意味をあたえる

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それが大事

旧川さんの昨日の記事がおかしかった。おかしかったのは、学芸員に大事なものを訊かれて「信念や信条」と答える旧川さんなのだが、真顔で「お金」と答える学芸員もおかしい。旧川さんは、どことなく毒のある人で、そう考えるとアイコンのキノコはやはり毒キノコなのだろう。初めて旧川さんのアイコンを見たときに、私は
「毒々しいなあ」
と思ったものだった。しかし、お金が大事だと主張する学芸員はいかがなものか。学芸員、というのは博物館とかにいる人ですよね? だったら「知識」とか言うのが普通ではないか。もちろん学芸員が不動産投資したって構わないが。普通ってなんだろう。

大事なもの、といってもそれはひとつではなく、具体的なものも抽象的なものもあり、例えばお金や命は、子供でもわかるわかりやすいものなのだから、大人がそこを強調すると、むしろそれだけが大事、と勘違いしかねない。大人はむしろ、「本当にお金は大事なのか」「本当に命は大事なのか」と自問自答せねばならない存在だ。

「命が大事」というときのいちばんは多くの場合それは自分の命のことを指すが、自分が死んだときと他人が死んだときのどちらが悲しいのかと言えば、他人のときである。悲しむ自分がそもそも死んでしまっていないのだから。だけれど魂は残るのかもしれないけど、脳みそや手足のない魂に果たして感情はあるのか。そもそも、大事・非大事は、私という土台の上にあって区別されるものなのだから、「私」には大事もなにもないのではないか、というふうにも考えられる。

「お金が大事」ときいて思い出すことは二つあって、ひとつは前にも書いたが小学校の卒業アルバムのプロフィール欄の「宝物」項目にクラス全員が「お金」と書いたことで、私はクラス一の才女である小関も「お金」と書いていて驚いた。小関は勉強がいちばんでき、人格も優れていてクラス内の諍いも一段上から微笑むように眺めていて、どことなく保護者のようでもあった。そういうのが一部女子から煙たがられていた。煙たがられるから、小関はどんどん上の方へ行ってしまう。そんな、神様にも等しい小関容子が、卒アルのプロフィールに「宝物:お金」と書いてしまうのはいかがなものなのか。ちょいと俗っぽすぎやしないだろうか。これが同調圧力と言うものである。私は同調圧力という言葉を今朝知った。日頃インターネットをやっていて、息苦しいと思うことの正体は同調圧力であった。インターネットも、世間も、やはり人が集うところはどこであっても息苦しい。

かつて私たちの修学旅行に引率した向井先生は「大事なもの「お金」というのは、大事なのはお金で買う対象物であって、お金そのものではないよね?」と言ったものだが、私はその言葉を聞いて、当時テレビでやっていたアニメ、タイトルは忘れたがディズニーのドナルドダックの叔父のスクルージおじさんが主人公で、ヒューイ、デューイ、ルーイが出てくるアニメの、オープニングアニメーションを思い出した。スクルージおじさんは大変な資産家であり、倉庫のような金庫には、そこが見えないくらいに金貨が詰まっていて、その中をスクルージおじは、クロールしたり平泳ぎしたり、とにかく金貨がプールみたいになっているからそういうことができるのである。とんだ成金趣味である。とにかく、私は向井先生の言葉に対し、スクルージおじはお金そのものが大好きなんだ、と心の中で反撥したものだ。

ところで向井先生は私たちの担任ではないが、ナイスミドルな男でベレー帽みたいな髪型をして髭もたくわえていたかもしれない。教師たちのあいだでも一目置かれていたのか、私たちの修学旅行にも引率役としてついてきて、三号車の一番前の座席に座っていた。私は三組だったから三号車なのである。すると、休憩で寄ったサービスエリアで、前の方に座っていた比較的やんちゃな生徒が、
「向井先生、エロ本読んでたぜ」
と教えてくれた。いくらなんでも、それはエロ本ではないだろう、と私は思った。たぶんそれは雑誌である。私は床屋の待ち合い席で、棚の下の雑誌に女性のヌードのグラビアがあるのを知っていた。私は床屋のじいさんがこちらへ来ないタイミングを見計らって、そういうグラビアばかり見ていたのである。グラビアは巻頭とあと途中にもあった。乳房があらわになっていないパターンもあった。週間大衆が比較的エロい。


※小説「余生」第59話を公開しました。
余生(59) - 余生