意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

最近眠れない

眠れないというか寝付けない。

と書き、そこから3、4段落書いたところで手違いで消してしまい、私は悲鳴を上げた。悲鳴を上げながら、私は悲鳴を上げる自分が滑稽に感じた。ファンヒーターが温かい風を吐き出し続け、外でも風が音を立てて吹いていて、しかしそれは冷たい。風の音がうるさいと言って、ネモちゃんがベッドから出てきた。私はヒーターの音がうるさいから寝付けないわけではない。

気を取り直して、続きから書く。

100まで数えても眠れない私に母は、
「100から1まで数えろ」
と言った。母も布団に入っていて、私に背を向けている。その向こうには来客用の机がたたまれて壁に立てかけられ、その脇にはたたんだタオルが積み上げられ、たまにそれが人の顔に見えた。私の家では、寝るときはちび電をつけるから、物が違った風に見えたのである。

1まで数え終わってもまだ私は眠れないので母に、
「まだ眠れない」
と言うと
「今度は指を折りながら数えろ」
と言い、それを1から100、100から1をやった後に、今度はそれを足の指で行うことになり、今思えば足の指を無理に曲げればつってしまいそうたが、私は必死で足の指を折り曲げ、やがて眠れた。

しかしいくら今の私が眠れないからと言って、また足の指で数を数えるなんて、する気にはなれなかった。先にも書いたが、しかしそれはすでに消えたから、わざわざ断る必要はないのだが、母には何度も
「眠れなくても目をつぶって横になっていれば寝ているのと同じ」
とアドバイスを受けていたので、私は布団の中でじっとしていた。じっとするのに疲れると寝返りを打った。寝返りをうつたびに眠りが遠ざかっていくようだった。
「魂の午前2時に起きてはいけない」 
という言葉を、村上春樹が著書の中で引用していたが、引用元は失念したので私は無責任と言われても仕方ないが、私の思考は午前2時に近づきつつあった。私は自分の両親が、今のところ健在であるが、やがて死ぬことを考えて悲しくなり、それから自分が老いていくことが無念で仕方なくなった。死ぬときはひとりなんだろうと考え、だったら今死ぬのでも大差ないなと思った。もちろん今は午前2時ではないから、この文は実際のそのときの様子を、全く表してはいない。

それから明け方が近くなってきたので、私は5時45分になったら、ベッドを出てヒーターを点けようと思った。ネモちゃんを起こす時間が、6時15分だったから、部屋が温まるのに、30分くらいはかかるだろうと思ったのである。ネモちゃんはその日から学校が始まった。そして、時間になるまでブログを書こうと思った。そのとき書いたのが、数日前の「凧」である。

私はそれを読み返してはいないが、おそらく普段の感じとは違う文章になったのではないかと予想する。しかし、あそこに書いたことは、実際にあった出来事なのだろうか。どうして、話しかけた人は皆、私を無視するのか。どうして、風に揺れてもいない竹を、「揺れた」なんて言ったのか。それは自転車に乗るネモちゃんが凧に見えたからだ。

凧はそのうちに、糸が切れ、見えないところまで飛んでいってしまうのだろう。

凧 - 意味をあたえる