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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

蛍光灯の音

家に誰もいないというわけではないが静かで、私は日曜の午後を菓子を食べながらだらだらと過ごした。甥も寝ているようだ。私がたまに抱くことがあってもまったく泣きやまなかったが、窓を開け外気に触れさせたら眠そうに目をつむった。昔私の子供が生まれたとき、私の同僚もほぼ同じ時期に子供が生まれ、しかし夜泣きがひどいらしくそれを聞いたおばさんの先輩が
「外の空気に触れさせないから」
と分析した。抱きかかえられた状態でも、ちょっと外に出すと赤ん坊は疲れるようだ。そういえば犬の散歩でも最近は犬を抱きかかえた人の散歩、というものを見かけるが、あれにしてもワンチャンを外気に触れさせて疲れさせるという目的なのかもしれない。私たちは疲れるために生きている。子供の頃眠れないと寝室を出てきた私に父は、
「労働が足りない」
と注意した。最近は十分足りているのか、よく眠れる。

実家では静かにしていると蛍光灯の音が聞こえた。時計の針の音というのも聞こえた。時計の針は今でも耳にするが、そういえば蛍光灯は聞かないと、さっきふと思った。午前中は晴れていたが、午後から雲が広がった。会社の定年間近の男が言った通りだ。彼は
「明日の方が気温は高いけど、雲が広がる。だから今日が行楽日和だ、日光行きたい」
と言った。紅葉が見たいのである。私は車酔いするから日光なんて一生行きたくないし、紅葉にもあまり興味がなかった。「きれいですよ」とお膳立てされたものを見ても、満足できなさそうだった。何年か前にひとりでふらりと湖へ行き、そこは紅葉の良いところだったが、私は紅葉よりも湖に釣り糸を垂らす釣り人に心ひかれた。やたらと長くて細い竿であった。彼らはみすぼらしい身なりで、竿がなければホームレスに見えた。彼らはいちばん低い位置にいた。そこが湖のすぐそばだからである。そういう意味では紅葉を見に行く意味もあるだろう。

今は蛍光灯もだいぶ良くなったのか。部屋の電灯もつり下げるタイプの物が、いつからか東京ドームみたいなのを天井にくっつけるやつになった。こちらはケースと蛍光灯がセットで、蛍光灯が切れたらケースごと変えるタイプらしい。義母がこれを買うときにこんなに電気と天井をくっつけたら火事になる、と大騒ぎした。なるほど、吊り下げるタイプにはそういう理由があったのかと理解した。しかし最近の天井だって天井紙を貼るのだから、燃えやすさでいったら今の方が上なのではないか? と思ったが義母は妻以上に論理のわからない女だった。せっかく買ってきた蛍光灯はしばらく押し入れにしまっていたが、あるとき電気屋でやはり別室の蛍光灯を買いに行ったら、親切な店員が「火事にはなりませんよ」と教えてくれ、私の部屋にもようやく新しい光がやってきた。そのころは義母の耳もいくらか聞こえたようだ。