意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

耳仮面

私は、あの二つの点を重ねると像が浮かびかがる絵のやつが得意で、もとの絵は砂嵐みたいなアレのことである。見方のコツというのは、目というのは二つあって、それらの角度を見たい位置でぶつかるように調整して人は物体を見ているのだが、そのぶつかる位置を奥や手前にすると当然右目用、左目用の像が二つ出てくるようになり、それを意図的に動かして点が重なると、それまで出てこなかっなような絵が見えるのである。私はそれが得意で、点がなくても浮かび上がらせることができる。

先ほど得意と書いたが、私は人生の割と早い時点で、必要な時以外は目の焦点をぼやかす技を会得していて、たぶん最初の頃は
「わあ、お母さんが二人になった」
とか無邪気に思っていたのだろう。母は当時専業主婦だったから、いつも家にいたのです。母はたまに居間に掃除機をかけるときがあり、掃除機の音は昔だったから今でもそうだけどとてもうるさく、それなのに私は、
「歯が痛い」
と母に訴え、母は
「え? え?」
と手を耳にかざして音に集中した。しかし入ってくるのは掃除機の音ばかりだった。今思えば私は歯が痛いという現実から目をそらしたくて、わざと掃除機をかけるタイミングで、歯痛を切り出したのである。人生で初めて見た掃除機の色は忘れた。掃除機も私の視界で二重になった。

あと私は、夜とか寝ているとき部屋の灯りはオレンジのちび電にして寝ていたが、その光を眺めながら目を細めたりすると、光が「天使の階段」のように下にびよーんと伸びてそういうのが楽しかったりした。当時は「天使の階段」なんて言葉は知らなかったから、「ビーム」と呼んだりした。

そんな風に幼い頃から私は目を鍛えたり、必要最小限の使用に押さえたため、今でも視力は良い。だけれども視力の良い人は老眼になるのが早いと言うから残念だ。

それで、今朝起きて子供を起こしながらなんとなく横顔を見たら、彼女は仰向けに寝ていたので、私から見たら顔の側面が見えた。耳が真ん中にあったので、耳を二重にして遊んでいたら、なんとなくその耳を目の部分に重ねたくなって重ねたら、「耳仮面」になった。耳の穴の黒いぶぶんに目の黒目をあわせると、仮面の穴のあいている部分から目がのぞいているように見えた。

昔蝶々の仮面をかぶっている敵が出てくる漫画が出てきて、ちょうどそんな感じだった。耳は蝶に超似ている。その漫画とは、コブラで確か敵の名はパピヨンである。宙に浮かぶ玉座に座るパピヨンコブラはサイコガンで撃ち抜くのだが、そのとき顔に張り付いた蝶がひらひらと飛んでいく。実はその蝶こそがパピヨン本体であり、それを燃やさないとパピヨン再び宿主を探して悪さを始めるのである。そのことを詳しい人に知らされたコブラは、
「えっ」
と驚いた。