどうぞ。内田樹は、話のきっかけとして先日の大阪の選挙のことを取り上げていて、つまり選挙のやり方が株式会社的になっていて、それはおかしい、ということだった。私はなるほど、と思った。私は結構気軽に「資本主義の限界」とか口にするが、実は資本主義しか身を持って体験したことがない。だから「限界」という考えそのものも、資本主義的なのかもしれない。それでここまで読んだ人も、友達関係に効率とか良影響とか考慮するのはおかしいという私の主張に気づいたと思う。私は端からそんなことを考えていたのだ。

そういえば世の中の成功者の言葉に、
「成功したければ、友達付き合いをやめなさい」
というのがあって、これは自分と同レベルの人とつるんでも自分の成長は望めないから、とっとと絶交して、もっとレベルの高い人とつき合いなさいよ、という主旨だった。私の友達の中にも社長にそう言われたが、自分は友達も大事にしたい、と言っていた人がいて、私はずいぶん虫の良い話だな、と思った。だけれどもこの自分よりレベルの高い人と付き合う、というのは逆ネズミ講みたいで、結局最後は誰とも付き合えなくなって、いちばんレベルの高い人は損ばかりしてしまう。まあそういう人はがっぽり儲けているから(そこが逆ネズミ講の、「逆」たるゆえんなのである)いいのだろうが。そして友達付き合いが、勝ち残るための足枷となるのは、理にかなっていて正しい。

私はつまり表面上では
「その社長は馬鹿だな、君はそんな独裁者みたいな人のところで働いて不幸だな」
と、鼻で笑っていたが、裏ではそれを理で打ち負かすことができず、いつのまにかその考え方の信奉者になっていたのではないか。