たしか同じタイトルで去年かおととしにも記事を投稿した気がするのでお尻に「2」をつけた。私はこのブログを始めてもう三度目の冬なのである。子供もだいぶ大きくなってきたが、下のほうはまだサンタクロースを信じている。信じている、ということになっているが本心は知らない。もう小学3年である。周りの友人などからサンタが親であることを吹聴されていることだろう。私も向かいに住む姉妹が妹のほうが私よりも三歳か四歳か上で、
「サンタなんかいるわけないじゃん、お父さんとお母さんが枕元にプレゼントを置いているだけだよ」
と言ってきた。これだけ年が離れると私としても唸ることしかできない。それまでも「サンタ=両親」説はいろんなところで目にしていて、私としても嘘なんじゃないかと思うときもあった。しかし父に確かめると「ということはこれからはプレゼントはないわけだ。あげる人が存在しないのなら、当然プレゼントも存在しないということになる」と言われ私はあわててサンタの存在を疑ったことを、心の中で詫びるのである。そういえば前の記事でも同じようなことを書き、漫画のコブラの「山は存在している」のことを思い出した。今も思い出している。私も自分の子供に同じように、
「いないのなら、プレゼントはもうないということだ」
と言い、子供の追求を逃れている。子供は今年になって、手紙の出し方についてしつこく私に訊ねてきた。私に訊くところが、子供としてもサンタの正体に気づいている節がある。妻に訊いたら、妻は理屈に耐えられない女なので、たちまち正体をあかすだろう。私は慎重に答えを考える必要があった。手紙だからといって、ポストに投函すると言えば、同行したいと言い出すに決まっている。同行されたら手紙は確実にポストに入れなければならず、そうすると住所が必要になる。自宅や実家ならば、サンタが自分だと自白しているのと同じである。まだ字も読めない子供ならばこっそり自宅に送る手もあるが、私の子供は小三である。昨日宿題を覗き見したら「九州」という字を練習していた。私の母の実家とか、あるいはなんかの代行サービスを利用するとか、やろうとすればいくらでも手はあるだろうが、なんにしても大掛かりすぎてよくない。あと、サンタの住所が豊島区とかだと夢がない。
そんなことを瞬時に考えた私は、電話とか考えたが同じことであった。思い返すと私の父は「サンタ専用の電話がある」と私や兄弟に説明していた。どこにあるのかと訊くと
「庭にある」
と答えた。仕事に行く前にかけるのだそうだ。父が仕事へ行く時間は私たちよりもずっと遅く、そのため誰も父が電話をかける瞬間をおさえることができなかった。
透明電話は確かに手だったが、私の子は意外と追求がはげしいところがあったから、私は結局「わからない」と答えた。サンタとの連絡方法は毎年変わり、直前にならないとわからない。どうやってその年の連絡方法を知るのかと言うと、それはあるときインスピレーションが働いて、突然わかるのだ。今はわからない。と説明した。子供は狐につままれたような顔をしていた。私としては良い説明ができたと思った。インスピレーションというぶぶんが、私の言っていることを100%の嘘にしないはたらきがあった。あとになって、「その都度変わる」というぶぶんがゴルゴ13とのコンタクトのほうほうみたいだな、と思った。