意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

「わたしの国では毎日1000人が生まれ、1000人が死んでいる」著者不明

「わたしの国では毎日1000人が生まれ、1000人が死んでいる」という本を読んだ。夢の中で。表紙には黒人の男が灰色のシャツを着てこちらを見ている。著者である。彼は両手を上げ、両手で縦向きの楕円をこさえている。彼は犯罪者である。上げた両手の手のぶぶんは写ってなく、もしかしたら手錠でもはめられていたのかもしれない。中米の国の話である。

本を読み始めるといきなり映像が展開し、それは脳内の夢という行為であるから、「どこに展開されたのですか?」と訊かれても、どこでもなく全体だ。本を読めばストーリーは脳内で展開されるが、すでに私は脳内にいるわけだから、全体で映像が展開される。映画ではない。しかし夢だったので、私は内容をほとんど忘れてしまった。無理に思い出そうとすれば、フィクションが介入する。夢自体フィクションではないのか? わからないので、私はこの文章を書き終わったら、タイトルでネット検索しようと思っている。実際はしない。「私」はフィクション側にいないから。

唯一おぼえているシーンというのは、その中米の国では子供たちがローラースケートやスケートボードに乗って、車やトラックの後ろにつかまってそのスピード感を楽しむ遊びをやっていて、そういえばバック・トゥ・ザ・フューチャーでも同じような遊びをやっていて、それは遊びではなく主人公が学校へ行く手段だった。しかし子供たちは家が貧しく学校へ行けないので遊ぶしかないのである。そうしたら一台のトラックが思いの外スピードが出ていて、そこにつかまろうとした子供がタイミングを誤ってふっとばされて貧しい国にありそうな露天に頭から突っ込み店もめちゃめちゃになり、衝撃で子供の上顎しか残らなかった、というのが印象に残った。1/1000である。

話は変わるが、昨日会社から家に帰っていたら、後ろにバイクが走っていて、バイクのライトは上向きになっていて、まぶしくて仕方がなかった。もう帰りにライトを点けなければならない季節だった。あと、今書いている手も冷たい。私はルームミラーの角度を変えてやり過ごそうと思ったが、すると今度はバイクは右にずれ、執拗にドアミラーを照らしてくるようになった。私の車内は昼のように明るかった。一体なにを伝えたいのだろう、と私は考えた。なにかへまでもやらかしたのか。やがてバイクは左折して行ってしまい、私は左のウィンカーが点いた時点でそれを知り、ミラーでそれを知ったから本当は右だった。しかし確かに左に曲がった。私は少し遠回りして帰ることにした。