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深沢七郎はミニマリストか


仕事が辛い人に、どうしても読んでほしい!ミニマリストの私が伝えたい当ブログの記事5選。 - ミニマリストは世界を変える!

昨日たまたま目に入ったこちらのブログを読んで、首肯するぶぶんがいくつかあった。だから私はミニマリストなのかもしれない。同意したぶぶんは、まずは老後はお金の不安よりもまずは健康の不安の解消が第一、というぶぶんが気に入った。ちょうど少し前に私も老後の不安と聞いて、まずお金のことを思い浮かべるのは、なんらかの洗脳を受けていると考えた方がいい、と書いたところだった。それは私の記憶が確かなら、元旦に書いた記事であった。私は、基本的にこのブログでは予約投稿はしないので、正真正銘元旦に書きながら考えたことであった。私は、お正月にお正月っぽいことをしないのがクールだ、と考える性質なのである。私はお正月に洗濯物をたたんだりする行為に幸せを感じるタイプなのである。

それと、仕事がしんどかったら全力で逃げるべきだ、という主張もその通りだと思った。私は仕事が休みの日などは部屋の掃除を行うが、そのときついつい熱中して、棚の上や引き出しの中の物を床に置いたまま一日を終えてしまうことがあり、実は妻などは典型的なそういうタイプで、引き出し内の卒アルとかに目がないタイプなのである。そうして、季節はずれの衣類などが、該当の季節まで畳の上に放置されるという年もあった。妻のやり方には妻の流儀やバックグラウンドがあるから口は出せないが、私がそういうことにわざとらしく神経を使えば、やがては妻も改めると思い、私が掃除の際に心がけているのは、帰りの燃料を考える、ということだった。帰りの燃料とは、現状回復、引き出し等を元どおりにする時間や体力や集中力を指し、それらを掃除を始めたらなるたけ早い時間に見積もり、念頭に置きながら作業をすることである。

私を以上の心がけを、掃除限定のものとして考えていたが、昨日の記事を読みながら、これは仕事にも拡張できるな、と思いついた。「全力で逃げる」というぶぶんにヒントを得た。つまり、全力で逃げるためには最低限逃げ切るだけの足腰は残しておかなければならない。具体的な方法は各自で考えるしかないが、私の場合は

1、同僚に情を持たず、会社や経営者の考えには常に反対意見を持ち続ける。

2、自分の限界を、かなり甘めに設定する。

だろうか。限界を甘めにするのは、成長しない、という意見もあるが、多くの経営者は従業員に対して限界を越えることを求めるようなので、甘めにしないとバランスが取れないのである。「限界を越えることを求める」は私の先入観かもしれないが、それなら尚良し、である。少なくとも経営者や上司は、私たちのお父さんやお母さんではないから私が病気になったり死んだりしても、へっちゃらなのだから、自分の身は自分で守らなければならない。安全確認と同じように、「守りすぎる」ということはないのである。

成長云々に関しては、私は成長にはあまり興味なく、今読んでいる深沢七郎「人間滅亡的人生案内」にも以下のように出ている。(と、私は深沢の回答の「ぼーっと一日を過ごしなさい」みたいな箇所を引用しようと思ったが、うっかり付箋を貼り忘れてしまい、わからなくなったので、違うところを引用します。最近付箋を部屋で見かけません)

毎日同じ仕事だと言いますが、毎日同じ仕事だからいいのです。仕事は食うためのものだから給料さえ貰えばいいのです。仕事はその人の人生に何の関係もないのです。仕事はめしを得る方法で、そのほかは考えたいことを考え、したいことをすればいいので、目下、貴男は平和な日を得ている筈だと思います。

(p.148 河出文庫


このように読んでみると、深沢七郎ミニマリストかしら、と思えてくる。深沢七郎は「人間滅亡教」という団体を名乗っているので、もし今が深沢七郎の時代なら、ミニマリストとは呼ばれずに人間滅亡教と呼ばれるのかもしれない。

しかし上の引用部でもミニマリストではないぶぶんもあり、たぶん深沢七郎

「わたしはミニマリストではありませんよ」

と言いそうな気がする。そのぶぶん、とは「考えたいことを考え、したいことをすればいい」のところで、ここの「したいこと」にはお金儲けや散財なども含まれる。

だから結局は、その人のしたいようにすればいい、となるのだが、必要以上に持たない側の肩入れをしてしまうのは何故だろう。