意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

すべてが思い出に変わるように

この前織田信長の家臣団の本を読んだが昨夜ふと自分の中で桶狭間の戦いがリアルにかんじた。桶狭間の戦いは諸説あるみたいだが私が最初に読んだのは進研ゼミの小5の付録で日本史のざっくりとした漫画があってその中の桶狭間のシーンが雨だったので私のイメージは雨だ。その雨が昨夜私の中でリアルになって馬の手綱を握った親指の付け根のくぼみに雨水がたまる様子白くけぶる森の様子が過去にその瞬間があったと確信するリアルさだった。過去が確実にあるというのはとても奇妙で時代のせいなのか過去は虚構だというほうがしっくりくる。妻と子供たちが鋼の錬金術師を見ていてそこで鎧の弟が敵に
「お前は確実に存在するのか。過去は兄貴が作ったんじゃないか」
と惑わし弟はその後病院の廊下でうなだれるのであった。やがて何か兄貴にそれっぽいことを言われて立ち直るのだが私はそのシーンは見なかったので知らない。あと中佐が公衆電話の前で撃たれるシーンがあって私は洗い物をしながら横目で見ていただけだからちゃんと見なかったら後から中佐が死んだか気になって調べた。私は最近はアニメに限らずストーリーそのものがしんどくなっている傾向だがアニメのこの人はこういうキャラだからこういう言動なのですよみたいなのが鬱陶しい。なんかもっとブレブレでも良いのではないか。ブレブレといえば私の中では「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」だが少し前に読んだのにストーリーが奇妙なほど思い出せない。世界が裏返るのだが完全な裏返り方じゃなかった気がする。最後まで読まなかったのかもしれない。


「確実に存在する過去」というのはしかし実に奇妙だ。一方ここ数日はシュメール人の本を読んでいるがわずか4000年ほど前は粘土板にへっこみをつけめ誰それが王になったとか記していたのだ。粘土板は今で言うところの紙で一塁ベースみたいなのが山積みになって露店に売っていたのだろうか。その裏で一日中粘土をこねて平らにしてチーズスフレみたいに書きやすくした人がいるということだ。その瞬間が確実にあったというのだから奇妙だ。私が子供の頃は炭を紙にこすりつけその濃淡の組み合わせで文字としたが今思うと極めて原始的な行いであった。炭坑は今日本にあるのか知らないが鉛筆でものを書くなんて炭坑で穴を掘るのと大差ない行為だ。炭の周りには木が巻かれていて私たちはあるいは木こりにでもなったつもりだった。