絵本のような、漫画のようなものを書いていてそれは若い女が主人公なので目が大きく、しかし私は色鉛筆で書かれた大きな水色の目というのをその前に見ていてそれは片目だけであり、私はそれに不気味さを感じたから、目は小さめに書いた。だからこの話はウケないだろうと思った。目が小さい代わりに口を大きく書こうと思うが、そのぶん首は太くなり、まるでレスリングの選手のようになってしまうのだった。二次元は薄っぺらいからみんな細い首になれているのであった。
その主人公が男友達と女友達とカラオケに行くということになって、そうしたら彼女のお祖父さんがやってきて泣きながら
「行くな、行くな」
と言う。理由を訊いてみると少女は15歳であり、15を3で割ると5でまだ5歳だからそういうところは早いと言う。少女はその前に15になったらカラオケに行ってもよいという同意を家族からとっていたから最初は強硬にでるが、お祖父さんがあまりに泣くから最後は家に帰ることになった。そういう話であったが、しかし読み終えてから女友達がひとり取り残されてしまうことになるが男友達は2人おり、このまま3人でカラオケに行ったら無理やり下着を脱がされるハメになるのではないかと心配になった。しかしそれは書かれない物語であった。ところで私は冒頭に話を「書いた」と述べたがとちゅうで「読んだ」と変わっているが、そういうところが夢っぽいという指摘が入るのかもしれないが、私としては書くのも読むのも大差ないと思っている。書く行為は自分の好き勝手ができるというイメージがあるが、話というのは私の中では最初から完成形が無意識から湧き出てきて、どうにか好き勝手できないかと、もがくものである。好き勝手するとそこから矛盾が生まれその矛盾をつぶしていくうちに、どんどん作り物めいてしまい、すると次第に余計な抵抗をしないのが利口となる。私たちは無意識の奴隷なのかもしれない。だから少女は帰るとなったら帰るし、帰らなかった少女の運命は存在しない。
同時進行で別の夢を見ていたが、忘れるだろうと思ったら忘れた。