意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

話のテンポ

どういうわけか最近電話をすると女が出ることが多い 声としゃべり方から察するに若そうだ 恐縮しているかんじが伝わってくる なんでお前が? みたいな心理なのだろう しかしこちらに用はある 用件はあるがそれにマッチする相手を私はよく知らないから出た相手に実は私も当惑しているのだ 当てずっぽうでかけている 用件を終わらせたいから必然的に下手に出るようになってしまい自然とキモイしゃべり方になる しゃべりながら「キモイな」と思う

「あとで改めてご報告いたしますね」

と言って切って午後に再びかけるが二三言交わすとそのとき初めて改めて報告することなんて何もなかったことに気づいた 相手は「出られなくてすみません」としきりに言う 着信が残っていたから向こうからかけてきたのだ 私は次第に混乱してきてますますしゃべり方がキモくなった よく電話をかけた1日だったがうまくしゃべれないことがほとんどだった 車の好きな人が「運転が下手になった」と言っているときがあって内心(単に雑になっただけだろう)と思ったものだがそれと似ている 私は準備を怠ると駄目なタイプなのだ 買い物をするときに店員に話しかけなければならないパターンだと小銭を握りしめてすべてのセリフを考えるタイプだ いつだって手が臭くなる

今しかない

最近「今この瞬間しか存在はせず過去はない」という感覚を抱くことが増えた 今日はそこから一歩すすんで過去を認められるのはリアリティの濃淡によると考えた 今日その感覚を抱く少し前に3DSゼノブレイドをやっていてこれは10日くらい前に買ったものだ 最初はゲームシステムが飲み込めなくてつまらなかった 闇雲にアクションゲームみたいな素早い操作をしてしまいそういえばこのかんじは初めて「トルネコの大冒険」をやったときと似ている ピンチになるとボタンを連打してより窮地におちいってしまうのだ ゼノブレイドも最初は「敵の動きを見ながら仲間の体力にも気を配り適切な判断をするなんて至難の業だ」と思ったがインターネットを見たら「敵の攻撃は基本よけられない」とあってそれで気が楽になった 確かにどんなに距離をとっても相手にロックオンされたらダメージは食らうし逆にこちらの攻撃もボタンを押せば変なほうに刀を振り回しても相手に当たっている 最初のうちは必殺技の説明の「横から当てると特効」みたいな文句に振り回されて勝手に動く仲間がべしべし敵を倒して疎外感をおぼえたがじょじょにコンビネーションも決まるようになった 未来を教えてくれたりするのは鬱陶しい あと仲間がわちゃわちゃおしゃべりしながら戦っていてうるさい お互いに励ましあったりするのが気持ち悪い 会社でもやっていてそのときは音をミュートするから気づかなかったが家でやるといちいち「楽勝だ!」とか言うからうざい 強い敵と戦うのは楽しい


ゲームの中の時間感覚はずれていて仲間が「早く弟を助けなきゃ!」と焦るくせに寄り道をしてどうでもいいお使いに精を出していても怒られることもなく「これは出番かしら?」なんてのんきなことを言っていて最初は当惑した あまり寄り道しては悪いと思って助けに行ったがおかげですっ飛ばした敵などが出てしまい後から倒しに行くとこちらが強くなってしまいぜんぜん歯ごたえがなくつまらなくなってしまった 以来マップ上をくまなく探索してから先へ進むようになったが仲間に加えゲストキャラなども引き連れた大所帯なのにあちこち連れ回してしまうのはいつも気が引ける キズナだのジェムだのやることが多過ぎでかったるいがその辺は割り切ってあまりいじってない 装備もたまに数字だけ見て変えるくらいだ 昔「フロントミッション」というロボを出撃させるゲームで大砲や装甲を組み合わせるだけでお腹いっぱいになってしまいほとんど出撃できないままクラスメートに借りパクされた反省が生きている 借りパクした人は中途半端にグレた人で「ジャニーズに入りたい」とか言っていて確かに中途半端にグレたかんじが中居君に似ていないこともなかった


ここまで言葉をつくせば過去は存在するだろうがやがて消える

スターウォーズのパーカー

昨日は子供の音楽発表会だった 全校生徒が体育館にあつまり歌だの楽器だのをやる 一年生が一番前で横並びになって以降二年三年と続く その中に自分の子供の頭もあるが後頭部しかない 楽しみだとかの前に寒いしかない 今年からでかいストーブみたいなのを学校は購入したが生徒のほうばかり向いていて親に恩恵はない それでも休憩になって扉が前回になってみんながトイレに行ったりするとものすごい寒気が入り込んできてストーブもまるっきり意味がないわけではなかったんだとわかる 始まると先生がストーブの前を陣取ってずるいと思う 若い女の先生だ 子供の学校は若い先生が多くみんな一眼レフを首から下げて自分のクラスの番になるのiPadで動画を撮影したりする 六年の担任はやはり若い男だがカメラは小さいゼロ眼レフのカバーが水色のやつで別の先生に呼ばれると近くの生徒に「これ持ってて」という具合にぽんと渡して帰ってくると返してもらった 一眼レフを首から下げている人は金メダルでも下げている気分なのだろう 休憩になるとその先生の周りには男女問わず人が集まってきて小さいカメラだから親しみを持てるんだろうと思った まだ若いから生徒は兄のように慕っている 年齢の力は思いのほか大きくずっとこれでいけばいいとそのときは思うがある日とつぜん再現不能となってしまうのである その輪から外れたところに小太りの男子が立っていて彼は紺色の「STAR WARS」と書かれたパーカーを着ていた それまでは黒色のフリースを羽織っていたが本番が近づいてきたから脱いだのか 彼は色白で寒さのせいか顔も青白くこの音楽発表会にかける気合いは半端ないものであるとかんじさせた


六年生は合奏でステージの端のほうでふてくされたように突っ立っているだけの女子の2人組が印象に残った

酔っ払って行くお店

さっき有吉の番組を見ていたらよく酔っぱらって行くお店がどこだったのか後から思い出そうとしても思い出せないみたいなことを言っていて私もそういうお店が一軒あることを思い出した そこはかつて何度かやったオフ会で行ったお店で最初のときに連れて行ってもらったときに気に入ったので次も連れて行ってもらった 合計2度か3度行った いわゆる「バー」と呼ばれる場所で地下へ降りるらせん階段の先にドアがあり店内はオレンジ色の照明がつけられている そこでいつも安いウィスキーを飲んだ 連れてきてくれた人がいつも「これが安いですよ」と教えてくれるのだ 一度女の子を連れて行ったときにスイカの入ったお酒をすすめていて私はスイカなど興味なかったがスイカを食べた気がする その子はそれから少しして結婚をして海外へ引っ越してしまった 飲みに行ったのはそれほどの昔ではない気がしたが時間はずんずん過ぎるのだ お店に連れてきてくれた人も最後に会ったときはひどく頭髪が薄くなっていて原因はストレスだろうと誰が見ても思うようなナリをしていた もちろんそのときもそのお店に行き私は特にストレスの原因を探るようなことをせずいつものふざけたことばかり言う私だった 私は臆病なのだ よく本人が話すまではそっとしておくのが良いみたいなのがあるが例えば私が傷ついたときに土足でがんがん踏み込んで来る人がいるとむしろありがたいと思う気がするのでそっとするのが必ずしも正解とは思えない しかしそれも昔だ

かまくらをつくるのは楽しい

月曜に雪が降って火曜にかまくらをつくった と書くと歌の「一週間」みたいだ あの歌ではたしか風呂を沸かす日と入る日が別々で「冷めないのだろうか」といつも思っていた 寒い地方だから沸かすのも一仕事なのだろう こちらもあまり雪の降らない地域なので雪の降る日とかまくらを作る日は別なのである 子供につくるように言われ嫌々やり始めたがやり出すと熱中してしまう そういえば子供の頃からかまくらに熱中していた 雪だるまなら30分も雪をまとめればできるがかまくらは中に人が入らなければかまくらではないから相当の雪がいる 前述のとおりそこまで積もらない地域だからそこらじゅうから雪をかき集めなければならない 前日に義父が雪かきをした山があったのでそれを崩すことにした 子供の頃はそれこそ雪の玉で家を一周して雪を持ってきた 雪の玉を転がすと道具を使わなくても量を運べるが雪の下の地面もめくってしまい雪が汚れてしまうのが難点だった 今回は義父の山をソリに積んで運んだ すでに子供が山を作っていたのでそれを拡張し途中からそこに横穴を開け始めた 穴を掘るととうぜん穴のあった場所の雪が余るのでそれを山の拡張にあて拡張した分穴を広げられるので少ない雪で大きなかまくらをつくることができる これは雪のあまり降らない地域の人の知恵だ ふとこれはアキレスと亀みたいだと思い穴の広がりが壁を突き抜ける前にそこにあった雪を上積みすれば無限に大きなかまくらができる計算となる


ところで無限大という言葉があるがこれは一口大と同じ大でしょうか

話の長い人

今日は話の長い人が多くて参った 6時をすぎて突然人々の話が長くなった しかも内容が「話の長い人」についてだった 一時間も二時間も喋るという それはクレームだった 話してくれたのは営業で長く続くクレームについて「武勇伝」と表現した あるいはこの会社は客からのクレームを武勇伝と呼んでいるのかもしれない 隠語的な 


たくさんの話を聞きながらあるいは私は人の話を聞くのが上手になったのかもしれないと思った 家ではだいたい妻と子供が同時にしゃべってくる どうしてどちらかが遠慮しないのか不思議でしかたがなくなる かつて村上春樹がどこかの著書で聞き上手はそうはいないみたいなことを書いていて聞き上手とは違うが「風の歌を聞け」では主人公の子供のころの回想で少年の主人公が失語症みたいになってそこにウィットのきいた医者が対峙するみたいな話があった あるいは小説家は人の話を注意深く聞ける人というのがあった気がする とにかく聞き上手が貴重な存在であることは私にもなんとなくわかっていた しかし最近ではいかに上手に主張するかみたいなのばかりで話を聞くためになんとかみたいなのはあまり目にしなくなった