意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

夢に色はあるか

ネットで人々がカラーの夢を見るようになったのは、カラーテレビが登場してからだ、というのを読んで、私の夢に色がないことがわかった。というかわからない。私の夢は基本すじ道だけだ。こういうことが起こった、という記憶しか残らない。夢の中で私は私のままで、私が頭の中で話を考えている。と書くとちょっと違うが、昨日ちょうど休みで二度寝をしたら金縛りになって、それはいつもの金縛りの夢で以前それは明晰夢ですよと教えられ、明晰夢とは夢の中で夢と自覚する症状のことで、それじゃあどうせ動けないことだし空でも飛んでみようと思った。しかしうまくいかず、私の目の前には毛布の柄が広がるばかりだ。しかし視界以外は確かに空を飛んでいるような感覚があり、足や下腹などには空気をかんじる。だから私は目をつぶり、風景にかんしては自前の想像でカバーすることにした。次第にそれに夢中になって、いよいよ夢らしくなってきて、誰に会おうかと考えているうちに本当に目が覚めた。私はいつもそういうときには現実の揺るがなさにおののき、しばらく身動きが取れないのである。

「夢らしく」と書いたが、それにしたってはっきりとした色はなかった。白黒とも違った。おそらく初めから風景などないのだ。私は以前のブログの記事で「夢は文字か」と書いたことがあり、それは昼間の生活が体験を記憶に置き換える作業なのに対し、寝ているときはダイレクトに記憶になるから、もはや何をしても「あらすじ」なのだ。昔の人の夢は白黒だった、というのを読んだとき、私と他の人が定義する夢とはだいぶ違ったものだと悟った。しかし一方で金縛りのときの布団の色はきちんと朝日を浴びたフルカラーであるから、私にとって夢とはただの布団なのかもしれない。

森尾由美

森尾由美万年カレンダーというのがあって、別に森尾由美万年カレンダーを制作したわけではないが、固い紙に円がついていて、それをぐるぐる回すとカレンダーの曜日が動いて何年何月のカレンダーができる仕組みになっていた。よくよく思い出してみるとそれは裏側の設定で、表側は世界時計となっていた。円の中に世界地図があって、どこかの都市の時刻を合わせると他の都市は何時になるのかわかる仕組みになっていた。その円の外側にいかにもわくわくした表情の若い森尾由美が写っていたのである。森尾由美はノースリーブの服を着て、肩からポシェットを下げ、肌は日焼けして健康そうであった。

それはもともと父の部屋にあったもので、しかも何かのイベントでもらったのか複数枚所持していたので、私は一枚を無断で持ち出して、長い間自室の引き出しの中にしまっておいた。父の部屋と私の部屋は壁一枚隔てた隣同士だったので、森尾由美はそれほど移動したわけではなかった。私は当時は万年カレンダーはとても便利なものだと思っていたから大事にしていた。例えばそのカレンダーそのものは1989年とかそういうときに作られたものだが、その気になれば2015年とかの任意の日にちの曜日を把握することができたからその年がくるまでは古くならないだろうと思っていたのである。当時の私は、まさか2000年代がくるなんて思ってもみなかった。理屈ではやがてくるのはわかっていても、感覚としては1980年代と90年代が無限にループするだろうと思い、平成は永遠に一桁だと思っていた。何かのニュースに「平成7年頃には」みたいなフリップが出ていて、どうしてそんな未来の話をするのだろう、と不思議に思ったことを、今でもおぼえている。おそらく、その頃の時間の流れがいちばん遅かったのだ。

大人になると、あるいは人生のある地点にくると、人生そのものの見通しが立つようになる。万年カレンダーもやがて古くなり、どこかへ消えた。この前「クレイジー・ジャーニー」でフィジーだかどこかの原住民がその辺で拾ったスプーンやら白髪染めをリュックにしまって大事に持ち歩いており、森尾由美万年カレンダーも、私にとっては同じものだったのではないかと、ふと思った。しかし原住民は私の同年代か、もっと上であり、それでも彼らは人生を見通せていないのか、あるいは人類を見通せておらず、役に立たないものを大事にするのか。あるいは次元の問題なのか。

万年カレンダーを可能な限りの未来を表示させたときの感覚が懐かしい。確かそのカレンダーは、せいぜい15年くらい先までしか表示できなかったのではないか。するとそこにあったすべての日にちを、私は通り過ぎてしまったことになる。過去の私が未来を見ようとするとき、未来の私も過去を見ているのだろう。

金返せ

朝に少しドライブをして、知っている道を走ったが、久しぶりのところもあって、更地だったところに家が建ったり、逆もあったり、そうしてへこんだり出っ張ったりした空間に違和感をおぼえた。昔、私が通っていた中学の近くに古めの建物があって、表に全車輪がパンクした軽バンが停まっていて側面に黒のスプレーで
「金返せ」
と書いてあった。車のボディは銀色だった。消費者金融とか、カイジとかそういうのが流行った時期だったから、意味合いは理解した。もしかしたら、債権者側も、そういうドラマの影響で落書きしたのかもしれない。あるいは単なるイタズラだったのかもしれない。どちらにしろ学校の目と鼻の先にそんなものがあるのはいかがなものかと誰かが言いそうだが、「金返せ」はしばらくのあいだそこにあった。

その頃私はもうすでに中学生ではなく社会人で、車を運転するたびに「金返せ」を目にしていた。中学の頃にはまだ金は返せていたのだろうが、それ以前にそこは私の家とは逆方向だから通ったことのない道だった。すぐそばに関越道の高架があって、その向こうは未知の世界だった。もちろんその世界にも人は住んでいた。彼らは私の住んでいるところよりも勾配のきつい坂道に住んでいた。なぜそれがわかるのかと言うと、あるときその地域の住人を私の家に招待したときがあって、そのとき私の家でいちばん急な坂を案内し、登ったあとに相手を気遣ったら、
「言っちゃ悪いけど俺んちのほうの坂の方がぜんぜんきついよ」
と教えてもらったからである。そのとき私は少しは悔しさをかんじたのかもしれないが、どちらにせよそんな高低差のきつい地域に住むのは嫌だった。車の免許をとるとそっちのほうに行くことも多くなったが、車で通ると坂のきつさなどまったく頓着しなくなった。私の自慢の坂は、その当時未舗装で地面をえぐったような道で両サイドから樹木の根が露出していて昼間でも薄暗く、竹藪もあり、キジが住んでいた。幼い頃は怖かった。小学二年の時に「私の宝物」というテーマで作文を書くときに私には当時(今も)宝物などなかったから、「宝物は竹藪に隠してある」とデタラメ書いたら市の文集に選ばれて焦った。

年上

所用で子供の学校へ行き、担任の先生が年上か年下かでふだん子供と妻が議論しているが私は年上と判断した。女である。妻は彼女の顎にばかり注目していた。学校へ行くには駐車場に車を停め、そこから少し歩かなければならない。その道は舗装がされておらず、以前に行ったときには雨上がりでぬかるんでいて、靴が汚れて私は不愉快だった。そのあと舗装されている道に出るが細い道で、車がくるとそれまで2人並んで歩いていても、軍隊のように縦長に歩かなければならず、本当にこれが私立高校かと思う。私立らしさを感じるのは校長のお辞儀の角度くらいである。とはいうものの、私も妻も公立出だから、本当の意味での「私立らしさ」なんてわからなかった。学校の話をすると妻がすぐに「わたしには学がなくて」みたいなことを言い出すから私は飽き飽きした。過去に戻るならいつからみたいな話もするが、私にすれば過去なんてたくさんで、やり直したところで、またあのときのようにうまくやれる自信はない。旅行のように日帰りで過去にいくならまだしも、またやるのはちょっとうんざりだ。しかしもう少し年をとったら、そんなことをかんがえるようになるのだろうか。年明けの健康診断で視力を測ったら看護婦に視力の良さに驚かれたが、負け惜しみなのか彼女はその後に
「老眼になるの早そう」
と付け加えた。確かに彼女はメガネをかけ、私よりもずっと年上だった。見えなくなるものが、徐々に増えるのだろう。

片目

片目になる夢を見た。正確には片目になっている夢を見た。なんて独創的な夢だろうと思ったが、そうではなく、たんに昨夜見た映画の主人公が片目だったというだけの話でしかもラストには片目は両目に戻った。なぜそんなことが可能なのかというと、彼は神だったからである。しかしこの展開はもしかしたら片目が不自由な人を落胆させたのではないかと思った。美女と野獣を見た宮崎駿が、ラストで野獣が好青年に戻るのを見て
「何か違う」
と思って自分の映画では野獣は野獣のままとした、というのをどこかで読んだが、あれはどの話だったっけ? と同じ理屈である。同じとは片目→両目である。神と人間が共闘して古代エジプトナイル川が舞台であったがタイトルはわからない。人間側の主人公の吹き替えをキスマイの玉森くんがやっていたから子供が映画館で見、さらにレンタルが開始されると借りてきて見た。私はさして興味もなかったから適当なところで切り上げることもできたが、結局最後まで見た。子供は映画館では4Dで見たと言った。私は砂漠の風景を見ながら、「ジーザス・クライスト・スーパースター」の映画を思い出した。大変暑い中撮影したと語っていた。ずっと後になって保坂和志「未明の闘争」の中で聖書のペテロがイエスを三回「知らない」というシーンが繰り返し出てきて、しかしそれは冬で焚き火にあたるペテロに心ない人が「イエスの取り巻きだろ?」と訊いてきて私は無茶言うな、と思った。私の知っているかのシーンは真夏でペテロとマリアが井戸の水を汲みに来たところで質問されるのである。だから焚き火にあたるなんてありえないが、そっちが正解なのだろう。ちなみにジーザス・クライスト・スーパースターアメリカの映画なので、ペテロはピーターと呼ばれ、「アイ・ドン・ノー・ヒム!」と叫ぶ。

そんなことをぼんやり思いながら見ると映画もそれなりに見れた。私は神側のヒロインが萬田久子に似ていると思って家族に伝えたらじゃあ日本版を作るなら他は誰かみたいな話になって、しかしこういうのは美男美女ばかりでる映画では考えがいがない。強いて言うなら人間側のヒロインは世界の果てまで行ってQで一時期出川哲朗が海外でロケしたときにくっついてきた女の子に似ていると思った。その女の子を初めて見たときも私が二十歳くらいのときによくテレビに出ていた、あとで年齢をごまかしていたタレントに似ていた。ここまでまともにフルネームで出てきた人が出川哲朗だけだなんて。

あと映画には燃えるジジイというのが出てきて、私からするとこの映画はひたすらジジイが燃えるという内容なのだが、燃えると言っても燃やされるのではなく、ジジイ自体が燃える、酸素と水素で言えば水素のようなかんじだ。それで燃えるジジイは日本の俳優なら誰? と言ったら妻が柄本明とか言って、キムタクのドラマ見過ぎだ馬鹿やろーと思ったが他はタモリとかとにかく近いの年齢だけみたいなかんじになって、私としてもじゃあ山城新伍? とか思ったりしたが全然違うから、高島ファミリーの誰かに適当にやらせりゃそれっぽくなるだろう、と思う。

被害妄想

集約をとっているアンケートの集まりが悪いので電話で
「ギリギリまで出すな、て口裏合わせてんじゃないですよね?」
と言ったら、
「昼ドラの見すぎですよ」
と笑われた。ちゃんと仕事してますよ、と反論しようと思ったが、そういえば前の職場は休憩室にテレビがあって、よく「笑っていいとも」や、「ごきげんよう」を見たりした。どうして「ごきげんよう」が見られるかというと、昼12時ぴったりには工場の連中が殺到するから、私たちは昼を遅らせていたのだ。そのため笑っていいともは一瞬で、ごきげんようのほうがよく見れた。しかしテレビに音はなく、私たちも煙草をふかしながらケータイをいじった。私は煙草も吸わないしケータイもそんなにいじりたくない(スマホはまだ持っていなかった)ので、あまりこのグループにはいたくなかった。あるとき三時休憩を勝手にとっていたら怒られて、どうしても休みたいなら昼を削れと言われ、それでようやくグループと距離をとることができた。私としては煙草を吸う連中はしょっちゅう喫煙室にこもるから、私だってお茶したいと思い、わざわざ午後の紅茶だのを買って禁煙室の窓際の席で文庫本を読んだのだ。禁煙室は入り口のそばにでかいゴミ箱が置いてあるから部屋全体がうっすら臭く、冷房の効きもイマイチだったがそこには文句を言わなかったので、まさか喫煙者に注意されるとは思わなかった。休みたければ煙草を吸えということか、そう考えると彼らは寿命を切り売りして自由な時間を手にしている、ともとらえられるが、私は煙草と健康を結びつけるのが好きではない。私は主張こそしなかったが、相手は私の言いたいことを理解したようで、最終的には「休まないで」とお願いされ、私としても子供っぽいところがあった。もっと目立たなくサボるとか、やり方はいくらでもあったはずだ。とても大きい会社で旧社屋みたいなゾーンがあってそこにも休憩室があり、誰も来ないのに自動販売機は稼働していて私は驚いた。同じようにさぼったり、内緒の話をしに来る人が大勢いたのだろう。休憩室ひとつとっても、色んなタイプの会社がある。どこの会社でも共通することは、必ずひとりは突然キレ出すか、あるいは突然キレた伝説を持つ人がいる。

エレベーターに閉じ込められる夢

故障とかそんなのではなく、行きたい階に近づくと一緒に乗っている誰かが急に方向転換をして、私を遠ざけてしまう。昇っていたものが急に降り出したりして私は
「そんな馬鹿な」
と思う。そもそも私が何階に向かっているのか不明だが。そもそも私はエレベーターが少し苦手で、降りるときの降ろされているかんじに馴染めず毎回
「死ぬかもな」
なんて思う。年明けに茨城のとあるタワーに行き、そこにはたくさんの人がいるからとにかく塔がぽっきりいくのではないかと不安だった。エレベーターにたくさんの人が乗り、私が足を乗せると
「ブー」
と言った。訛りのきついヤンキーみたいな複数の人が、下で先輩に出し抜けに集合をかけられたらしく、青い顔をしながら並んでいる人を押しのけてエレベーターに乗り込んだ。そのせいで私はもう一回待たなければならなかった。ドアが閉まると太った女が
「わたし、ああいうの許せないんだよね」
と連れにつぶやいた。私はここまでがセットだな、と思った。私としても
「順番まもろうよ」
と注意したい気もあったが、
「うっせー、おっさん」
の、おっさんのぶぶんに傷つきそうで怖くて言えなかった。もちろん先輩も怖い。待ち伏せとかされたら最悪だ。しかし子連れだから許してくれるだろうか。そんなときのために交番の位置などを把握しておきたかったが、馴れない土地で、しかも夜中だからどこがどうだか見当もつかなかった。私たちは初日の出を見に来ていた。私は日の出よりも眼下にどしどしやってくる車の駐車の腕前を品評を熱心にした。日は当然のように昇り、私はそこになんの影響もしなかった。

今朝、とんでもない暴走車が私の車を抜き去り、抜かれた私は最初はやや恥ずかしい気もしたが、その後車の行き先を見ると、対向車お構いなしに対向車線に飛び出し、前の車を次々に追い抜いていった。私はマジでぶつかるんじゃないかと冷や冷やした。もしそうなったら、救急車や警察を呼ぼうと思った。会社には後から連絡しようと思った。誰かからかかってきたら、
「今それどころじゃない」
と怒鳴ろうと思った。怒っている人はまるですべての権力が怒っている限り自分に集中すると思っている節があり、完全部外者の私はもらい事故のような形で何度怒られたことか。