意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

新しい

子供が新しい言葉をおぼえたといい、それは「悪化」という言葉だった。私が「腰の痛みが悪化した」と言うのを聞き、そのすぐ後に「とと姉ちゃん」の録画放送を見ていたら
「風邪が悪化した」
と役者が言っていて、脳に定着した。確かにこういう幸運がなければ、こんな風に言葉を「おぼえ」られない。たぶん私の腰の悪化だけでは、子供の無意識に滑り込んで本人が意識しないうちにいくらか成長し、その間に脳内で勝手に「お馴染みの言葉」として定着し、
「最近、景気が悪化したよね」
なんて知った風な口をきく。だからその後家族内で「最近おぼえた言葉トーク」になったときに、そういうのがなかなか思いつかず、やっと出てきたのは
「吝嗇家」
だった。もう何年も前に私は言葉のコレクションを増やそうと思い、小説のわからない言葉を片っ端から調べたから、うまく「おぼえ」ることができた。iPhoneの辞書には他にもたくさんの言葉が登録されたが、しかし他は全くおぼえていない。しかしこんなにわからない言葉ばかりでてくる小説ってなんだったのだろう。明治とか、昔に書かれた中島敦とかならまだわかるが、そのとき私は比較的若い小説家のを読んでいた気がする。私の語彙が少なすぎた可能性もある。しかし、言葉というのはわかった気で読めば、だいたいわかるのである。わかってしまうことによって、むしろ見えなくなってしまうこともあるのである。というのは●●だが。(●●は各々ニュアンスに近い語を入れてください)

新しいといえば国語の教科書。国語にかぎらず、私が小学校の頃に配布された教科書には、頭にやたらと「新しい」とついていて、私は内心「新しいのはむしろこっちなんだけと」という気分であった。入学式の日、私の初恋の人の隣には、背の低い、やたらと長ったらしい名前の男が座っていて彼はネクタイなんぞ締めていた。生意気だ、と思っていたらなんと次の日も締めてきた。他の人はもう普段着だったから、彼は浮いていた。しかし彼は地主の倅でやたらと玄関の広い家に住み、庭には柘植の植木が綺麗に刈りそろえられており、お年玉は毎年10万もらえるという。彼は新しい教科書をぞんざいに扱い、表紙に貼られていたフィルムを早々にはがし、夏がくる頃にはずいぶん使い込んだ雰囲気を醸し出したが、彼はまだ平仮名もまともに書けなかった。

仕事については色々言いたいこともあるが、生きている限り明日は続いていく。私は人間というものは死を自分で認識できないというスタンスなので、今のところは、永久に明日は続くものととらえている。とにかく夢も希望もない人は生きづらい世の中だと感じる。そういうことを強要する世の中だと感じる。どうして今日より明日は成長しなければいけないのか疑問だ。それってつまり、成果を未来形にして相対的に現時点を低く見積もるための手段ではないか。未来はやってこない。明日はくるが、未来はこないのである。

そういうことに、私だって気づくのだから多くの人が気付かない筈もない。気づかないのはそういうことを口にする人だけだが、やはり気づいているのだろう。結局はムードでありブームなのだ。今は夢を持つことがブームなのだ。早く過ぎ去ってほしい。夢を持つことも個人の勝手という風になってほしい。自分の夢を朗々と語らないでほしい。私は私以外の人がどうなるとか、興味はない。

夏のことを考えよう。スイカを食べた。今日、牛タンを焼くブログを読んで、撮られていた写真がスイカに見えた。私はそんなに分厚い牛タンを食べたことがなかったからである。父が斜め前の席で綿の短パンを履き、スイカにかぶりついていた。テレビでは「ドキ! 水着だらけの芸能人水泳大会」が放映されていた。ダンプ松本が騎馬戦で、次々に女性のビキニを剥いでいった。胸がむき出しになったのは、いずれも私の知らない女の人だから、私はがっかりした。父もがっかりした。しかし父の方が乳房には馴れていた。私はスイカの、種の周りの果肉がやっこくなっているぶぶんが嫌いだった。古いスイカは、やっこい領域が広かった。父はそういうスイカ
「バカになってる」
と言った。バカ、じゃなかったかもしれない。くたびれている、とか、そんなのだった。父は農家の倅だから、農作物全般に対して横柄だった。お前なんか苗の頃から知ってんだぞ、という風だった。スイカの頭をはたき、バカか利口かを予想した。母がそれを切り、みんなで食べる頃には、どんな予想をしたか忘れていた。たまに祖母だとか父の職場の人だとかの持ってきたスイカが重なることがあって、そういうときは風呂に入れて冷やした。蓋をしめておいたら母がスイカのことをすっかり忘れ、そのまま風呂をたいた。妹は私よりも幼かったが、律儀に種を一個ずつ取って食べた。種のあまりない果肉のぶぶんは子供たちに人気だった。父が種がたくさんある方が美味いと言った。弟はもっと幼かったから、服を汚しながら食べた。スイカ以外でも服を汚した。弟はギッチョだった。正面の席が私で、私が食べる様子を見ていたがら、自然とギッチョになったと両親は分析した。弟の名付け親は私だったが、母は信じなかった。

私には夢がなかった、

二年前はあんまり書いてなかった

もうこのブログは開設して二年以上が経過したが、すると運営の方から
「振り返りませんか?」
というメールが届き、私は
「嫌なこった」
と思ったが、ついつい振り返ってしまった。すると、一年前は今とあまり内容に大差はなかったが、二年前は今よりもずっと書いていることが少なかった。

私はブログを始めたころは、読者とかスターとかそういうシステムがわからずに、ただ淡々と書いていたので、長さとか気にせず書いていた。そういうシステムがあることを知り、たくさんの人に褒められたいと思うようになって、文字数を増やすようになった。たくさん書けば、何文字かは人の気に入ることもあるだろうと踏んだのである。

だから今日の記事はこの辺りで終わりにした方が良さそうだが、そういえば午前中に会議があって、私の斜め前に座った人の髪が薄くて、ところどころ地肌が見えた。私はその人のことを何年も前から知っていて、というかその人は私の先輩だった。私はその人にいくらか仕事を教わり、しかし何年か前からその人は病気になって去年は半年くらい仕事を休んだ。そのストレスで薄くなったのか。しかし普段はそれなりに髪の量があるように見えるが、近づくとそうでもないのが人間の妙である。その人は抗がん剤治療を行いつつ仕事に復帰したが、よくドラマみたいにやせ細った姿で現れるのかと思ったら、入院前と変わらなかった。その人は体格がよく、熊とか猪みたいな外見だった。海よりも圧倒的に山が似合った。別の先輩がその人の所持していた雑誌の袋とじを勝手に破ってしまったことがあったそうだが、その人は特に怒らなかったらしい。

老いに対する不安

昨日サッカー観戦に行くために電車に乗った。東武東上線という電車だった。昨日の前は四月に乗った。久しぶりということになるのか。朝霞で降りて武蔵野線に乗り換えるのだが、私は生涯であまり武蔵野線に乗ったことがないから不慣れだった。私は電車でも車でもぼんやりすることが多く、ましてや電車などではブログを書くことが多いので、ついつい降りる駅がわからなくなってしまう。そもそも東武東上線は急行とか準急とか、電種によってとまる駅とそうでない駅があって、私が乗っているのは急行という電種で、子供のころから何の気なしに乗るといつも急行だから急行にはなじみがある。もっと都心よりの人は準急だとか普通に馴染みがある。しかし朝霞という駅は急行がとまるのか私には不明だった。しかもよく考えると朝霞台という駅だったかもしれない。私は出かけるといったら川越か、池袋がほとんどだったから、東武東上線の急行とは川越をすぎるととまる駅とそうでない駅がランダムだから難しかった。ドアの上にはとまる駅のイラストが掲示してあって、いろんな電種がとまる駅は大きく、普通しかとまらない駅は小さく書かれている。大きい駅は政治的影響力も大きい駅に見えた。私が乗る駅も大きい方だから誇らしかった。朝霞台はどのくらいの大きさなのか、調べようと上を見たら、表示そのものがなかった。今の人はみんなスマホで調べるから、掲示する必要がないという判断なのか。なくなってしまうと寂しい。私は電車内ではよくぼんやりすると述べたが、この駅の大小を見上げることが多かった気がする。下を向くと吐き気を催すことがあったからだ。

帰りは、しかし、駅の表示はあった。そこで新しい「Fライナー」という電種が最近追加されたことを知った。そういえば一緒にサッカーを見た友達も「Fライナー」がどうとか言っていた。私がfktackだから、からかっているのかと思った。「俺が乗れば全部Fライナーだよ」と答えたが、完全に的外れな回答だった。しかし私たちの友情関係がそれによって崩れることはなかった。友達は赤いユニフォームを着て、終始
「サイドあいてる!」
「そうそう! そう!」
「風が....」
とか応援していてちょっとおかしかった。私も
「おしい!」とか、
「くっ」
「やばかった」
とか言ったが、いかにもわざとらしく、心中では苦笑していた。何か言わないと、友達が気を遣ってしまうんじゃないかと心配したのである。全体的には退屈な試合であった。熱心な応援を眺めるのはいくらか愉快だったが、負けそうなチームを最後まで応援するのはしんどそうだった。私がその中にいたら、絶対態度に出て、団長に殴られるかもしれないから、S席で良かったと思った。S席は中東系の中年の人が自撮り棒で記念撮影をしたりして、比較的長閑だった。

そうして友達と別れ、再び東武東上線に乗った私は「Fライナー」というのを知ったが、それがどこを走り、どのような駅に止まるのか見当がつかずに戸惑った。しかも東西線とか色々な線路に乗り込むらしく、駅の表は、私が子供のころに見た物よりもはるかに複雑になっていて、見る者が簡単に情報を得るために記号化されている部分もあったが、私にはそれが異国の文字に見えた。私は思い出した。私は子供のころ、祖父母に長期休みのたびに玩具を買ってもらい、特にトランスフォーマーが好きだった。色んな種類のトランスフォーマーが揃い、ある日それを見た父が、
「また同じ物を買ってもらっている」
と私を揶揄した。しかし私からしたらどうしてこんなに違う物を、「同じ」と言い切ってしまうのか、大人とはこんなにも愚かなものなのかと、情けなくなった。

私は人生のどこかの時点で上記のことを忘れてしまうべきだった。しかし忘れることができなかったので、いつかは父のようになってしまうのが怖かった。Fライナーがどこを走るのか見当をつけられない私を若い人は、
「イニシャルが同じだからって親近感を抱くのは勝手だが、本質はまるで理解していない。あなたはとても愚かな人だ」
と判断するのだろう。それが悔しい。

なんで毎日ブログなんてかかなきゃならないのか

お昼にカップラーメンを食べてから二階に行き、少し本を読んでうつらうつらしてから、やがて寝た。すると今日は風の強い日で、窓にかけられたレースのカーテンがフレアスカートのように風を受け止めてふくらんだ。必然的に下の方にスペースが開き、そこから日の光が差し込んで私のまぶたがまぶしい。代わりに風が直接体に当たって心地が良かった。

「正しいことをしようとすれば孤立する」

というタイトルで記事を書こうと思ったが、以前にも書いた気がする。特にひねりのない、字句通りの内容で私の経験則である。そういうことが実際にあった。万人が正しい行動、考えを持っているわけではなく、万人は多くの人が支持していれば正しいと錯覚する。そして「多くの人」も主観的な尺度によって反応するのである。私がたまたまそういう人生だった、というだけの話だろうか。私は20代の頃に、わりかし個性的な人と関わることが多く、これだけは誰もがAというだろう、と高をくくっていた考えすらも、真逆のことを言い出す人がいて、あ然としたことがある。

私は最近「理解できない」という言葉が嫌いで、よく考えると昔からこの手のことはよく言われる機会があったから、昔から嫌いだった。理解できないとは、理解しようとしないという意味であり、自分の価値観が反転する恐れから出る自己防衛の言葉と私は解釈する。少し前に「久保みねヒャダこじらせナイト」という番組で視聴者が
「......と感じるのは、私だけでしょうか?」 という言葉で締めくくる投稿をしていて、内容は忘れたが、MCの三人はこの締めの言葉が気に入らずに、
「少なくともこの人は「私だけ」とは思っていないはず」
と批判していた。「久保みねヒャダこじらせナイト」とは、三人組の番組なのです。この、「私だけ」と私のいう「理解できない」は同じニュアンスなのです。

それで、ここまでのことをなぜ考えたのかと説明しますと、一昨日に煙草のポイ捨てに苦言を呈した人に対して、「ポイ捨ては地域の絆を深めるから是である」という主張をした人がいて、これだけだと頭のおかしい人の主張だが、要するにポイ捨てされた吸い殻を地元の人が何月何日の朝にゴミ拾いをしましょうよ、みたいな行事をやって、そこでオレンジジュースを振る舞ったりして地域の人たちはそこで親睦を深めるから、ポイ捨ては悪いイメージしかないが、こういう副次的なメリットもあるのですよという主張だった。

奇しくも今朝私の住んでいる地域が資源回収をやっており、それは小学三年以上の子を持つ親が分担して各家庭のゴミを集めてまわるという行事で、車で集める。私の家は妻の軽自動車で集めるからいくらも積めず、しかも今回は私もたまたま仕事が休みだからといって車に乗り込み、圧倒的にゴミより人の方が多かった。私の子供の、シカ菜も乗っていたからだ。だけれども、粋がった親が軽トラックでぐるぐる巡回するから、私たちは単に
「助かりますー」
とにこにこしていれば済む話だった。しかしシカ菜は不満であり、理由をきくと、資源回収とは、近所を歩いて回って吸い殻を拾って集める行事だと思いこんでいた。だからがっかりした。私は少しでも彼女の不満が解消できるように、軽めの新聞の束を運ばせた。私は腰が痛いから、軽い物でも持ち上げたくなかった。そういえば私も子供のころに近所のゴミ拾いに、朝6時半に起きて公民館までの道すがらゴミを拾いながら歩いたが、田舎だったからゴミなどなく、仕方なく枯れ葉とか、あとは枯れてないのもむしって袋に入れた。そうしたら元防空壕の公民館で区長が私にバヤリースオレンジを渡してくれ、しかし私はうしろめたかった。

私は何が言いたいのかというと、つまり煙草のポイ捨てを是とする人は、いつまでも過去に縛られたままの孤独な人だ。

ふくらんでいる派

最近とんと投稿しなくなってしまったが、周りから見たら私は「ふくらんでいる派」と思われているのだろう。この「派」とは印象派とか白樺派みたいな意味合いの「派」である。平たく言えばズイショさん仲良しグループである。ふくらんでいる派は絵や写真、派手な見出しをあまり用いずに、ひたすら平文でがしがしやっていくのが特徴で、あまり結論にこだわらず話の脱線やわき道にそれることを歓迎する。もちろんこれは傾向であり私の好みであり、そうでない人もいるだろう。私は「ふくらんでいる」に投稿した人のブログをすべて読んだわけではない。

そういえば昨日あじさいさんの記事を最後まで読んだら、ここまで読むなんて暇人だねみたいなことが書かれていて、そうか自分はこれを読むくらいの心の余裕はキープできているのかと思った。色んなブログという名の素人の文章を読んでみて、思ったことが私にありそれはあまり読者を意識した文章はつまらない。「こんなこと書かれても困りますよね?」みたいなこと要所で問いかけてくるのがあるが、「いいから続けろよ」という気になってそこで気持ちというか読解のテンポが悪くなる。そういうのってとても自己愛の強い文章に思える。

あじさいさんのブログはその対極にあり昨日読んだものは広島東洋カープと、競馬の話があったが私は野球も競馬もほとんど見ないからぜんぜん面白くないのかといえばそうではなくて面白い。そういえば去年は広島東洋カープを応援するブログというのがいくつもあって、それは去年は優勝する可能性が高かったからだろうか? 実は私は野球をみないくせに野球について書かれた文章は好きで、今も楽天を応援しているブログを読んでいるがこれも読者が楽天ファンかどうかお構いなしに書かれているから、読んでいて気楽だ。投手の名前はほとんどおぼえてしまった。楽天の中継ぎはイマイチのようだ。

一方去年の広島を応援するブログは広島東洋カープが周囲の予想に反して勝ち星を上げられずに下位に沈むと、ついには
「僕が記事を書くせいで広島が負けるような気がするので、更新をやめます。すみません」
と書き残し、記事を非公開にしてしまった。それは5月くらいの、わりかし早い時期で私はこのブログの主が気の毒になってしまった。しかし、それでもファンか、という気持ちもないわけではない。すべて自意識が悪い。

装置としての小説

小島信夫「寓話」を読んでいる。また同時進行でプルーストの「失われた時を求めて」を読み始めた。死ぬまでに一度くらい読んでおこうと思ったのである。読み始めるとすぐに、
「もももももー」
と私の記憶がどんどんあふれ出てきた。読んでいるのが文字なのか記憶なのか、どちらが主導権なのか曖昧になった。不思議な装置である。私はお寿司のことを思い出した。お寿司とは、小学五年か六年のとき、たまたま隣の席になった背の高い女に、あるとき好きな食べ物を訊ねたところ、
「うーん、あたしはお寿司」
と答え、私はちょっと感動した。たぶんそのときは小集団でリーグ戦みたいに順番に自分の好物を披露していて、みんなオムライスとかステーキとか、洋食ばかりだった。小学六年とは、ちょうどお寿司を低く見る世代なのである。そんな中、背の高い女は
「お寿司」
と堂々と答え、私はカレーライスと答えた自分を恥じた。というのも私の家はめったに外食をしない家庭で、たまに寿司をとるくらいだった。寿司はサビ抜きとそうでないのがあって、夫婦は子供の成長に合わせて皿の組み合わせやサビ抜きの割合を決めた。何故なら子供はワサビが苦手だからである。私は長男であり、最初のうちは大皿二枚を家族五人で食べていたが、すこし成長すると中皿を一皿頼み、それがサビ抜きで私専用の皿となった。さらに成長すると私は両親と同じグループに所属し、中皿は妹が担当した。大皿はどれもサビありで、幼い弟のぶんは、母がわざわざワサビを箸でとって食べさせていた。なので、皿の組み合わせを見れば、私の家の歴史のどの辺りなのかだいたいアタリをつけることができた。母の醤油皿のふちは、ワサビまみれなのであった。

私はふと走馬灯のことを考え、例えば未来でも過去でも、タイムマシンで行くのはとても難しいし無理かもしれない。しかし、死ぬ前の走馬灯の編集ならば少しは自分の好きにできるのではないかと思った。もし可能であれば、私はもう一度背の高い女の
「うーん、あたしはお寿司」
が聞きたいと思った。

2.

「寓話」は浜中という青い目をした旧日本兵の妹の手紙の場面となり、それはとても長い手紙で、手紙のようには見えない。語りの中に会話が入ってくると、一体どちらの台詞なのか容易に判断できない。妹は兄の実父の後妻に会いに行き、そこでハムレットの話をするのだが、どちらも一人称が「私」だからややこしい。小説の台詞とは、「」の出てくる順が偶数か奇数かで誰の台詞か判断する根拠になったりするが、そもそもが妹の語りであるから「」が入れ子になっていてじっくり読んでも結局どちらなのかわからない。どちらでもないのかもしれない。しかし「寓話」はこの手紙のあたりから面白くなってくる。この後また別の女性や、その娘がそれぞれに手紙を送ってきたりして案の定「これって誰の手紙だっけ?」となる。私は前に一度「寓話」を最後まで読んでいるが、この手紙の文面を読んでいると、日本語としてもあやしいぶぶんがある。細かいところ細かいところと見ていくと、一体どこが面白いのかさっぱりなのだが、しかし読むのに苦にならない。

ピカソの絵を見て「これなら俺にもできそう」と、前衛的なぶぶんばかり真似するのは、本当はピカソはデッサンも基礎的な画力も優れていて、だからああやって崩せるんだよ、みたいな主張を見かけて、果たしてそうなのか疑問だ。中学のときの美術の先生もピカソの若い頃の自画像を教壇の前でかかげて、
ピカソはこういう絵も書ける。だからすごい」
みたいなことを言っていて、もうその先生の名前も忘れたが今会ってこの話をしても、
「いや、そういう意味では言ってないよ」
と言うと思うが、そういう写実的な誰が見ても「上手」と思える絵をみんなの前に出した時点で違うと思う。もちろんそれは順序の話で、いちばん最初に写実的を出して、
「私の中のピカソは、これ」
と言うのは全然いい。そうじゃなくて、作品の魅力を他の作品で担保するのはいかがなものか、という話である。

話がずれたが、私の経験的に「これならできそう」という感覚は極めて重要で、一方「この人みたくなりたいのなら、まずはこれ」みたいはアドバイスは全く間違っている。そういう人は芸術とスポーツがごっちゃになっている人で、絵を習うのに
「まずは絵筆を支える筋肉を鍛えましょう、腕立て30回」
みたいな滑稽なアドバイスをしていることに、本人は気づかない。

ピカソのなんとかって絵っぽいの書きたい、と思ったらとにかくその絵を気の済むまで真似することを、私はオススメする。例えば他の絵を見るとか、基礎だとかいうのは、気が向かない限りはやらない方がいい。大抵の人は間違ったことをいうので、人の言葉には耳を貸さず、自分の直感を信じた方がいい。直感が「やめろ」と言うなら、それは才能のない合図だから従った方がいい。しかし、直感なのか、誰かの言葉なのか判断つかない場合は、惰性で続けた方がいいかもしれない。「ピカソの絵っぽい」が実は絵とは関係ないものなのかもしれないので、あまり真面目に絵に取り組まなくても良い。