意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

正月は心ここにあらず

正月も毎年変わり映えしないから飽きてしまった。私は今年は厄年だというので、厄払いをすすめられたが、馬鹿馬鹿しいので断った。それは趣味の問題だと思うから私以外の人が「厄払いせねば!」と意気込むのはいいと思う。お互い干渉しないのがいちばんである。それより屋台で食べたケバブが美味しかった。褐色の肌の人がハイテンションで「大盛にしといたよ!」というから私は「ありがとう」と言った。素手でパンを持つから人によっては嫌がるだろうなと思った。この前職場で豚汁パーティーをしたら、
「私他人がにぎったオニギリ食べられないんです」
という人がいて私はニコニコしながら「OK」と言ったが、当日彼女のところにオニギリを何個も配った。私は彼女のことが好きだから、そういうことをしたくなったのである。

厄払い会場から駐車場までは遠かったので、天気も良く、その間を歩くのは気持ちが良かった。わざわざおみくじなんかしなくても、それが何かを表しているようにも思う。

読まれるかもしれない

カクヨムで小説を書くようになった。そこには読者が二人いて、二人というのは現実の顔見知りの二人でネット上で読む人はいるのかもしれない。とにかく私の書くスタイルはそういう形になった。感想というのはとにかく自分の言ってもらいたいことを待つだけでそれ以外の言葉は聞き流してしまうものである。今はこの二人だけのために書いている。職場の人で、ほぼ毎日顔を合わせている。その人たちの心に、あるいは人生にひっかき傷を与えるように書くのは、ここ数年、得られなかった感覚だ。いいとか悪いとかではなく、新鮮だ。


しかし一方で書くことは制限される。その人たちに嫌われることを避けようとしてしまうからそれが窮屈だ。なので数日前に「近況ノート」というのを書いた。これはなんだかよく分からないがとにかく書いたが特にお知らせはせずに置いといた。そうすると読めないことはないが、気づかれずに残る可能性があるのである。そういうのがヒヤヒヤして楽しい。別になんらきわどいことを書いたわけではないが。

歩道橋(10)

環さんと4日目から連絡がとれなくなった。課長には音信不通の件は伏せ、「風邪をこじらせたようだ」とだけ伝えた。課長は環さんが誰だか、あまりわかっていないようだった。人が多すぎて誰が誰だかわからないのだ。従業員は50人いて、稼働当初予定していた人数の2倍になった。どうしてこんなに人が必要なのか、会社側は全く理解していなかった。ただ、溜まった商品を流すために、薪を火にくべるみたいにどんどん人をとった。私も何度も本社に呼び出されて聞き取りをされたり、レポートを提出させられたが、私自身も工場内で何が起きているのか、わかっていなかった。ただの商品管理に現場監督は無理だったのである。課長は私よりは状況をわかっている風に私に指示を出すが、私はその半分もこなすことができなかった。私はそれについて最初は反省をしていたが、だんだんと課長のほうが無茶苦茶を言っているんだと思うようになった。課長は指示さえ出していれば、自分の仕事は済んだと思っているのだ。

私の精神は当然ながら消耗した。2週間に1度はさばききれなかった商品の受け入れ先を探さなければならなかった。それは他の工場だったり、新たに探し出した倉庫だったりした。他の拠点の工場長が「君はもうよくやったのだから、早く役から降りた方がいい」とアドバイスをくれたことがあった。確かにそうかもしれないと私は思った。高田馬場に通っていたときのことを繰り返してはいけない。私は仕事がしんどくて、昼休みによく神社の石段に腰かけて泣いていた。今は泣きはしないが、夜の公園のブランコに腰かけて辺りを眺めたりした。S区の公園にはプールがあって、もう少ししたらそこで泳ぐ子供の姿が見られるのだろう。季節は6月だった。私は翌日メモの切れ端に自分のIDを書いて、環さんに渡した。返事がくるまでに何日かかかり、私はその間絶望的な気持ちだったのは言うまでもない。諦めかけた頃にメッセージがきて、そこには「やっと子供に設定してもらえました」とあった。彼女はSNSに疎いのだ。

私は早速昼間課長に言われたことを伝え、ちょっと仕事を辞めることを考えていると伝えた。
「そうですか......。そんなにしんどいのなら、仕方ないかもですね」
「ごめんなさい」
「じゃあ、わたしもやめます」
「いや、環さんは残ってよ」
「イヤです。福園さんがいなきゃ、つまんないもん」
「もっとちゃんとした人が来ますよ」
「そんなの辞めるあなたには関係ないでしょう?」
「そうだけど。でもやめられたら後味悪いっていうか」
「福園さん、それはわたしも同じです。少しはわたしの気持ちも考えてよ」
気持ちを考えてほしいのはこっちなんだけど、と思ったが黙っていることにした。
「じゃあ、あと1週間くらいがんばります」
「良かった。応援しますよ。課長なんかに負けないで」
「敵ではないけどね」
「わたし、あの人苦手。話しているときベロ出すんだもん。いやらしい」
なんだか真面目に話しているのも馬鹿らしくなってきたが、私の心はいくらか軽くなっていた。それから私は帰り道に頻繁にLINEをするようになった。だいたいは私の愚痴だが、たまに環さんの愚痴だったり、あるいは職場の改善提案がなされたりした。

環さんと連絡がとれなくなって以降、LINEも既読にはならなかった。

歩道橋(9)

「あなたもよく知っているとおり、Nはわたしの元教え子です。教えていたころは高校生で、大学進学が決まってから、わたしたちと一緒に遊ぶようになりました。講師が元教え子を連れてくることはよくある話です。おかげでグループはどんどん大きくなりましたが、その中で合う・合わないがあったり、別のグループができたりして以前のようなまとまりはありませんでした。わたし自身も教員採用試験を受けるために、あまり以前のように遊べなくなってしまいました。

Nはあなたの小説には「ミキちゃん」という名で登場します。もちろん、Nのモデルがミキちゃんかどうかについては、あなたにしかわかりませんね。わたしが勝手にそう思っているだけです。けれど、わたしはNはミキちゃんと確信しています。例えばNの誕生日に髪留めをプレゼントしたりとか。髪留めを提案したのはわたしでした。わたしが西友の一階の雑貨屋にたくさん売ってるからと教えてあげました。別にいじわるでそうしたわけではなく、友達にあげるのならその辺が無難だと思ったのです。「十字路」を読むと、あのとき福園さんがどんな風にわたしを見ていたかよくわかります。でも、わたしはNのことを可愛がっていたし、その子にあなたがプレゼントしたいと思うのは嬉しかったんですよ。

そういえばまた話が脱線しちゃいますけど、ひとつ言わせてください。わたしは塾長の沢松さんと関係を持ったことはありません。もちろん、あなたは話はフィクションだし、わかりきったことだと言うのかもしれませんが、あなたはきっとパートさんにもはっきり言わないつもりでしょう? だからこの場できっちり否定させてください。そもそも沢松さんは独身なので、もし関係を持ったとしても、それは不倫には当たりません。

話を戻します。あなたとNが付き合いだしたと聞いたときも、それほどショックは受けず、むしろ祝福したい気持ちでした。わたしとNは本当に仲良しで、実はNが高校生のときから度々あなたのことを話題にあげていたのです。「すごく変な人がいる」て言いながら。なにせあなたのブースは賑やかでしたから、Nもすぐに福園さんのことがわかり「今日寝癖がすごい」とか報告してくるようになりました。初めてあなたと初めて遊ぶことになったときも、Nはとても喜んでいたのです。福園さんは、Nと初めて遊んだときのことをおぼえていますか? ゴールデンウィークのバーベキューのときです。あなたは夜勤明けで遅れて不機嫌そうにやってきて、赤いTシャツを着ていました。髪の色もかなり明るかったです。
「自分で染めたらまだらになって、美容師にこっぴどく怒られた」
と愉快そうに話してくれました。「こっぴどく」の言い方に、わたしもNも爆笑しました。Nは福園さんの雰囲気に最初引いていましたが、すぐに打ち解けました。5月の頭なのに気温が30度を越え、福園さんは終始「だからバーベキューはイヤなんだ」と文句を言っていました。始まってすぐに日焼け止めを貸してあげましたが、適当に塗るから顔は真っ赤でした。「じゃあ来るなきゃ良かったじゃん」とわたしが言うと「でもNちゃんに会いたかったから」と照れくさそうに言いました。

日が暮れてから秩父にドライブしようとなりましたが、途中でめんどくさくなって帰りました。Nは福園さんについて「思った通りの人だ」と喜んでいました。

福園さんはNに髪留めをプレゼントして少ししてから、Nに告白したとの話でした。わたしはあなたの報告を受けるまで、本当にあなたの気持ちを知らなかったんですよ。だから、メールを見て、もっとちゃんとした物を選んであげれば良かった、と少し後悔しました。

歩道橋(8)

Nとは人の名前でもちろん由真のメールでは名前が記載されているが、小説に載せる際に私が置き換えた。イニシャルではなく、記号である。Nがどんな人物なのかについて、もちろん私はよく知っているが、この場での説明は控え、由真の話を待ちたいと思う。
由真の「メール」を小説にすることを持ちかけたとき、由真は細部は変えてもいいが、大筋についてはそのまま掲載してほしい、と条件を出してきた。私はそのときNについても書くのだろうと予感した。由真は私がNについて、嘘をつくことを恐れたのである。

「由真はなんだか、ずいぶんもったいぶる女なんですねぇ」
前回の「メール」を読んで、環さんがそうLINEしてきた。
「そうですね。たぶん、Nについて書くのを避けたいんだと思います」
(意味不明、のスタンプ)
「ちょっと意味がわかんないです。書きたくて書いてるんじゃなくて?」
「そうなんだけど」
「福園さんはNを知ってる?」
「知ってます」
「誰なの?」
「それはとりあえず、由真が言うのに任せようかと」
「ふうん」「女?」
「ノーコメントで(笑)」
(ガーン! のスタンプ)
「じゃあいいです。もう聞かない」
「たぶん、自分が言うと、由真のメールの意味がなくなっちゃうから」
「福園さんも、もったいぶるんですね」
「ごめんなさい」
「謝らないでください。わたし、思ったこと言ってもいいですか?」
「はい」
「由真は、ひょっとして福園さんの身近にいませんか?」
「え?」
「愛人、とか」
「だとしたらどうします?」
「最低」
「由真とはずっと会ってません。それは彼女の話の通りです。自分は、彼女がどこに住んでるかも知らない」
「なら良かったです」
「良かったのかな?」
「由真も、何か嘘をついている気がして」
「この前は『福園は嘘つき』て言ってたよ」
「わたしが?」
「肝心のことを言ってないって」
「いつ?」
「小川さんの送別会のとき」
「全然記憶ない。飲み過ぎたのかな」
私は内心安堵した。あるいは、忘れたふりをしているだけかもしれない。
「甘えちゃったのかもしれない」
「誰が?」
「わたしが」
「ふーん」
「とにかく、わたしは福園さんのこと信じますよ。福園さんは実在するんだから」
「でもいつまでいられるかわからないけどね」
「またクビになるって話ですか? 飽きました。福園さんが課長に気に入られているのは明らかです」
「気持ち悪いこと言うなよ。吐きそう」
「そういえば体調はどうなんです?」
私は風邪を引いて、仕事を休んでいた。
「良くなってきました。洗濯機も3回回せた」
「は?」
「いや、晴れてたし」
「ちゃんと寝なし!」
「明日は仕事行きます」

なんて言いながら熱が下がらず、その後も2日も休んでしまった。金曜の朝、バスに乗っていると知らない番号から着信があった。バスを降りてからかけ直すと環さんで、休むことの連絡だった。
「ごめんなさい。わたしも風邪引いちゃったみたいで」
電話の環さんは鼻声だった。休みの連絡はLINEではなく、電話で行う。
「福園さんは、だいじょうぶ?」
「今日から復帰しました」
「良かった。みんな寂しがってましたよ」
「うつしちゃったのかな?」
「LINEでも菌が飛ぶんですねぇ」
「ていうか、誰の携帯でかけてるの?」
「あれ? あそうか。これは、わたしのじゃない」
そう言ってすぐに電話は切れてしまった。しばらくかかってくるのを待っていたが、そのままだった。用件は済んでいたので、私の方からもかけ直さなかった。

歩道橋(7)

「福園さん

返信ありがとうございます。そうですね、「ノルウェイの森」をわたしが借りたとき、わたしはマレーシアに短期留学することになっていました。当時のゼミの先生の知り合いの家に、ホームステイすることになったのです。飛行機で移動中の暇つぶしがほしいからと、あなたに本を借りたのでした。日本を経つ前日に、あなたと駄菓子屋の脇の塀の前で待ち合わせたのでした。どうして忘れちゃったんでしょう? 「十字路」の中でも笠奈がアメリカに留学しますね。主人公がそうしたように、福園さんもわたしに絵ハガキをねだりました。でも、小説とちがって、わたしはちゃんとあなたに出しましたよね? 忘れちゃいましたか? でも、わたしも留学そのものを忘れちゃったんだから、おあいこですね。わたしは当時22歳で、その後の人生がこんなに長く続くなんて思ってもみませんでした。10代のうちにおぼえていられたことは、死ぬまで忘れずにいられるんだと勝手に思っていました。

お体のほうは大丈夫ですか? 年末が近づくにつれて、土曜日の出勤が増え、平日も遅くまで残業しているとのことですが、うまく休まないと、倒れてしまいますよ。朝うまく起きられなくなった、というのも心配です。産業医の面談が来週予定されているとのことですが、今度はちゃんと真面目に受けてくださいね。

春頃にも一度面談を受けたことは、ブログにも書いてあったので知っています。テレビ面談で小太りの医者に「野菜を食べて運動するように」とアドバイスを受け、何のアドバイスにもなっていない、とあなたは嘆いています。その後で
「よくよく考えると小太りは医者ではなく、人事部長だったのかもしれない」
なんて書いています。福園さんのブログは終始こんな風にとぼけていますが、なんだかそのときは、ちょっと怖い気がしました。そもそも精神科医の面談というところで、尋常じゃないかんじがします。あなたはその少し後から、長い「五月病」にかかってしまいました。夏になるまで、休日はずっと横になって過ごしていたと書いています。ブログの更新も、徐々に滞るようになりました。

福園さんは、「みんなを苦しめているのだから、仕方ない」なんて言っていますが、果たしてそうなのでしょうか? わたしはそばにいるわけではありませんが、もう少し周りの方の言っていることに耳を傾け、字句通りに、素直に受け止めた方がいいですよ。なんせ福園さんは独りよがりのところがあって、また、他人の言うことを曲解するクセがあります。

あと、わたしに会いたいという話ですが、もう少し後にさせてください。少なくともわたしの「メール」が終わるまでは待っててほしいのです。そうですね、遅くとも年末までには終わっていると思います。わたしの言いたいことを全部聞いてもらって、それから判断してください。

けれど、これだけ長い文章を書いていると、わたしの「言いたいこと」も、どうでもいいような気がしてきました。正直いって、何が言いたいことなのか、よくわからなくなってきています。福園さんは「由真の文章はとても面白い」なんて書いてくれますが(福園さんは、わたしの方が年上なのに、呼び捨てで呼びますね)、なんだか担がれているみたいな気がします。本当は仲の良い例のパートさんと、わたしのことを笑い物にしてるんじゃありませんか? もちろん好き勝手言われるのは覚悟していますが、そう思うと、なんとなく書き続けるのが億劫になってきます。わたしも「五月病」になっちゃったのかしら? でも今はもう12月です。部屋の模様替えでもして、少し気分を入れ替えます。

でも、福園さんは、ほんとうにわたしに会いたいですか? なんだか福園さんをがっかりさせそうで、正直わたしは怖いです。もう最後に会ってから、13年も経っているのですよ? 変わってないはずがありません。そもそも、あなたは最後までわたしのことを好きになってはくれませんでしたよね? いつの頃からか、わたしはあなたとの共通の友達に
「福園さんと2人で何度も出かけたが、ちっともそういう雰囲気にならなかった」
とこぼすようになりました。もちろん、冗談っぽく、ですよ? おそらく、あなたの耳にも入っていたと思います。けれど、それでもあなたの態度は何も変わりませんでした。

もちろん、それらはわたしの独りよがりで、またある意味卑怯です。わたしが本当にあなたが好きなら、きちんと恋人とお別れしてから、あなたに気持ちを伝えるべきなのです。わたしの彼は当時母親が病気で、わたしともあまり会えていませんでした。仕方がないとわかっていましたが、彼に当たってしまったこともありました。そういうこともあって、福園さんに気持ちが傾いていたのかもしれません。けれど、人の好き・嫌いのバックグラウンドなんて、なんでもいいような気がします。だまされ続ける覚悟があるなら、それはそれでいいのです。

一方で「十字路」の中では、主人公と笠奈はつきあっています。笠奈の気持ちはかなりアヤシイですが、2人でデートをしています。わたしは読んでいて、少し心が苦しくなりました。自分の、もうひとつの未来を見せられたような気がしたからです。わたしは福園さんとお台場にも行ったことはありますが、昼間に行ったことはないし、当然観覧車に乗ったこともありません。もちろん、小説の中の2人は、あまり幸せな風にはなりませんでしたが。それでもわたしは、笠奈がそうだったように、もっとあなたから特別な目で見られたかった。

こんなことを書くつもりはありませんでした。文章というのは、書き続けると、自分をさらけ出さないわけにはいかないものなのですね。もし、不快な思いをさせたらごめんなさい。でも、何にせよ、もう昔の話です。わたしが当時の恋人と結婚し、子供が生まれたことは福園さんもご存じのはずです。あの後に、もうひとり生まれたんですよ。女の子で、小学4年生です。その頃にはもう福園さんとは連絡を取り合っていなかったから、その子のことは知らないはずです。とても頭が良くて、人気者で、クラス委員をやっています。こんなこと言ったらいけないのだけど、わたしは下の子の方が好きです。

話がずいぶん遠回りしちゃいましたね。関係ない話もずいぶんしました。では、そろそろNの話をしましょうか」

歩道橋(6)

「夏になってわたしは福園さんと2人で飲みに行きました。夕方6時に駅で待ち合わせました。わたしは学校帰りで、あなたは家から自転車でやって来ました。イトーヨーカ堂の前の、ゲームセンターの2階の居酒屋だったと記憶します。薄暗くて店内にデジタルジュークボックスがあって、雰囲気のあるお店でした。お通しにはポップコーンが出てきます。「十字路」の中でも主人公と笠奈が飲みに行くシーンがあります。わたしはすぐのこのお店のことを思い浮かべ、読んでいてとても懐かしい気持ちになりました。ジュークボックスにあなたがお金を入れ、ビートルズを流したことがありましたね。「オブラディ・オブラダは人生はブラジャーの上を流れるって歌詞だよね?」と真顔で語っていたあなたを思い出します。福園さんとは色んなところに行きましたが、この居酒屋がいちばんの思い出です。当時わたしには恋人がいましたが、お酒がまったく飲めない人だったので、福園さんと2人で酔っ払うのはとても楽しかったです。あなたは帰り際、いつも「楽しいことが終わるのは寂しい」と弱気になりました。わたしが「また企画すればいいじゃない」と励ますのがお決まりのパターンでした。

それから塾内の他の人とも遊ぶようになって、ドライブに出かけたりしました。小説ではお台場へ出かけましたが、秩父にも夜景を見に出かけたり、寄居の湖へ、肝試しに行ったこともあります。あの頃は今思えば本当にエネルギーがあり余ってたんですね。あなたはコンビニの早朝のアルバイトをかけ持ちしていましたが、夜通し遊んで出勤することも何度かありました。「寝ないで行くの?」と聞くと「30分寝る。まったく寝ないのはツラいから」と答えてきて、本当かよと思いました。その後真っ青な顔をして働くあなたを、からかいに行ったこともあります。あなたは
「バイト終わったらおぼえていろよ」
とにらんできましたが、もちろんその頃には家に帰って寝ています。

そのうちにあなたはコンビニのアルバイトの人も連れてくるようになって、徐々に輪が広がっていきました。その人たちに聞いたのですが、福園さんは当時あまり学校に行っていなかったのですね。何かとても仲の悪い人がいるとのことでした。バイト仲間の中に、あなたと同じ学校の人はいないので、確認はできませんでしたが。わたしが学校について聞くと、あなたは
「週に2回は行ってるから大丈夫」
と謎の答えをしました。一体何が大丈夫なのかさっぱりわかりません。わたしは教職もとっていたから、平日はぱんぱんに授業が入っていて、土曜に授業がある日もありました。宿題やレポートも山ほど出されます。
「レベルの低い学校だから、授業が簡単なんだよ」
とも言っていました。聞くと学生は最初に、分数の割り算を習うそうです。特別な計算ではなく、小学生が解くやつです。
「馬鹿しかいないんだよね。うちの学校」
だから学校へも行かず、バイトをかけ持ちして忙しく働いているというのでしょうか? そうは言っても学校へ行っていない日は何をしているのでしょうか。わたしがしつこく聞くと
「人間関係が面倒くさくて」
と本当に面倒くさそうに答えました。じゃあわたしといるのも面倒くさい? と思わず聞きそうになりましたが、黙っていました。「基本的に人が好きじゃない」とも言っていて、やはり独特な人なんだと思いました。もちろんわたしは傷つきましたが。

福園さんは本を読むのが好きだったんですね。親しくなってくると、やがてそのことがわかりました。学校へ行っても図書館に入り浸るか、映像室へ行って北野武の「ソナチネ」を繰り返し見ているとのことでした。オススメはあるかと聞くと、村上春樹の「ノルウェイの森」と教えてくれました。当然のようにわたしは「読みたいから貸して」と頼みました。あなたは「長いから」と渋りましたが、貸してくれました。わたしと福園さんの家の間のちょうど中間にある、駄菓子屋の脇で待ち合わせして、わたしは本を受け取りました。夏の終わりの午後で、どうしてそんな場所で会ったのか、今ではおぼえていません。福園さんはおぼえていますか? あまりシフトが重ならなかったのかしら。とにかくわたしが到着すると福園さんはレンガ塀の脇で自転車にまたがったいて、これからわたしに貸そうとする本を読みふけっているのでした。

ノルウェイの森」の感想については、笠奈が言ったとおりです。「十字路」自体も、かなり意識したんじゃないかと思うぶぶんもありました。主人公の言い回しとか。

共通の友人が増えてくると、わたしと福園さんがつき合っていると思う人も出てきました。わたしたちはそれくらい仲が良かったんです。飲み会では、わたしが頻繁にレモンの皮を福園さんに投げつける場面が見られました。福園さんは「ふざけんな」と怒りましたが、決して本気で怒っていないことは、もうわかりきっていました。わたしは人数のいる飲み会では、わざと福園さんの遠くに座り、聞こえよがしに福園さんを悪く言ったりしました。
「福園さんには心がない」
当然福園さんにその声は届かないのですが、わたしはなんだかそれが理不尽な気がして、レモンの皮や、割り箸の袋だのを投げつけたのです。
心のない福園さんについて、誰かがそれをオズの魔法使いのブリキの木こりみたいだ、と言いました。以来福園さんのあだ名が「ブリキの福園」、「ブリ園」、「ブリキ」になりました。福園さんは「うるせー」とか「センス0」と言い返しましたが、まんざらでもない様子でした。あなたは注目さえされれば、内容はなんでも良かったのです」