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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

使いたくない言葉

使いたくない言葉について考えると、まず次のものが挙げられる

・「もちろん」

これは前置詞だがこのあとに続く文章は読者の認識違いや早とちりを牽制する働きを持つ。その前には誤解を招きかねない表現がくることがある。私は「誤解されたらやだなあ」と思う姿勢が嫌であり、どうしてかというと、私の書くものはできるかぎり読者の感情に訴えかけたいと思っているからである。「こいつはとてつもなくアホだ」と思われたらそれで良いということである。そういう風に言われて自分のアホでない箇所を列挙するよりも、どの辺りがアホなのか点検するようになりたい。そうしてどこがアホなのか見つかったらそこを改善しようとするのではなく、そこを愛でるようにしたいのである。もちろんあくまで理想だから、条件反射でカチンときてしまうことはよくある。私は気が短いところがある。客観的にどうかは知らないが、よく他人に「気が短い」アピールをする。そうして私があるときハチャメチャになったとき、周りに「気が短いとはこういうことか」と合点させるのである。私はすぐ「優しい」とか「おっとりしている」と言われるから、少し過激な言動をして喧嘩っ早いくらいがちょうどいいのである。

さらに理想を言えば、例えば私が「煙草のポイ捨てをする人は朝は遅く起きるような自堕落な人」みたいなことを書いたときに、全体を読めば「本心じゃないんだな」と思われるように書きたいのである。いや書いている。だからそこに「もちろん病気などで起きられない人もいる」みたいな補足を加えても野暮なのである。野暮で済めばいいが、補足ばかりなのは最終的に書き手と読み手の信頼関係の喪失というか、読者を下について見ていることにつながりかねない。じゃあ最初から誤解を招く書き方を避けるべき、という意見もあるが、本心でないと言いつつ別の視点で見れば本心なのである。別の視点というか全体というか、流れというか。とにかく私は誰かの反論を想定した書き方が苦手でそういうのは本当に疲れる。