読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

もう会えない人

私は子供時代は病弱なほうで、就学前はよく入院をした。病院は熊谷にあって、駐車場は砂利だった。とても大きな病院というイメージがあったが、それは子供だから感じたのかもしれない。そのときは今ほど大きくなるとは思っていなかった。大木のように感じた受付のところの柱も、今となっては●●くらいの太さ(私は太さを表す語彙を持っていないことに、書きながら気づいた)になっているかもしれない。私が子供のころ、カルテとはまだ紙のカルテのことであり、たくさん病院にかかった人のはどんどん分厚くなる。私のはそこらの人がかなわないくらい分厚かった。そして古かった。オマケに表紙のところには大きなインクの染みがついていて、それが血みたいで私は不吉な感じがして嫌だった。母にそれとなく不吉アピールしても、全く意に返さない様子だった。母は極めて即物的な女だった。しかし母も母なりに気を遣うぶぶんもあったかもしれない。私も子供がもし病弱だったら、カルテの染みが血に見えても、
「どこが血だよ? あんだけ黒けりゃ地底人になっちまう」
と言うかもしれない。
「どうして地底人の血は黒いの?」
「地底には日が届かないからだよ」
「じゃあ逆じゃない? 日に当たった皮膚は黒くなるもの」
「確かに。でも天使は色白だ。血液もさらさらだ」
「そういえばこの前の学校で川の流れを表す言葉、というのを私は習った。そこで「さらさら」という擬態語が出てきたけど、どうして流れがさらさらなの?」
「笹の葉、さらさら、だからじゃない?」
「どぼどぼ、とかじゃーじゃー、とかのほうがしっくりこない?」
「擬態語と擬音語がごっちゃになっているね、一年生からやり直したまえ」
「そういえばお父さんは以前、私に自分が二年生になれなそうな話をしていましたね。あのときお父さんのクラスの担任の先生が若い女の教師でとても厳しい人だと言った。だから私が一年生のとき、担任が若い女の先生だったことに心配していましたね」
「そうだ。私が一年の時は三組まであって、私以外のクラスの担任はおばあちゃんみたいなしわくちゃで、だから最初ラッキーだと思った。しかし現実は逆だった。私や他の出来の悪い子は椅子をしょっちゅう没収されたし、もっと悪い子は引き出し丸ごと取られた人もいた。椅子のない子は膝をついて授業を受けなければならなかった。それが情けなくて恥ずかしくて、でも自分以外にも同じ人がいるのがせめての救いだった。今思えば、先生はそういうことをよくわかっていた」
「私のときと逆ですね。私の先生は、生徒が怖くなって授業中にずっと毛布を被っていました。私たちが半袖の日でも、頭からかぶるので私たちは変だと思いました。誰かがどうして毛布をかぶるのか訊ねると
「寒がりだから」
と答えました。寒がりだから、と答えるとき、先生はほっとしているように見えました。先生は私たちが二年になるときに、どこかへ行ってしまった」
「ストレスが、人間の生理機能をおかしくしちゃうパターンだね。そういえば自分も前の仕事をやめるとき、最後のほうは寒くて仕方がなかった。それは単に冷房が効き過ぎていただけだけどね。自分の席が送風口の真下で、おかげでずっとパーカーを羽織っていた。それでも指先は冷えて仕方がなかった。あるときそれを見た年下の先輩が、
「僕も寒いから上着ようっと」
と言って、社長に怒られていた。そこが風当たりのいちばん少ない席だからだった。しかしそんなことは他愛のないことだった」
「お父さんは今でも寒がりですものね。この夏はさぞかししんどいのでしょう」