寒いからもう寒いことしか書けないと思ったが、ふと思いつきで年号を入れてみたら、昔詩を書いていたときのことを思い出した。私は詩を書くことが好きな少年であった。毎年孤独というタイトルで書いていて、タイトルの後に年号を入れて前後の区別をした。私なりに、キャッチーな言葉を選んだつもりだろうか。もうあの頃の私は私ではない。20年前の私が今の文章を読む機会があったら、「この人は何もわかっちゃいない、信用おけない」と思うだろう。そもそも私は詩を書くことなんか好きではなかった。しかし当時毎日のようにノートに書き綴っていた行為を振り返ったときに、どうしても「好きだった」という以外の言いようがない。かつて私は十代の頃にバンドをやっていたこともあったが、あるとき文化祭に出るとなったらメンバーのお父さんが車を出してくれてこれに機材を積めと言う。そうして積んでいたら母が出てきてお父さんに挨拶をして、話の流れで、
「この子にも打ち込めるものができて良かった」
みたいなことを言い、私はそれを耳にして「違うんだよなあ」と思った。そういうのに似ている。一方母のほうにしたって本気で「良かった」と思っているわけではなく、友達のお父さんと他に話すこともないからそんな恥ずかしい言い回しをせざるを得なかった。あるとき自転車屋が私の自転車のパンク修理にやってきて、それはおじいさんで私は放っておいていいのか判断がつかず、おじいさんも気まずい感じではあったがやがてお互いあきらめて軽く世間話をした。何を話したかおぼえていないが、私は「健康がいちばんですよ」と思ってもみないことを言った。おそらくそれは相手が自転車修理くらいしか能がない的なへりくだった態度へのフォローの言葉だった。誰だって流れ上やむなく吐き気をもよおす言葉を選ばなければならないときがある。
今まで生きてきてこんなに寒かった年があったのかと思うくらいことしは寒い。そうかんじる理由はいろいろあった。