意味をあたえる

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「寓話」を購入した

少し前にA氏がTwitter
小島信夫の戦争短編集がでる」
とつぶやいていたので、「燕京大学警備隊は入っていますか?」と尋ねると、「入っている」というので、「でも講談社文芸文庫って高いですよね」と相手を牽制しつつ、私はこっそり買うことにした。厳密にいうと、そのときは確かに「高いなあ」と思ったが、いい機会なので、「寓話」と「残光」も全部そろえてしまおうと思ったのである。

私はこのブログを始めて1年4ヶ月ほど経つが、そのあいだにひとりか二人に、
小島信夫でオススメありますか?」
と訊かれ、私は「寓話」を勧めた。「寓話」は福武書店がら出ていたがとっくの昔に絶版になっているので、図書館で借りてください、と言った。現に私はそうして読んだ。

オススメを訊いてきたひとりはZ氏で、Z氏は、私がA氏と私のブログのコメント欄で小島信夫についてやり取りしていると突如割り込んできて、
「勧めてほしい」
と言ってきた。そのときのことは以前にも書いた。A氏は「アメリカン・スクール」とか、初期の短編を勧め、私は「寓話」だった。今思うと「残光」でもいい気がする。文庫でも出ているし、と思ったらアマゾンではもう中古しか扱ってなかったから、私は中古を買った。私は長い間「残光」を所有していると思い込んでいたが、本棚を眺めでもどこにもなかった。最初に図書館で借りて読んで、所有した気になったのだ。「残光」は表紙が極めてシンプルなデザインだ。シンプルなデザインのものは、簡単に手に入ると思い込む。

それからしばらくして、Twitterか、やはりコメント欄かで、Z氏に「「寓話」はどうですか?」と私が尋ねると、
「あれは私には重すぎました。重いとは内容のことではありません。重量のことです。私は読書は通勤中に行う主義なので、あれは私の読書には向きませんでした」
と言われた。確かに「寓話」はコミックボンボンみたいに分厚い。余裕で縦向きに自立できる。コミックボンボンなら電車内でも読めそうだから、やはりZ氏は内容のことについて言っているのではないか。しかし私が読んだときは、会社にも持って行って読んでいた。だから私は偉いという話ではなく、私は車通勤だったので、多少荷物がかさばっても問題なかったのである。私はいつもピングーがデザインされたバッグに弁当を入れて持って行っているが、それは弁当用の袋なのであまり大きなものは入らず、私は「寓話」は手で鷲掴みにしながら会社の玄関をくぐった。会社の玄関とは二つあり、ひとつはお客様用の自動ドアで、従業員が入ることは許されない。従業員は、裏側の粗末な開き戸で、乱暴に閉めても途中でゆっくりになるバネみたいな装置も壊れていて、開閉に気を使わなければならない。あと庇も小さく無駄に雨に濡れる。外に出てすぐが喫煙所で喫煙所と言っても一斗缶の灰皿があるだけの雨ざらしで、喫煙者はときには雨に打たれながら煙草を吸わなければならない。あと風の強い日は簡単に灰皿が飛ばされて、そばのフェンスを越えその向こうは水路になっていてそこに落ちる。水路は市有地なので、草がぼーぼーである。

電車・バス通勤の人は持ち方を工夫しないと、無駄に勉強熱心な人に思われてしまうだろう。他人に「勉強熱心」と思われると、私の経験上、あまりいいことは起きない。

話は変わるが、私はいつのころか、「寓話」をこうして人に勧めながら、当の本人が所有していないのはけしからん、と思うようになり、それでも絶版で手に入らない、ならまだ酌量の余地もあるが、「寓話」は保坂和志個人出版しているので、私は今回購入に踏み切った。これからはすっきりした気持ちでオススメしていきたい。

ちなみにどんな小説なのかといえば、本の中にぺら紙で、保坂和志の手紙が入っていたので、そこから引用します。ちなみに手紙は思い切り雑なコピーで、字がところどころぼやけているし、全体が斜めに傾いている。

 『寓話』は目的地を持たないまま数年にわたって書き続けられたもので、全体を俯瞰して理解することは不可能だろうと思います。森の中で道に迷ったら、そこから抜け出そうと考えずに、いま自分がいる場所を取り囲んでいる木を眺めて楽しめばいい。そういう小説だと思いますし、そういう風に楽しんでいるうちに全体の流れというよりも“うねり“がきっと体の中に感じられてきて、それこそが『寓話』体験になるのだと思います。

その後国語の授業で習う本の読み方がすべてじゃない、という話になってここも載せたいが、そうするとほとんどになってしまうのでやめておく。気になる方は、保坂和志のエッセイ等を読んでみてください。

個人出版の「寓話」は、一ページ上下二段組になり、だいぶスリムになりました。以前ほど縦に自立させるのは容易ではありません。