しかしB男、B男、と言うのも今日で最後だ。いや、最後じゃないかもしれない。でも、少なくとも(区切り)をつけたいと思っている。
B男は今日仕事をやめた。朝体調が悪いと連絡があり、私は先週上司に釘を刺されたので、もし出てきたら少しはいたわってやろうと思っていたが、もう来ないだろうな、とも思っていた。私はもうそのことには触れたくなくなっていた。私は朝から不機嫌になりながら機械のスイッチを入れ、ポータブルプリンタのバッテリーを交換した。商品の数が多い上に、冷房の効きが悪かった。しかし、私は寒がりなので問題なかった。
11時頃になって派遣会社の営業がやってきて、B男の契約解除の話を持ってきて、その時にさらに前に辞めた野口についても触れ、ちなみにこの営業というのは中年か老年の女で、私は女というのは、いつだって厳しい話を告げる時は過去のエピソードも持ってきて話全体の迫力をかさましさせようとするのだ。私は小学校時代から女の教師についてそんな風な意見を持っていた。ところでそんな私も大人になって、1年間で怒られる回数よりも怒る回数の方が多くなると、やはり怒るのは気持ちがいい。たしかに怒るのなら過去のことも持ってきて、大規模にやる方が気持ちがいい。祭りや山火事と同じなのだ。
だから私はB男に対して、何か破壊力のありそうな言葉を見つけると、すぐにでもそれをぶつけてみたくなり、早く何かとちらないかなーなんて、待ち遠しくなってしまう。破壊力のある言葉というのは、今となってはもう思い出せないが、覚えているもので「緊張感」というものがあった。
緊張感、と書いてしまうと、その幼稚さに自分でも失笑してしまう。まるで修学旅行前の体育教師みたいではないか。そう考えると、説教のひな形、バリエーションは、小中学校で全て習っているんだろうな、と思う。