意味をあたえる

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ブッダの殺人者

先週くらいに殺人事件の加害者の本が出るというニュースと、それに対してのいくつかのブログやコメントを読んで感じたことを書く。

先週か先々週の日曜日に、あーやることないなーって感じだったので、本棚から手塚治虫「ブッダ」を取り出して、1巻から読み出した。この本棚とは、押入の中にある本棚で、中の本を取り出すにはいちいち外に出さなければならない。一応キャスターがついているが、どういうわけか、一つが最初から錆びていてよく転がらない。取り替えてもらえば良かったが、そういう手間が面倒で、店員に
「面倒な客だ」
と思われるのがしゃくなので、そのまま取り付けることにした。「ブッダ」は、本棚の手前のほうにあってすぐ取り出せる位置だったので、私は読み始めたのであった。

ブッダの弟子の中にアナンダというのがいて、それが殺人鬼で、次々に人を殺していくのだが、ブッダに出会って弟子となり殺人をやめる。しかし、やめたからといって罪が消えるわけではなく、毎夜殺されていった人たちが夢に出てきて、アナンダはその夢に苦しめられるのである。同じ殺人仲間にアヒンサーというのがいて、これは通称アングリマーラと呼ばれていて、これは日本語に直すと「指の首飾り」といって、アヒンサーは、殺した人の指を切り取って首飾りにしていたそうである。漫画は絵だから、首飾りが本当に指なのか、それのも比喩なのかは判別できない。熱心に判別しようという気も起きないが、そういえば実際に指だった気もする。それで、殺人仲間のアヒンサーは、
「また殺しを始めれば夢なんか見なくなるぜ」
と、アナンダをそそのかすのである。

ブッダは、
「殺された人は、仮に自分がころさなかったとしても、別の誰かが殺していた、あるいは別の理由で死んでいた、と思いなさい」
と、アナンダを諭す。この、ブッダの言葉に私は引っかかった。これは実際の仏典に出ているのか、手塚治虫の創作なのかはわからない。また、ブッダ自身もアナンダの心を楽にするための方便として説いたのか、それとも真理なのかも不明である。しかし方便だったら、ブッダもその程度の人間、となるから、真理なのだろう。

私がブッダを初めて読んだのは、大学のころで、その前に読んだのは火の鳥で、火の鳥のあまりのスケールに感動して、その勢いでブッダも揃えたのである。6歳下の弟も感動したらしく、そのときはまだ中学生で、高校受験の面接で
「尊敬する人物は?」
の訊かれたら
「ゴーダマ・シッダルダと答える」
と言っていた(本当に答えたかは知らない)。シッダルダとは、ブッダの本名である。

それで、私は大学のころには2回か3回ブッダを読んだが、そのときは上記の「殺されなくても別の人に殺された」の部分は引っかからなかったのだが、理由を考えると、それは、私に子供ができたからではないか。私が最初に思ったのは、
「もし被害者の中に自分の子供がいたら、私はブッダのその言葉を受け入れられるだろうか」
ということだった。それは、当事者にならない限り絶対にわからない問いであり、今の立場では「はい」でも「いいえ」でも、答えは間違いとなる。だから、現実に存在する実際の被害者遺族が、どういう考えを持っても、私の考えとは違う、と言い切ることはできない。

それならば、今その立場でない私がそのことを踏まえて答えを出すのは、間違いではないと思ったので、答えを表明すると、ブッダの言葉は正しいと思うし、被害者遺族にとっても、救いになる。救いとは、
「自分の家族が殺されたおかげで、別の誰かは死なずにすんだ」
と思える、ということである。

私は少し前にニーチェ永劫回帰という言葉を知って、それは私の現在の解釈は「この次も同じ人生だよ」ということだが、そうすると残酷な殺され方をした人、生まれてまもなく死んだ人などは、永遠に死に続け、不公平だと、最初の段階から思っていた。だから、「永劫回帰とは生きている人向けですよ」と制限を設ければだいぶ話は簡単になるし、実際今本屋に並ぶ「ニーチェの言葉」みたいなタイトルの本は、おそらくそうやって都合の良い部分だけ抽出して、自己啓発本のような体裁になっているのだろう。都合が良いのは私のほうかもしれないが。

だが、「永劫回帰」を真理として捉えるときに感じる不公平とは私たち人間の側から見た勝手な解釈であり、自然とか宇宙とか万物からしたら、人間もその辺をふわふわ浮いているホコリも、等価なのだから、実際は不公平でもなんでもない。そういえば子供の頃の歌に、「手のひらを太陽に」というのがあって、そこでは小さな生物も生きている同じ仲間なんですよ、と歌われていたが、その本質を捉えるためには、かなりの思考を要する。しかしこの歌に限っては、仲間なのは生物に限られていて、なおかつ「仲間」という離反も含まれたような言葉で語られているから、難易度としてはいくらか低いのかもしれない。

※小説「余生」11話を公開しました。
余生(11) - 余生