意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

片目

片目になる夢を見た。正確には片目になっている夢を見た。なんて独創的な夢だろうと思ったが、そうではなく、たんに昨夜見た映画の主人公が片目だったというだけの話でしかもラストには片目は両目に戻った。なぜそんなことが可能なのかというと、彼は神だったからである。しかしこの展開はもしかしたら片目が不自由な人を落胆させたのではないかと思った。美女と野獣を見た宮崎駿が、ラストで野獣が好青年に戻るのを見て
「何か違う」
と思って自分の映画では野獣は野獣のままとした、というのをどこかで読んだが、あれはどの話だったっけ? と同じ理屈である。同じとは片目→両目である。神と人間が共闘して古代エジプトナイル川が舞台であったがタイトルはわからない。人間側の主人公の吹き替えをキスマイの玉森くんがやっていたから子供が映画館で見、さらにレンタルが開始されると借りてきて見た。私はさして興味もなかったから適当なところで切り上げることもできたが、結局最後まで見た。子供は映画館では4Dで見たと言った。私は砂漠の風景を見ながら、「ジーザス・クライスト・スーパースター」の映画を思い出した。大変暑い中撮影したと語っていた。ずっと後になって保坂和志「未明の闘争」の中で聖書のペテロがイエスを三回「知らない」というシーンが繰り返し出てきて、しかしそれは冬で焚き火にあたるペテロに心ない人が「イエスの取り巻きだろ?」と訊いてきて私は無茶言うな、と思った。私の知っているかのシーンは真夏でペテロとマリアが井戸の水を汲みに来たところで質問されるのである。だから焚き火にあたるなんてありえないが、そっちが正解なのだろう。ちなみにジーザス・クライスト・スーパースターアメリカの映画なので、ペテロはピーターと呼ばれ、「アイ・ドン・ノー・ヒム!」と叫ぶ。

そんなことをぼんやり思いながら見ると映画もそれなりに見れた。私は神側のヒロインが萬田久子に似ていると思って家族に伝えたらじゃあ日本版を作るなら他は誰かみたいな話になって、しかしこういうのは美男美女ばかりでる映画では考えがいがない。強いて言うなら人間側のヒロインは世界の果てまで行ってQで一時期出川哲朗が海外でロケしたときにくっついてきた女の子に似ていると思った。その女の子を初めて見たときも私が二十歳くらいのときによくテレビに出ていた、あとで年齢をごまかしていたタレントに似ていた。ここまでまともにフルネームで出てきた人が出川哲朗だけだなんて。

あと映画には燃えるジジイというのが出てきて、私からするとこの映画はひたすらジジイが燃えるという内容なのだが、燃えると言っても燃やされるのではなく、ジジイ自体が燃える、酸素と水素で言えば水素のようなかんじだ。それで燃えるジジイは日本の俳優なら誰? と言ったら妻が柄本明とか言って、キムタクのドラマ見過ぎだ馬鹿やろーと思ったが他はタモリとかとにかく近いの年齢だけみたいなかんじになって、私としてもじゃあ山城新伍? とか思ったりしたが全然違うから、高島ファミリーの誰かに適当にやらせりゃそれっぽくなるだろう、と思う。

被害妄想

集約をとっているアンケートの集まりが悪いので電話で
「ギリギリまで出すな、て口裏合わせてんじゃないですよね?」
と言ったら、
「昼ドラの見すぎですよ」
と笑われた。ちゃんと仕事してますよ、と反論しようと思ったが、そういえば前の職場は休憩室にテレビがあって、よく「笑っていいとも」や、「ごきげんよう」を見たりした。どうして「ごきげんよう」が見られるかというと、昼12時ぴったりには工場の連中が殺到するから、私たちは昼を遅らせていたのだ。そのため笑っていいともは一瞬で、ごきげんようのほうがよく見れた。しかしテレビに音はなく、私たちも煙草をふかしながらケータイをいじった。私は煙草も吸わないしケータイもそんなにいじりたくない(スマホはまだ持っていなかった)ので、あまりこのグループにはいたくなかった。あるとき三時休憩を勝手にとっていたら怒られて、どうしても休みたいなら昼を削れと言われ、それでようやくグループと距離をとることができた。私としては煙草を吸う連中はしょっちゅう喫煙室にこもるから、私だってお茶したいと思い、わざわざ午後の紅茶だのを買って禁煙室の窓際の席で文庫本を読んだのだ。禁煙室は入り口のそばにでかいゴミ箱が置いてあるから部屋全体がうっすら臭く、冷房の効きもイマイチだったがそこには文句を言わなかったので、まさか喫煙者に注意されるとは思わなかった。休みたければ煙草を吸えということか、そう考えると彼らは寿命を切り売りして自由な時間を手にしている、ともとらえられるが、私は煙草と健康を結びつけるのが好きではない。私は主張こそしなかったが、相手は私の言いたいことを理解したようで、最終的には「休まないで」とお願いされ、私としても子供っぽいところがあった。もっと目立たなくサボるとか、やり方はいくらでもあったはずだ。とても大きい会社で旧社屋みたいなゾーンがあってそこにも休憩室があり、誰も来ないのに自動販売機は稼働していて私は驚いた。同じようにさぼったり、内緒の話をしに来る人が大勢いたのだろう。休憩室ひとつとっても、色んなタイプの会社がある。どこの会社でも共通することは、必ずひとりは突然キレ出すか、あるいは突然キレた伝説を持つ人がいる。

エレベーターに閉じ込められる夢

故障とかそんなのではなく、行きたい階に近づくと一緒に乗っている誰かが急に方向転換をして、私を遠ざけてしまう。昇っていたものが急に降り出したりして私は
「そんな馬鹿な」
と思う。そもそも私が何階に向かっているのか不明だが。そもそも私はエレベーターが少し苦手で、降りるときの降ろされているかんじに馴染めず毎回
「死ぬかもな」
なんて思う。年明けに茨城のとあるタワーに行き、そこにはたくさんの人がいるからとにかく塔がぽっきりいくのではないかと不安だった。エレベーターにたくさんの人が乗り、私が足を乗せると
「ブー」
と言った。訛りのきついヤンキーみたいな複数の人が、下で先輩に出し抜けに集合をかけられたらしく、青い顔をしながら並んでいる人を押しのけてエレベーターに乗り込んだ。そのせいで私はもう一回待たなければならなかった。ドアが閉まると太った女が
「わたし、ああいうの許せないんだよね」
と連れにつぶやいた。私はここまでがセットだな、と思った。私としても
「順番まもろうよ」
と注意したい気もあったが、
「うっせー、おっさん」
の、おっさんのぶぶんに傷つきそうで怖くて言えなかった。もちろん先輩も怖い。待ち伏せとかされたら最悪だ。しかし子連れだから許してくれるだろうか。そんなときのために交番の位置などを把握しておきたかったが、馴れない土地で、しかも夜中だからどこがどうだか見当もつかなかった。私たちは初日の出を見に来ていた。私は日の出よりも眼下にどしどしやってくる車の駐車の腕前を品評を熱心にした。日は当然のように昇り、私はそこになんの影響もしなかった。

今朝、とんでもない暴走車が私の車を抜き去り、抜かれた私は最初はやや恥ずかしい気もしたが、その後車の行き先を見ると、対向車お構いなしに対向車線に飛び出し、前の車を次々に追い抜いていった。私はマジでぶつかるんじゃないかと冷や冷やした。もしそうなったら、救急車や警察を呼ぼうと思った。会社には後から連絡しようと思った。誰かからかかってきたら、
「今それどころじゃない」
と怒鳴ろうと思った。怒っている人はまるですべての権力が怒っている限り自分に集中すると思っている節があり、完全部外者の私はもらい事故のような形で何度怒られたことか。

短歌の自由201701号

題詠 5首

1. 編

米米は作詞作曲米米で、編曲のみが金子や単数


2. かがみ(鏡、鑑も可)

鑑真がインドで生まれガンジーです。汝を許す。社会で習った。


3. もち

米米が好きだと言って、わたくしはもちもちクラブを作った中学


4. 立

怪我隠し、立花くんたらユース狙い、青葉のいびきに眠れず二重苦


5. 草

ほうれん草 ほうは放置でれんは憐憫、草は草もちくいてー(アンコ)

 


テーマ詠

テーマ「初」

尿酸値年明けすぐの健診で上がった株価もトランプ三昧


Googleの本を今年に読んでます。人物多くて「戦争と平和」?


謄本の続柄ばかり気にする妻 娘は夏に南半球

死の相対化のチャンス

三田文学保坂和志特集で、岡英里奈という小説家が、保坂和志と話したときに
「我々も何百年後の人からしたら、江戸時代みたいに「明治維新時代の人」みたく言われるんだろう」
みたいなことを言われた、ということを書いていて、そう考えると死ぬこともそれほど怖くない気がした。例えば江戸末期に暮らしていた人の関ヶ原の戦いの感覚は、私における日清戦争みたいなものだろうと思ったし、厳密に考えるともっと前だ。私の祖父の祖父は日露戦争で死に、それは子供の頃に聞かされたことだったからもうどの戦争だか、果たして戦争だったかもはっきり思い出せなくなっていたが、少し前、去年の夏頃に子供と小学校の近くの神社に行ったら石碑が建っていて裏側に戦没者として祖父の祖父の名前が掘られていた。それは日清戦争から太平洋戦争までの、村の出身者の戦没者の名簿だった。小さな村だったので、石一枚におさまったのである。村は合併してほどほどの自治体になった。私が生まれるずっと前の話である。私は石碑のある神社には小学校とか中学校とかで何度も行き、夜中に肝試しに行ったこともあったが、そこに身内の名前があるなんて全く知らなかった。石碑は比較的新しい石の階段の上に建っていて、小学校の授業で行ったときに、その階段を下った。階段の段の端は斜めになっているから、そこに両足を乗せると下に滑るから、
エスカレーター」
とかいいながら滑り降りた。しかし実際は石がごつごつしているから、滑るのはほんの少しで、あとは歩いた。そのときの担任は私のクラスをもって定年退職したから、もうとっくに死んだだろう。と思ったが仮に生きていてもまだ90歳とかだから、意外と生きていても普通だった。もう私のほうが数段賢いだろう。このおばあさんみたいな担任は私が賢い人だと思っていて、たまに私用に難しい算数の問題などを出してくれたが、私はそういう“私用の問題“のプレッシャーに負けて、いつも解くことができなかった。だから私は平均的な小学生だった。

伊集院光がいいこと言う

すこし間が開いたがようやく「100分で名著」のレヴィ・ストロースの第一回を見ることができた。以前も一度見たが、そのときはとちゅうで寝てしまったから見てないのと同じだった。録画したものを見た。録画の一覧にはまだ誰も見ていないものには「New!」の表示が出るが一度でも再生すると表示は消えるから、家族の誰かに消されるんじゃないかと私は思っていたが消えていなかった。私の家の録画機器のハードディスク容量がどのくらいなのかは知らないが、あんなものはいくらあっても同じことでもうほぼ満杯である。我が家の場合キスマイの番組は基本消さないからもう自由に録画できる領域は限られている。そうすると私が見たい番組なんて他の人は誰も見たくないのだから、何かの拍子に消されてしまう可能性が高いのである。

しかし私が「消されたらそれはそれでかまわない」というスタンスが功を奏すのか、私が録画した番組はだいたいそのまま残っている。消されたくない、と強く願えば願うほど消されてしまうのである。あるいは、ただでさえ他の家族と比べればほとんどテレビを見ない私が、これ以上テレビというものに絶望しないために、家族が気を遣ってくれているのかもしれない。しかし私はテレビのあの「管理されるかんじ」が好きになれないのである。インターネットが一般化され、ようやくテレビが好きでないことを表明しても変な目で見られなくなった。インターネットも好きになれない面もあるが、少なくともテレビほど「みんなが見ているから見なくちゃ」みたいなかんじがなく、あくまで主導権がこちら側にあるからいくらがマシだ。でもやっぱり「みなさんご存知の○○」みたいな話の振られ方をされると鬱陶しい。

インターネットのコメントの下品さを見ながらこれは何かに似てるなあと思ったら子供の頃さんざん食卓で聞かされた父のボヤきだった。父は仕事や家庭にはボヤかなかったが、読売巨人軍に対してだけは言いたい放題であった。それと、世の中に対して悲観的なことを言うことがあり、この前会ったときも「トランプが大統領になって、第三次世界大戦が始まる」と私に話した。そういうのがいかにもネットっぽい。去年の後半から、ペナントレースの数字を追いかけるのが楽しく、それが発展してネットのテキスト速報や、コメントを見ていたら、その内容が父のぼやきそのもので、私は懐かしくて夢中で読みふけった。

話は戻るがレヴィ・ストロースのトーテムポールの話が出たときに伊集院光が日本の昔の店の暖簾を引き合いに出して、日本人も同じみたいな話に持って行ってするどいな、と思った。あるいは番組に言わされただけかもしれないが。しかし、「日本人も同じ」という言い回しはよく考えると欧米側に寄った言い方で、ほとんどの日本人は自分たちは欧米人だと思っているのかもしれないが、当の欧米人からしたら嘲笑ものなのかもしれない。

営業もバージョンアップする

ここのところまた不動産の営業の電話が増えた。いちいちぜんぶ出るわけじゃないからそうじゃない可能性もあるが、知らない番号に出て、
「不動産のオーナーになりませんか?」
と言われないことはまずない。昨年後半はかかってこなくなったが、年末近くからよくかかってくるようになった。時間はまちまちで午後に多い。私の個人情報が新しいデータベースに登録されたのか。そういえば話の中で私はよく「磯崎さん」と間違われるので、私の名前は磯崎さんのあとに登録されているのか。私は磯崎さんではない。最初から磯崎と呼ばれれば「違います」と言えるが、最初はちゃんと私の名前を呼ぶから不思議だ。旗色が悪くなったら名前を間違えろと指導されているのだろうか。

今まで何度もかかってきて最初の頃は「もっと裕福な人にオススメしてください」と言ったがあまり通用しないし、裕福な人の迷惑になるのも悪いので、やめた。そのうちに「還付、還付」とうるさいから還付されて嬉しいほど税金払ってないと言って年収を言うと「ああ...」と気の毒がられて向こうから引き下がった。そのうちにそれが通用しなくなってくると今度は「老後の不安」とか言うから、30年後に買い手も借り手もつくのかわからないし、補修だってしなきゃだし、そういうのを不安と言うんじゃないですか、と言ったらよく勉強してますね、と褒められた。しかし昨日の営業はそれでも引き下がらず、
「15年後に売って、今度はもっと良い物件を買えばいいんです」
なんて言う。こうやって文字にすると馬鹿も休み休み言えというかんじだが、リアルタイムで言葉を交わすとこちらの思考が追いつかなくて、流れが向こうに行ってしまう。最後は電話を切るなり私がキレるなり頭のおかしいふりをすればいいから私の優位は揺るがないが、それでも私は理屈で打ち負かし相手のほうから引き下がらせたい。そんな余計な美学が私自身もそうだが相手の時間も無駄にしてしまうのだが。

昨日の営業は話していくうちになかなか爽やかなところがあったので、話すこと自体はあまり苦痛ではなかった。新入りなんでと言っていたが(本当に新入りかどうかは疑わしい。私はこんな大きな、人生を左右する買い物の営業を新入りがするのか! と文句を言ったから本当に新入りかもしれない)もっとまともな就職先はなかったのか、と思ってしまうが、ないのだろう。