意味をあたえる

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承認欲求とは

このブログサービスを始めた早い段階から私は「承認欲求」という言葉を何度となく目にし、それはちゃんと調べずともなんとなく意味の分かる語であり、そういうのはいろんな人に簡単に振り回せるものである。承認欲求という言葉を生み出した、あるいはそれと深い因縁にあるのがアドラーという心理学者で、私のブログではいくつかの記事にコメントがつくこともあったが、その中で
アドラーを読むように」
とアドバイスを受けたことがあった。まるでブログに記事を書くには、アドラーを読まなければ始まらない、とでも言いたげであった。もちろん私は読まなかった。

それから一年以上が経って、私がちょくちょく観るテレビ番組で「100分で名著」という番組があるが、そこでアドラーが取り上げられていたので、私は観た。それは3月に放送された分で、実は100分で名著は4月から女性司会者が交代しており、私は5月の宮本武蔵五輪書の回を観たら、見たことのない女性が出ていたから、私はびっくりした。男の太っている司会者はそのままだったので、私の中では釈然としない物があった。それは別に私が太っている芸能人が嫌いという話ではなく、バランスの問題だった。宮本武蔵はあまり面白くなかったので、一回ぶんでパスしようと思う。

それなので、最近アドラーの回を観たら前の司会者だったので、私は
「ひさしぶりー」
という感情を抱いた。その女性司会者がアドラーの指南役の先生に、
「人生はギブアンドテイクですよね?」
とたずねた。すると先生は、
「いいえ、人生はギブアンドギブです」
と答えていたので、私は腑に落ちアドラー読もうかな、という気持ちを抱いた。承認欲求に触れる場面もあったが、私のイメージとは違っていた。それは賞罰教育の行き着く先、といった感じであった。