意味をあたえる

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ラ・ガドゥー(ぬかるみ)

小学校五年から六年にかけて私は少林寺拳法を習っていて、少林寺拳法は白帯から始まる。白の次は黄色でその次は緑になる。ただしそれは子供用の帯の色で、中学生以上は初心者でも、白の次は茶である。小学生も緑の次は茶だ。茶の次は黒で、黒は有段者だ。

帯の色が変わるときの興奮を、今でも覚えている。正確に記すと、今書きながら思い出した。例えば黄色は八級と七級の色で、そうすると六級になるときは、七級になるときよりもずっと嬉しかった。新しい帯は紙の帯でまとめられていて、紙の帯はすぐに千切れて頼りない。帯の折り目が早く消えるよう、腰にぎゅっと巻きつけた。最終的に、五でやめたのか四でやめたのかは忘れた。

私は五年で始めたから比較的新参者で、周りには年下の先輩がたくさんいた。班が決められていて、通学班のように班長が先頭に立ち、副班長が最後尾になって、ストレッチなどを行う。ストレッチの後は、帯ごとに分かれて稽古をする。班長は私と同い年だったが、入ったときはすでに緑で、途中から茶色の帯になった。比較的人格者で、私には優しく接してくれた。背が低くて足の太い少年で、背が低く感じるのは、足の太さのせいかもしれない。

一方副班長はひょろっとして、私よりも年下だったが、たびたび私を見下した。おそらくひとつか二つ下で、仲良しのグループが3人くらいいて、彼らは私に横柄に接したが、私はその前年に学校でさんざんいじめられていたから、もうそんなのの相手はいちいちしなかったものの、やはりムカついた。帯が違うからバカにされると思い、進級試験を受ければ変わると期待したが、私が黄色になると彼らは残らず緑になった。

そのうちのひとりがある日、
「画王が笑った、ベリベリベリベリ、オーガ・オーガ・オー!」
と、雑巾掛けをしながら歌った。なかなかのスピードが出ていた。画王とは、どこのメーカーかは忘れたが、テレビのブランドで、画質がそれまでのテレビを覆す、まさに王様級の美しさ、という意味合いのネーミングだったと推測する。しかし、テレビの画面なんて、そう簡単にお試しができず、本当に美しいのかはわからず終いだったが、テレビCMは頻繁に流れ、バックに上記の歌がかかったのである。私の覚えていたので、
「ああ、画王の歌だ」
と思った。「ベリベリベリベリ」の部分でぐっと力を溜め、「画王!」のところで発散させるのである。

しかし、彼の歌は「画王」にはならず、「オーガ」になってしまっている。オーガでは全く違うものを指してしまうが、自分で口ずさんでみると、画王では全くリズムに乗れないのである。おかしいと思い、それで私の結論としては、最初を「オー・」で区切り、そこを「oh!」という感嘆句であると捉えた。そうすれば「画王!画王!」と続くことができるのである。

しかし、それは間違いであった。

あとからもう一度CMの歌をよく聞いてみると、「ベリベリベリベリ」の部分の「ベリ」は実は三回で、最後は「ガ」と言っていて、つまり、私たちが思っていたよりも早いタイミングで「画王!」と言い出し、さらに二回ではなく三回言っていたのである。もちろん私はそのことを雑巾掛けの彼には教えて上げなかった。

同じような例として、ジェーン・バーキンの「ラ・ガドゥー」という歌がある。こちらもふつうに聞くと、
「ドゥーラガ・ドゥーラガ・ドゥーラガドゥ/ ドゥーラガ・ドゥーラガ・ドゥセンノモァツリプドゥ...(以下フランス語)」
と聞こえるが、よく耳を済ますと、最初の「ドゥー」が実は「ウー」というかけ声であることがわかり、ちゃんと「ラ・ガドゥー」と繰り返しているのである。ラ・ガドゥーとは、ぬかるみという意味らしい。

話を戻すが、私はある日、その雑巾掛けの彼と雑巾掛けの最中に激突したことがある。体育館の両端からお互い全力で進み、私はそのとき考えごとをしていて、前を全く見ていなかったのである。私が悪いのかもしれないが、彼だって新手のCMの歌に夢中になっていたに違いない。彼は打ち所が悪かったのか、頭を抱えて子供のように大声でわんわん泣き、やがて人が集まってきた。私は実のところそんなに痛みはなかったが、一応肩のあたりを押さえてうずくまった。


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