意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

よく寝た

本を読むか寝るかの一日だった とちゅう耳鼻科に行って薬をもらった 昼前に行ったがおどろくほど空いていた もっと早い時間に行くつもりだったが子供を送り出した後二度寝した 昨晩胃が痛くてあまり寝れなかったのである 家に帰って昼飯を食べまた寝た 合間に本を読んだがあまり楽しくもなかった 休みが2日続いてすっかり仕事が遠くなった 一昨日は後光の差した人と話をした 単にその人がブラインドの前に立っていたからであった 以前は建築関係の営業をしていたという 「だからうまいんですね」と私は手をアヒルのくちばしみたいなジェスチャーをした 喋りという意味である 最近では私も喋りがうまいといわれるようになってきた それは単に手を動かすよりも口を動かすほうがコスパがいいからそれにシフトしただけの話だった

久しぶりに公衆浴場へ行った

私の家族は私以外女なので風呂屋に行くとひとりになるから好きだ 私以外は長風呂なので出てからもひとりなので気楽だ。しかし風呂そのものは退屈でもサウナと水風呂を往復するのは好きなのでほどほどにしないの出てからの時間が短くなってしまう 短いから何が悪いわけでもないが


私は結婚するまで銭湯はほとんど行ったことがなくて最初は20分くらいで飽きてしまい難儀した 出てから休憩室にいてもなんとなく居心地が悪かった 場所によっては座敷にステージがあって年寄りのカラオケ大会になっていた だんだんと他人のチンコを眺めながらぼんやりすることができるようになってからいくらか時間をつぶせるようになった 風呂場では何を考えていてもとりとめないのである 親子や友達同士が入ってくると真面目な話をしていることが多いがよくそんなところで話ができると思う 大学生くらいの若い人の集団は水風呂が冷たいときゃっきゃしていて鬱陶しい


今日は妙に派手なタオルを持っている人がいてそれを肩にかけて歩くから二回くらい刺青を入れているように見えた また別の人は頭に乗せたタオルの洗濯のタグが側頭部についていてぱっと見円形脱毛症の人のようだった 

卒業式

卒業式で周りが感極まって泣いているのに自分は泣けず「私、何か大事なものが欠けている」と感じている人達を想い、描いた漫画に共感や思い出の数々 - Togetter

卒業式で泣く意味が私にはわからなかったがそういえば私は幼い頃すぐに泣く性分でそれが恥ずかしくて何とか泣かずに済ませまいかとよく考えていた しかし今になって思うと一体何で泣いていたのかよく思い出せなくなってしまった 覚えているのは東京の母方の祖母の家に数日泊まって帰るときに寂しくて泣いたことだ あと子供会という行事で学年ごとに歌を発表するというので練習に行ったらその日私の学年は私しかいなくてひとりなのに人前で歌わなければならず恥ずかしくて泣いた 上級生のお兄さんとお姉さんが両脇について一緒に歌ったが尚のこと恥ずかしかった さらに私はそのお兄さんというのが嫌いだった 過去について思い出すとき恥ずかしいことを思い出すことが最近多い もうそれは遠い過去だからおそらくおぼえている人もいないし他愛のないことだがなんだか私は過去から逃げるように突っ走って生きているような気がする 不確定の未来に頭から突っ込んで耳と目を塞いでしまおうという魂胆なのである


祖母の家から帰るときには泣いて卒業式で泣かないのは不思議ではあるが不思議だというのは卒業したあと全く会わない人がほとんどなのである だから小学校卒業して別の中学行った後にまた友達になって遊ぶようになったりすると奇跡のようにかんじた それでも卒業式に寂しさをかんじないのはイベントというものに胡散臭さをかんじていたからではないか わざと別れの歌を歌ったり胸に花をつけたりそんなときに寂しさをかんじるなんて馬鹿みたいだ かんじるというのはもっと主体的な行為であるはずだ だから私は中学高校の卒業式の日はひとりで家まで帰ったのだ 小学校もひとりで学校を出たが2人追いかけてきた 3人で何を話しながら帰ったかはおぼえていないが他愛のない話だったに決まっている


大学の卒業式はわざとバイトを入れて出席すらしなかった 母は半ば呆れていたが大学には友達もいなかったし卒業式には単位がないのだからあえて行く理由もなかった コンビニでレジ打ちをしながら今日からフリーターかと感慨にふけるほうが余程卒業っぽかった 簡単に言えば私はお膳立てされたものが嫌いなのだった 

食べて帰るか帰ってから食べるか

私は食べながら帰るのが好きだ 帰るとは車を運転しながらパンやおにぎりを頬張るのが好きなのである 昔車で30分くらいのところにある学校に通っていたとき時間がなくて運転しながら食べていたら座ってゆっくり食べるよりも楽しいと思えるようになった さすがに三食移動しながら食べるのは嫌だが位置に一日1.2食くらいならいい気がする つまり一食と週に一度くらい二食するということである(土日除く)

明日納戸?

ここのところ気温が上下する それについて思うところもないが


トラックがバックするときにバックすることをアピールする音が鳴るじゃないですか? あれはライトを点灯すると消える仕組みらしい 確かに夜中に鳴らしたら迷惑とかあるのだろう てっきり法律とかで義務づけられているのかと思った 頭のおかしい人がうるさいと難癖をつけてくるとき用でもあるようだ 人は音に対してはどんどん神経質になるらしい 昔読んだドラムマガジンでドラマーの人が家でドラムを練習していたら隣の人にうるさいと言われもちろん防音設備のある部屋だったのだろうが注意をしていたがどんどんエスカレートして最後は普通の会話とか足音にも難癖をつけられるようになったという話を読んだ


私は一定の音で鳴り続けるのが苦手だ 冷蔵庫とか蛍光灯とか 概ねそれらは小さくなってきているから住みやすい世の中になった

ギブ&ギブ

夫婦仲を良くする秘訣、察してほしい気持ちは夫婦でイラつくだけ、自分の要求は直接伝えて - ブログあしみの

上記記事を読んで察してほしいのなら言えばいいのにとあったが言うのも面倒だと思った 言ったら今度は相手の言い分も聞かなければならない 相手はもっともらしいことを言ってくるのでこちらは論拠を示して納得をしてもらうところまで漕ぎつかなければならぬ 大抵は漕ぎつかないのである程度譲歩して(言わないこっちも悪いみたいな)関係は改善していくのだがこの課程が面倒だ そこまでするなら黙っていたい 私は基本的に非のない人間だと思っているのでこちらの非を認めるときは大抵ウソで認めるからウソをつくのがツラいのだ だからここ一番というとき以外はあまり主張しないよう気をつけているのである


そもそも私は「察してほしい」と思わないから引用元のケースには当てはまらないのかもしれない 妻からは「何を考えているのかわからない」と言われるし私も私の考えを察するのはかなり難しいだろうということは理解している 考えを伝えるときもあるがちゃんと伝わることは少ない 逆に相手の意図がわかってもわざと汲まないこともある


そんなことを考えながらふと少し前にNHKの「100分で名著」に「嫌われる勇気」の著者が出ていたときに「対人関係はギブ&ギブだ」と言っていたことを思い出した 正確に記すと女の司会者が「対人関係はギブ&テイクですよね?」と同意を求めると小さい声で「ギブ&ギブです」と否定するのである 小さい声なのは終始そうだった そのとき私は一体いつからギブ&テイクが普通なんだと思っていたのかと目が覚める思いがした 引用元のコメントを読むと多くの人はギブ&テイクに足を絡め取られているようにかんじる また家事に協力的でない夫にモヤモヤをかんじるのはまだまだ対人関係を理解していないが故である 結婚すること子供を持つことに否定的な論調があるが対人関係を理解するためにひたすら奉仕する相手を持てるというのはむしろ幸運なのである 何故ならのっけから赤の他人に奉仕するのはかなり難易度が高いからだ 配偶者なら恋愛感情とか子供なら血のつながりとかそういう言い訳にできるから腹をくくりやすいのである


私は結婚生活をしながら徐々に家事の領域を増やしてきてここのところはむしろ私のほうの作業量が多くなっているくらいだがようやく作業のたびに「ありがとう」と言われなくてほっとしているところだ 逆に私はよく礼を言って嫌な顔をされる

武器の売り買いで一日がおわる

ゼノブレイドというゲームをやっている ワンである 仲間が8人くらいに増えそれぞれの装備を整えなければならない 金は比較的あるが過去に買ったり敵が落としたものとかわんさかあるからその前に売らなければならぬ 売るときに間違って強いやつ売るともったいないからちゃんと吟味して装備しとかなければならぬ ×8である おまけに今立ち寄った町では
「ここの武器は少し弱いけど△△にはよく効くんだ」
なんてタレ込んできたヤツがいる 単に強い弱いだけの話でなくなって気が狂いそうだ 仕事の休憩中に売っていたらそれだけで休憩が終わった ジェムだの素材だの気が狂いそうである 同じ武器でもジェムのスロット数が違ったりするから気が狂いそうだ 冒険どころではない


オマケにキャラ同士のキズナというのがあってこれを上げないと達成できないイベントがあってわざわざ使いづらいキャラを出さなければならない だいたいたった8人なのに先発とリザーブがいるのが納得できない 大勢いるとRPGにならないというのならそろそろそこにイノベーションがほしい その前に装備をするという概念をなくしてほしい