意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

その場しのぎの自分で良い

誰かが誰かを悪く言っているのを聞くと、言われている側を無闇にフォローしたくなったり、どうすれば関係改善につながるかを考えたりする。しかししばらく経つとなぜか仲良くなっていたりして、言われていたほうはともかく、言っていたほうはまるでそんなことはなかったのかのように振る舞って、私としては怒りがこみ上げるというか、混乱する。私は誰かを悪く思うときは、100パーセントの正当性を持って主張をするが、感情に振り回される人も一定数いる。というかそういう人のほうが多いのかもしれない。私の過去には2人くらいそういう人がいて、どちらも苦手であった。私はなるべくならフェアに人と接したいと考えているが、そうすると嫌いなぶぶんと好きなぶぶんを同時に自分の中に存在させなければならず、その安定しなさに疲れる。しかしフェアでなければならないなんて決まりはなかった。

要するにそういうのに振り回されたのが私の半生であるが、要しないと、毎日人に会っている。ところで自分らしさの求め方とはなんなのか。それは他人と自分との差異によって求めるのが正道のような気がするが、しかし自分の定義がままならない。多くはその定義の段階で「らしさ」を織り込もうとする。用意するためには情報が必要であり、結局は踊らされ、行き着く先は押し付けられた自分である。

私は経験至上主義なのだろうか。

何日か前に天職を見つけるためのノウハウが書かれた記事を読んだが、「簡単な」とタイトルについているだけあって、中身については簡単に忘れた。そういえばここ何日か「子供が死ぬかもしれない」と大騒ぎしながら、一方では天職を見つけるためのノウハウを学ぼうとしている。天職、と言われたってそれがどういうものなのかわからない。投下するエネルギーと付加価値の差が最大化する職業ということだろうか。たぶん私のその考えに同意する人なんかいないだろう。好きな仕事、という言葉の響きすらいやらしい。

気が気じゃない2

翌朝私が妻に子供の耳の下にできたできものについて話すと、妻はあまり関心がない反応だったので腹が立った。妻としては、それよりも隣の家が新しい犬を飼いだしたということに関心を奪われていた。数日前に見慣れない犬を見た。それはダックスフンドという犬種であった。それ以前にも犬は飼われていて、どんな犬だかはわからなかったがやはり足の短い犬であった。飼い主は坊主頭の一人暮らしの老人であった。いわゆる穏やかな風貌の老人ではなく、背筋はシャンとして体格はがっしりして車はクラウンを乗り、一癖ありそうな風であった。クラウンは白くてぴかぴかで、塀の一部を取り壊して作られた駐車スペースに縦列に停められていた。私の妻が幼い頃からそこに住んでいて、先に盛り土をして家を建て替えたので、日照を遮られる形となった義父は憤慨して自分の土地にも土を盛るのであった。ちょうど隣家は我が家の南に立っていた。私は土地の人間の家に生まれたから、こうした話は珍しかった。私の友達も後から越してきたのだが、隣の土地まで庭として買っておかなかったことを後悔していた。今はそこに家が建って、やはり日当たりは悪くなった。後悔したのは彼の父親だった。父親は日産のサニーに乗っていた。確かに玄関の日当たりが極めて悪い家で、冬などはとてもひんやりして寒かった。

隣家の犬はいつも放し飼いで、縄につながれているところは一度も見たことがなかった。そのためたまに私の家の敷地に来て勝手に小便をするらしく、そのことが妻と義母の怒りを買っていた。私は私の土地ではないからどうでもいいと思っていた。向こうは犬のやることだし、と思っているのかもしれない。極めて毛ヅヤはよく愛らしさのある犬だった。飼い主はたまに犬を車に乗せ、東北などに旅行に行く。期間や宿など決めず、犬と車中泊をするそうである。私は一度旅に出る直前の犬と飼い主に会ったことがあり、よろしく頼む的なことを言われた。私はどこかで心中するのかと思った。何週間かしたら帰ってきた。

数日前に犬がよそ見した自転車に轢かれそうになるのを見て、この犬がだいぶ年をとったんだと悟った。自転車は中学生が乗っていた。中学生はどういうわけか首を思い切り後ろに向けたわき見運転で、一体なにがそんなに気になったのか、もう少しで犬の長い胴体を踏んづけるところだった。メガネをかけた男子であった。私がいち早く気づき、
「あぶない、あぶない」
と何度も声をかけてようやく気づきすんでのところでハンドルを切って、中学生は
「すみません」
と小声で言った。私たちはこれから神社へ行くところだった。妻が御朱印集めをするためである。私は単なる付き添いで、できれば行きたくはなかったが、子供が「来い」というからついて行った。そのときはまだ出来物について知らされてなかった。もっと幼い甥もいたが、甥は放し飼いにはされなかったから自転車に轢かれそうにもならなかった。
「轢いちまえば良かったのに」
と後から妻が言った。私は少なくとも中学生が気の毒だからそういう風には思わなかった。それから数日たって、見慣れない若いダックスフンドが隣家の家の前の道を放し飼いにされているのを妻は見た。

気が気じゃない

子供が耳の下にできものができたというので、もう死ぬんじゃないかと気が気じゃなかった。今も気じゃない。どうしてこんなことになったのか。私は自分の子供が死なないように、日頃子供の欠点についてよく考える。ちょうどこの前「ゴールデンカムイ」という漫画を読んでいて、そこにアイヌのひとが出ていてアイヌは子供にわざと「うんこ」みたいな汚い名前をつけて、死に気に入られないよう工夫するのである。気に入る、という表現ではなかったのかもしれないが、とにかくあまり良いものではないという風にアピールし、それと私の欠点探しは似たようなものだ。例えば私の子供は太めなので、運動全般が苦手であり、逆上がりもできず、たまには練習につき合うが、むしろこのままできずに育ってほしいとすら思うのである。

調べてみると耳の下のできものは痛みがなければ悪性ということは少ないと書いてあったが、私は少しは安心したが安心できない。それはあくまで確率の問題であって、絶対そうとは言い切れないから。寝る前に聞いたら「痛みはない」というが、「押すと痛い」というから、これは痛みがあるという判断になるかもしれない。しかし体のどこだって、ある程度の力で押せば痛いのだから、これはセーフかもしれない。しかし病院には行っておいた方が無難だろう。そう考えると「痛みがなければ」の痛みが何を指しているのか不明で結局なんの解決にもならず怒りがこみ上げてくる。しかしインターネットに頼り切るのはおろかだし、私が動揺しているところを見せてもアレなので目をつぶって寝た。子供は昼寝をしていて、その前は宿題でかなりヘビーなのをやっていたから疲れて寝たのだ。私からしてもかなりヘビーな宿題だった。絵も文もあるやつで、37歳の現在の私が課されても、かなり憂鬱になる宿題だ。しかし私の子供はずいぶんと頑張っていた。少し頑張りすぎではないか、と今となっては思う。「頑張り屋」というイメージを相手に持たれては、死んだ後になんと言われるか容易に想像できて、それこそ死に一歩近づいてしまう。「頭がいいぶん、少しズルいところがある」みたいな評価がよい。その点私の母はやはり私の元であるからよくわかっていて、以前私が自分の子供を母を喜ばせるためにこういうぶぶんが優れている的な話をしたら、それって普通じゃね? みたいな反応をして驚いた。一世代開くとここまでクールになれるのかと感心した。もともと私自身も親バカなところはなるべく排除して育児にあたっており、赤ちゃん言葉なんてとうぜん使わないし、例えば「ブラジルってどこ?」と訊かれれば「南半球」といった具合に子供用のローかライズした答えに置き換えるなんてことは、少なくとも自分からはしなかった。しかしそんな私ですら母のクールな反応に驚いた。母には本当に人間の心というものがないのかもしれない。私が小学生のときの授業参観で友達を連れて母に
「俺って橋の下から拾ってきた子供だろ?」
と訊いたら平然と「そうだよ」と答えて友達を大爆笑させたのである。私がその立場だとして、ちゃんと言えるだろうか。
「その橋の下には小川が流れていてホタルが飛んでいて、光に導かれて行ってみると乳児の君がいたんだよ」
と、無駄な装飾をつけてしまわないだろうか。そんなことを言ったら周りの子が羨ましがって、私の子の評価がますます上がってしまう。

朝になると少しの間はできもののことを忘れていて、外が雨降っているのかに気をとられた。日の出が遅くなり、外を走るトラックはライトをつけていて、ワイパーが動いているのか見えなかった。ワイパーがたくさん動けば雨が激しいという判断がついた。やがてできもののことを思い出し、私は石を丸飲みしたような気になった。あまりに心配で、ひょっとしたら私は自分の子供に死んでほしいと思っているんじゃないか、とすら思った。

勧進帳

子供とテレビを見ていたら、市川団十郎が子供向けに勧進帳の説明を行っていた。なぜならそれは子供向けのチャンネルだったからである。その前は長靴を履いた猫を、見たことのない俳優が半分ひとり芝居で演じていた。半分、とはたまにアニメーションを挟むという意味合いである。巨人を騙してネズミに変身させ、猫はネズミを食べてしまう。私の記憶ではノミに変身させて足でつぶしていたような。混濁であろう。

私は市川団十郎とその息子についてかなり胡散臭い印象を抱いており、子供向けに優しい口調でストーリーと歌舞伎について語られていたが、どこかて私の子供を騙そうとしているんじゃないかと、気が抜けなかった。勧進帳という話自体も、私は義経に対してあまり良いイメージを持っておらず、それは手塚治虫の「火の鳥 乱世編」の影響であるが、高校三年の日本史の先生も
義経はアカン」
みたいな主張を当時していた。日本史の教師はまた、
「銀行はどんなときも潰したらアカン」
という主張もしていて、これは当時北海道拓殖銀行とかがつぶれたのを受けてな気がする。私はその理由がイマイチわからず、この教師は定年直前でそれ以外の説明もよくわからず、銀行をつぶしてはいけない理由を父に訊ねたら
「どうしてつぶしちゃいけないんだよ?」
と半ギレで質問返しをされてしまった。義経がアカン理由は「火の鳥」を読んでなんとなく理解したが、銀行についてはわかりやすい漫画が見つからず、いまだに理解できない。

2

私の義弟は、お笑いが好きだと聞いた。しかしこの「お笑い」という表現はなんと乱暴というか排他的な表現だろうか。ここでいう「お笑いはとは、お笑い芸人の行うお笑い行為であり、ジャンルの特定の後には好きの度合いをはかるために、「志村けんのDVDを持っている」とか「吉本を見に行く」とかにつながる。趣味の話題の流れである。一方私は「お笑い」はそんなに好きではない。しかしここで好きではないと主張すると、私が笑いを生む一切のいい加減な行為、ゆるい行為が好きではなく、真面目な一本気な人間、悪く言えば融通のきかない人間だと相手に印象づけることに気づいた。私自身は自分が笑ったり、人を笑わせたりするのが好きである。どちらかと言えば笑わせるほうが好きで、それは立場や年齢を問わず、例えば仕事の会議でも上司の前でたまにイチかバチかのボケをかますことがある。イチかバチか、と書いたがだいたい八割くらいの公算でかましている。しかしこういう人間でも、「お笑い、好きじゃないなあ」みたいなことを言うと、途端にお堅い人間のように思われてしまう。お笑いブームと言われて久しいが、こんな弊害も生まれているのである。

ところで昨日は「世界の果てまで行ってQ」という番組を見た。家族がいつも見ているからつい目に入ってしまうが、昨日は女芸人が日体大の集団行動にチャレンジするというので、私は集団行動が好きなので楽しんで見た。前に密着型ドキュメントを見たが、監督がぶちギレたり、選手が脱落したりするところが良かった。私が納得できなかったのは、倒れたか何かした選手がどうしても出たいといって、他にも何人も脱落した人がいるのに、再び戻してしまう場面だった。私個人としてはダメなものはダメ、例外をいっさい認めないというものにエンターテイメント性をかんじるので、ここはやっぱり認めてほしくなかった。しかし全体のまとまりとか、総合的な利益を見れば戻すことが最善だったのだろう。たぶんそういうことではないが、私はそのように考え自分を納得させた。

日焼け止め

外へ出かけたら、最近の気候にはめずらしく日差しが強かったから、日焼け止めを買い求めようと思った。家を出るときに日焼け止め必要だと思っていたが、前に買ったのをどこに置いたか見当がつかなかった。前は地区の役員になって年中芝生の上で縄を引き合う男女に声をかけたりしたから、日焼け止めは必須だった。私は役員だからうかつに日陰に入るわけにはいかなかった。私は他の役員にくらべて運動が得意でなければ、リーダーシップもないので、こういうところでアピールしなければならなかった。

そういえば会社員が出世するためには上司に気に入られなければならないというのを読んだが、これはサラリーマンのステレオタイプというものではないかと思った。オタクとかインドア趣味の人たちがさんざん周囲のレッテル貼りに苦しめられてきたのに、これではお互い様ではないか。媚びるという言葉はイメージが悪いが、誰もが誰かに媚びているのが社会であり集団である。確かに自分に与えられた仕事をこなし、決められた給料をもらいそれ以上はしないというのは私も理想だと思っているし、私はそういう風にしてきた。しかしやはり困っている人がいれば助けてしまうし、できることなら誰にだって良い顔をしたいと思ってしまう。私はそういうときに自己嫌悪を感じるが、しかしあまりにクールに「自分は自分だ」という態度をとられると、ムカついてしまう。そういう人は失敗しても、自分以外の他人が悪いと思っている。

日焼け止めを買い求めるためには、まずはドラッグストアを探す必要があった。最初携帯で「薬局」と検索すると、病院のそばにあるガチの薬局が出てきて困った。私の住んでいるところでは、こうした「薬局」がドラッグストアよりもずっと多いのである。ドラッグストアは処方箋を持って行っても対応してくれるが、薬局にお菓子やお酒は売っていないだろう。やっとドラッグストアを見つけ中に入ったが、今度は日焼け止めが見つからなくてイライラした。店員に所在を確かめると、ばたばたと探しだして、時間に間に合うか不安になった。時間とは子供の発表の時間であった。ようやく見付かった。シーズンではないから、小さなコーナーに移動されていたのだ。

インターネットは私のためにある2

インターネットで行く時間を宣言できれば、初めての場所を訪れる敷居が低くなると書いた。そういうのを昔「歯医者の予約みたいなものです」と例えた人がいた、というのを思い出した。言葉だけで、どんな人が、どんなシチュエーションで言ったかまでは思い出せなかった。やがて思い出した。牧原という、厚手のスーツの男だった。この男が、私の人生を変えた。別に牧原じゃなくとも変わっただろうが。つまり私の人生が変わるタイミングに、彼が立ち会ったのだ。牧原は、
プログラマーは儲かりますよ」
と言った。単なる営業文句だが、私は「そうなのか」と思った。私はプログラマーになりたかった。牧原はプログラマーのスクールの営業だった。私は社会人になって四年くらい経っていたが、そんな上辺の言葉すら見抜けなかった。それは私の経験不足とかそういうんじゃなくて、たぶんそういうタイミングというか、時期だったのだ。あるいは私がお人好しなのだ。だから牧原なんかに大金を巻き上げられたのだ。しかし牧原も被害者であり、結局はただの下っ端であり、儲かったのは社長とかだ。今はそのスクールはもうない。私が通っていたところは雑居ビルの四階にあった。その後の勤め先も四階になることが多く、本当は四階じゃない時期もあっただろうが、もうぜんぶがぜんぶ四階のような気がした。私は牧原と会って数年で三回くらい転職した。どこも合わなかった。社長が新年に自分の挨拶入りDVDを年賀状として送るというのがあって、しかし私は派遣社員だったので、送る対象にはならなかったのでラッキーだった。だけれども新年の抱負みたいな企画は全員書いて提出しなければならなかったので、私は資格をとるとか適当なことを書いた。隣の席の人にすごいですねと言われた。新年の抱負だなんて、まるで学校みたいだ。学校では三学期の目標、とか書いた。サインペンである。フェルトペン、とか呼んでいたかもしれない。縦長の紙で、ちょっとした書き初めみたいな風であった。それを教室の後ろに全員分貼るのである。私は字も下手だったし、そういうのは本当に気が滅入った。私はとにかく書くことに苦痛をおぼえる子供だった。思ったことや好きなことや、あとなんでもいいから書きなさいとかが苦手だった。私は計算のうまいやり方とかを考える方が好きだった。やり方なら、目的地が決まっているから、どんなルートでも到着すれば形になった。そういうのが気楽だった。あと自転車の弟と歩きの兄がどこで出会うとか、そういうのも線分図を書くとなんとなくできた。テスト用紙に式がたくさん並ぶと私は得意になった。プログラムも、そういうかんじだろうと思ったが、少しやったら嫌になってしまった。社長は栃木の人で、この会社がダメでも、俺はたぶん商売はやめないだろうと言っていた。

インターネットは私のためにある

初めてボルダリングをやった。興味はあったが行くまでに何度もやめようと思った。私は人見知りする性格で、初めての人や初めての建物が苦手なのだ。ボルダリングとは壁を登るのだが、そのためには新しい建物や人は切っても切り離せない。友達でも連れて行けばいくらか気楽だが、だんだん鬱陶しくなるのは目に見えている。私は初めての人は苦手だが、初めてでない人は割と得意だからだ。そんなとき、仲良しの人と、仲良くなりつつある人が同時に存在すると鬱陶しい。昔はそういうことが好きで、新しい友達を夜中に山の中へ連れて行ったこともある。仲の良い友達が山の中に住んでいたからである。昔は体力も時間もあった。あと山の中は星がきれいだった。

私の選んだジムはホームページで事前登録ができ、それは歯医者の予約のように「いついつの何時に行きますよ」的なものだと思ったらただの会員登録だった。いつに行くという宣言がネットでできるのは本当に便利だし、気持ちもだいぶ軽くなるし、宣言を行った後は約束を反古にするわけにもいかないから、行ける可能性が100パーセントに近くなる。しかしただの登録だったから、たまたま通りすがりの人がイタズラ心でめちゃくちゃな個人情報を入力したという風に振る舞うことができた。Botだとか。私は家に出るまでも着替えを入れる袋がないとか、進行方向の逆側に建物があるからその道路は中央分離帯があるから、実は一本道に見えてそうでないとか、あと開始が昼過ぎだからそのころには心変わりしてるかもしれないとか、そういうできない理由をいろいろあげつらった。あとブログも更新しなきゃだから、そんなところに行く暇なんかないとか思った。行く前に「行けるかわからない」的なものを書こうかと思った。そこには日本の教育の問題点だとか、あと米国大統領選について書こうとか考えた。しかし行ってしまって今は腕の筋肉がぱんぱんだ。無事に行けたのは今日が寒すぎるというのが大きかった。私の家は暑がりばかりだからいまだに暖房と言えばコタツとへなちょこのヒーターもどきみたいなやつのみで、寒がりの私はとても家にはいられない。やっとの思いで前日の洗濯物をたたみ、とりあえず近所のショッピングモールへ待避した。そこで金をつかった。