昨日のつづき 3
書いたか忘れてしまったので、同じことを書くのかもしれないが、何日か前に書いたイトケンの村上春樹批判
村上春樹はジャズ喫茶経営から30代になり売文業に転じた後天性の文化ポルノ作家 - Togetterまとめ
について書くが、その中のあまり関係ない人のコメントの中に、売文にしろ芸術にしろ、より多くの人に読まれなければ意味がないから……みたいなのがあり、しかし後からそれをもう一度見ようと思って探したが、なぜか見つからず、もしかしたら私は全然違うところのコメントを拾ってきたのかもしれない。
しかし「多くの人に読まれなければ意味がない」というのは、確かにそうかもしれないが、いくらなんでも短絡的に結論を出しすぎなのではないか、と思う。そうしたら、結局たくさん売れたものが1番良い、ということになる。
最近のニュースでは、EXILEが俺らがjPOP日本代表!みたいなことを言って、炎上した、と見たが、しかし炎上させた人は、EXILEじゃないとしたら、誰がオリンピック、日本代表に相応しい歌手だと思っているのだろうか?
私はオリンピックなら、EXILEかAKBかももクロかサザンあたりがとても相応しいと思う。所詮はスポーツ大会なのだから、「日本の文化をなんちゃら」なんてどうでもいいと思っている。そもそもスポーツなのになんで、歌手がどうこうという問題になるのか理解できない。私はそもそもオリンピックなんてあまり興味がない。
話を戻すと、売れ線狙いでないものが芸術、と定義されるとすれば、詰まる所、作っても誰にも見せないものこそ、芸術である。少し前に「ペドロ・パラモ」という小説を読んだのだが、そのあとがきに、作者は話を書き上げると気に食わないので、すぐに捨ててしまう。ある時友人の小説家が捨てる前に取り上げて世に出したのが、この小説です、みたいなエピソードがあった。だからこの作者の作品はほとんどない、というかこれだけです、と書いてあった気がする。
これが本来の文学、芸術のあり方ではないだろうか。選ばれれば書いた人の意思に反して、勝手に世にでもなんでも出て行く。逆に、自分で「より多くの人を感動させたい」とか思って動き始めたら、そこからあざとさが始まってしまうのだ。