意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

人混みが得意なんて人はいない

江ノ島と鎌倉に行った。朝は早い時間だったので到着したころは並みの混み具合だったが時間が経つにつれ人がごった返すようになり初詣のようになった。江ノ島神社に行ったのである。江ノ島神社は山の中に江ノ島神社と呼ばれる神社が4つくらいあって妻や義母や甥がエスカーと呼ばれるエスカレーターで行くというので
「じゃあ江ノ島神社で待ち合わせね」
と約束したらそれっきり会えなくなってしまった。どういうわけか私の携帯の着信音が信じられないくらい大きく設定されていたおかげで妻の着信を聞き逃すことはなかったが向こうが「神社に着いた」と言ってきてもこっちはとっくに神社に着き水に浸すと大吉とか中吉とか浮き出る紙を紐に結びつけているのである。もちろん私はやらないが。そうしたらバチが当たったのかとちゅうで無性にウンコがしたくなってしまった。ずいぶん山の中に来てしまったからトイレもないと思い肝を冷やしたがそれでも龍が祀られている神社で
「下り龍が」
なんてふざけていたがいよいよヤバいからもういっそ下山しようと思ったらトイレがあった。そこで用を済ませてやかましい鳴き声の鳥がいる木の下でパックマンをやったのが今日いちばん楽しかった。パックマンは子供がやろうとしたらまた電話が鳴って私たちはようやく神社以外を待ち合わせ場所に設定して落ち合うことができた。


様々な人とすれ違いながら辛抱強く露天で並んだり道端で大して旨そうでもない串に刺した魚介類や肉類を頬張る人を見ながらこの人たちは人混みの達人なのではないかと感心した。私の勝手な想像だがこういう人たちは平日目一杯働いていてそれとバランスをとるために今度は休日は目一杯遊ばないと気が済まない人たちなのだ。そこでつまらないとか不味いとかそういうのは許されないから人が砂埃を上げながら歩いているような場所で食事をしたって気にしないのだ。


私の妻や義妹もその類の人たちかと思ったら鶴岡八幡宮の前の商店街ですっかり嫌になって入り口まできてお互い喧嘩口調で「もう帰る」だの「どっちでもいい」だの言い合っているから仕方なく私が「そしたらみんなは車で待っててくれ、俺独りでお詣りするから」と張り切ったらみんなやってきて帰りには鳩サブレなんぞ買っていた。私は鳩にもサブレにも興味はなかったのでそばの石垣にキックをしたりして時間をつぶした。


帰り道に妻が抹茶と紫芋のミックスのソフトクリームを食べていてまるで油絵の具でも食っているように見えた。

世間とのズレ

学校で好き嫌いをする児童に教師が給食を無理に口に押し込んで嘔吐させるという事件があって私の地域では教師が比較的若いせいなのかこの前も小学四年の子供が
「先生は野菜全般が苦手で食べない」
と報告してきたりそういえば上の子が中学のときもソフト部の顧問でもある自衛隊みたいな女教師が
「私、キノコ類だけら駄目なんだあ」
とあっけらかんとカミングアウトしてまさかこういう教師が生徒に対して食べ物の好き嫌いを厳しく指導するとは思えない。そういうズレをかんじた。しかし私は当たり前のように人は自分の出来ないことを他人には強要しないだろうと考えているがこここそズレで実際は自分のことを棚に上げ「反面教師にしろ」とキノコや野菜を食わすのが一般的な指導なのかもしれない。もっと最低なパターンとして野菜嫌いは許容するが肉や麺類が嫌いなんて理解できないから食うべしと自分を基準にしてしか物事をとらえられないパターンであるが食事こそわかりやすいが案外こういうことは思想とかそういうのでありそうだ。


私は「俺は野菜がダメなんだ」と堂々とするのもどうかと思う。この教師は若い男でのっけから「今年から高学年なんだからビシビシ厳しくやるぞ」と息巻いたらしいが野菜も食えないんじゃ腰砕けである。そもそも「厳しく」なんて最初からそんな意気込んでちゃ途中で息切れしちゃいますよと思った。子供だって馬鹿じゃないから最初の勢いが消えると「なんだこいつ大したことないな」と思って下に見るようになる。尻上がりの人はそうはならない。私がそうだった。私は子供のころは大人に厳しくて言ったほどのない人は心中で馬鹿にしていた。決して表には出さないが出さなくとも態度には出るので私はしょっちゅう「覇気がない」だとか言われて頭をたたかれた。というより私は熱血系の人全般が苦手なのであった。


高校一年で担任になったイマイという数学教師は熱血とは真逆の教師で最初の授業で進級のために必要な点数一年で150点であると示しこの点を取ってある程度授業に出ればあとは寝ててもいいと言った。遊んでいいとまでは言わなかったが授業の妨害にならなければ減点はしないと話した。私はこのドライというか機械的な態度に「これが高校というものか」と感心したがその後出会った教師にこんな人はいなかった。満点をとっても寝ていれば普通に怒られた。ファイティングポーズをとらせる教師もいた。大学になっても授業によっては「態度が悪い」と怒り出す教授もいた。イマイが普通ではなかった。イマイは私から見ても覇気がなくいつもどうでもいいといった態度だった。ガタイが良かったから病気というかんじではなかったが終始疲れたような顔をしていた。


イマイは私が二年になると同時に別の学校へ転任となったが離任式にやってくると新しい学校の生徒がいかに素晴らしくそれに対してお前らときたらみたいな話を延々とし挨拶もろくにできないと言われえ? イマイが求めていたのってそういうのだったのと戸惑った。びっくりするほどイマイは明るくてハキハキとしており一体去年までは何があったんだよと思った。

警察官が

警察官が振り込め詐欺にだまされそうな老人をくい止めるどころか逆に騙されてしまったというニュースがやっていて最初は「意味わかんない」とか「間抜けな警官」みたいなコメントがあって間抜けは間抜けだが意味が分からないということはなく警察官だってひとりの人間であるからつい気を抜いてしまうこともあるし抜かなくてもちょっとした思い込みや過去の記憶が判断を誤らせたということは誰に出もあるから私はだまされた警官には同情的でむしろどうしてこうなったみたいな最初から可能性を吟味することすら放棄した人が結局はカモられるのだろうと思った。だからといって私がカモられない保障はなくしかし自分もカモられるかもと思うのはひとつのお守りとして作用するのではないかと思っている。


そういえば少し前にも同じような内容の記事を読みあれは確か起業塾で騙されたみたいなのでその中で「人を疑うより信じる方が楽」とあってこれはまさしくと膝を打ったが「何言ってんだよ」みたいなコメントがあってどうしてこうも解釈が異なるのか私は私で自分の感覚を信じて疑わないがこう違うことに興味を抱いた。ずっと昔にTwitterで「傷つけるより傷つけられる方が楽」みたいなことをツイートしたらやはり「傷つけるほうが楽なんじゃないか」と言われその理解に苦しんだ。もっとも「傷つけられるほうが楽」というのは村上春樹が言っていた言葉で当時の私もほとんど受け売りで言っていたのでありだから改めて考えるとやはりどちらもつらいが比べたら傷つけられるほうが主体的でどうにでもなる可能性はある。傷付けた場合その傷がどのような状態なのかこちらは決して知ることができずそれが苦しい。他人は不気味だ。私は自分の親でもどんな風に考えているのかわからないときがあってそれは苦しい。もちろん苦しんだって仕方ないから割り切るが。「インベスターZ」の中で主人公の財前が資産家の同年代の娘を馬鹿にするシーンがあってそれから少しして財前は「少し言い過ぎたかな」と反省するがすぐに「まあいいか、二度と会わないし」と思い直すのだが私はこの能天気なかんじに驚いたが世の中の多くの人はこんな風に思うのかもしれない。確かに二度と会わない人全くの赤の他人ならば傷つけようが構わないまた逆に自分が醜態をさらしても気にする必要がないというのは全くの道理だが私はたまにどうして見ず知らずの人のご機嫌を伺ったりするのだろうと不思議になることがありやはりそういうのは私の自意識が過剰なのかもしれない。


話を戻すとそう考えるとやはり騙された警官はちょっと異常であり人は信じるより疑う方が楽ということになるかもしれない。信じる方が楽というのはしかしある種の自己愛でありそれは自分の感覚や直感を否定することを無意識が拒否するのだからこれは誰も同じだと思う。疑う方が楽というのは要は心を開きたくないということだからこの場合は矛盾しないのではないか。

白髪

ここ一年で白髪が増え本格的な中年になったと自覚する。私の場合どういうわけかへろへろのちん毛のような白髪が多くそれがひょろひょろう髪の表面に出てきて目立つ。いつも白髪に注目するのは会社のトイレの鏡の前で家ではちっとも見ないのは白髪を気にする姿を家族に見られたくないからだろうか。妻などは私よりも早く白髪を自覚ししょっちゅう「頭が真っ白でみっともない」と大騒ぎする。こちらがさして同調しないから目立つかと何度もしつこく訊いてくる。よく見れば確かにちょこちょこと白いぶぶんがあるがまだまだ黒が優勢である。それなのに大騒ぎしてどれだけ自意識過剰なのか40間近になってまだ自分が人生の主人公という気分が抜けないのかと呆れた気持ちになる。そう実際言葉に出したわけではないが妻には伝わっているので私は自分の白髪に無頓着でなければならない。


伝わっていると書いたがしかしこれは私の思い上がりではないかとふと思った。「言葉にしなければ伝わらない」という古びた言葉があるが実際は言葉にしても伝わらない。ひとつ屋根の下に暮らしてお互いが相手の行動パターンを覚えて刺激しないようにしているだけである。ここまで相手に合わせなければならないのかとうんざりすることもあるがそれは相手も同じなのだろう。私は想像力の豊かな人間なのでそう考えることができそう思えることが少し私を慰める。

もう三年

あと10日くらいしたらこのブログは開設してから丸3年でそれからまた10日くらいあとに千日継続のやつになってしまう。千日は私の中でも「いよいよか」と思うぶぶんもある。千日っぽいことを書きたい気もするが特に何もせずに通り過ぎる可能性もある。「これまでの歩み」みたいなものを書くともうやめなきゃいけない雰囲気になりそうだ。実際三年やって思ったがここまで続くとやめるのもかったるくなってくる。時間がないと人は言うが私は書くのをやめたら今以上に暇になってもっと仕事をがんばろうとか恐ろしいことを考え出すかもしれない。とにかく時間というのは「ある」とか「ない」とかの尺度で考えても仕方がない。確かに私も一日中予定が入っていていつに更新しているのか自分でも不思議に思うことがある。私はこれじゃないブログのほうは予約投稿をしたりしたがこっちはいつもだいたいリアルタイムだ。二日に分けて書くということはまずない。書きかけでやめることもあるがそれはもう公開することはない。少ししたらぜんぶ消してしまう。まあそんなことはどうでもよい。


小説や漫画を読むとその登場人物みたいな心のしゃべり方になる。今は「インベスターZ」を読んでいるから中学一年みたいな口のききかたを心の中でしている。そういえば二つ前の記事で高校の女がと書いたがあれは中学の間違いだった。制服を着るともう中学も高校もないのである。しかし中学で「自分らしさなんて後回し」なんて言うなんてすごい。それに感化された友達が「私もJポップに元気をもらうのはやめる」と宣言していてその年で歌詞の空虚さに気づいてすごい。一方で主人公の財前には妹がいるがこの人は幼稚園児だと言うがどう見ても小学生にしか見えなくてこれはこれですごい。妹が人前で「お父さんが死んじゃやだー」と馬鹿丸出し泣くのである。幼稚園児だって知らない人の言葉を鵜呑みになんかしないからこの子供は子供を演じていて気持ち悪いのである。

短歌の自由201704号

短歌の目4月のお題です - はてな題詠「短歌の目」


題詠 5首


1. 皿

皿屋敷中学二年の浦飯の母は温子で父は魔族だ


2. 幽霊

幽霊の仕業でなくて人間の妬みと見抜いた浦飯すごい


3. 入

投資部に入った父の財前は典型的の貧乏父さん


4. うそ(嘘、鷽、獺も可)

口癖がピンクのラジコン「うそぴょーん」の先輩は春喘息発作


5. 時計

キッチンの壁の時計が壊れます。代わりに目覚ましポットのカゲに



テーマ詠

テーマ「新」

押し忘れタイムカードを新井さん七日に私がフォローした春


全国の新生子どもが西日本に移動をしたら平均寿命が


新しい髪型姉妹がうらやましい片割れボケて施設に行っても


月替わり最近足が臭くなる散った花びら指間に詰める



※ところで目さんが以前使われたお題があるというから調べたらすぐ見つかった。「入」という題で私は大黒摩季のことを書いた。

短歌にちょうせん4 - 意味をあたえる

インベスターZの女の子がすごい

インベスターZという漫画を安いから読んでいる。株の漫画だ。ずっと前に一巻だけ読んだ。そのときも一巻のみ無料みたいなキャンペーンがやっていたのである。読んでああなるほどとか思いそれ以上は読まなかった。その前にどこかのサイトでパロディがやっていてそれが破壊的に面白かった。私は辻褄が合わない方が好きだ。真面目な顔をして「なんとなくだ」とか言うのが楽しい。


昨日はひさしぶりに家族で入浴施設に行きその時点で妻も長女もパケ死していた。私は3ギガに届くかというところだった。契約は5ギガなのでなんの危なげもなかった。3ギガのうちほとんどのパケットはGoogle Playミュージックが占めていた。行き帰りの車などで音楽を聞くからである。私はアンドロイドを使っているからアプリごとの通信料が設定から見られるがiPhoneはそういうのがないようでだから把握できない。そういう話を長女にしたら「ほとんどはインスタとなんとかというアプリだ」というからどこで調べたのかと聞いたら
「勘」
と自信満々で言い妻が後ろの座席で吹き出した。私たちは入浴施設に向かう途中だった。私はスマホの機能設定の話をしているのでまるで会話が成立していなかった。しかし誰も人の話など真面目に聞いてはいないのである。聞くのはお金がもらえるかもらえそうなときである。私はインスタは使ったことがないがあれだけ流行っているのだからなんの圧縮もしていなければそこらじゅうの人がパケ死するのでは? よってインスタの通信はそれほどではないと仮説を立てたがおそらく長女の耳には残っていないだろう。そして来月も半ばを迎える前にパケ死するのだ。


インベスターZの登場人物の女が中学か高校かはわからないがそれくらいの齢で「自分らしさなんて後回し」と言い切っていてすがすがしかった。発端は女が「型にはまれ」と言ったら友達が「それじゃあ自分らしさがなくなる」と反論しそれに対して言い切るのである。すがすがしいしこの年齢でそこまでの境地にいくのは恐ろしかった。しかしこの女は代々続く資産家の娘で家には蔵書がたくさんありウォーレンバフェットの本などを読みふけっているからこの言葉も誰かの入れ知恵なのかもしれない。私はバフェットの本を以前に一冊読んだことがあるがそれは株の本というよりエクセルの本という感じだった。しかし全体的には何の装飾もない値に足がついたような内容だったと記憶する。