意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

自分のブログが読みづらい

最近自分の頭の中で、
「デブ平穏」
という単語が頻繁に出てきて、これは何かと説明すると、私の考えた「スマートフォン」の対義語なのです。対義語を考える旨の記事を書いたことがあった。だから、今日の記事はそれのリンクでも貼っておしまいにしようと思い、自分のブログのリンクを踏んで、下の方にフリックして、ブログ内検索の窓に
「デブ平穏」
と入れて検索しようと思ったが、デブがもし平仮名の「でぶ」だったら出てこないなー、と思った。それは一瞬に思ったことだった。

その一瞬のあとに思いも寄らぬことが起き、思いも寄らないこととは、意図しないJリーグのページみたいなのにジャンプしてしまったのである。汗まみれの男たちが、この上ない真剣な顔で中世の道化のような縦縞だとかそういう類の布を身にまとい、各々が思い思いの方へ向いている。画面には写っていないが、きっとボールかゴールか相手選手を見やっているのだろう。私はサッカーに詳しいのでそういう想像が働いた。想像も一瞬である。しかしそう考えると思考とは、光の速さで行えるものだろうか。実速度が光に及ばないのは、脳や身体の筋肉の動きが鈍いからではないか。よく頭の悪い人を
脳筋
と揶揄する風潮があるが、脳に筋肉がなければ、私たちは何も考えられないのである。

ということを考えてしまった。私のブログは読みづらい。