朝蟹を買う番組を見ていて市場で女が
「買いますよー」
と絶叫してスタジオの人たちが「わー」だの「きゃー」だの言っててその後市場の女が
「それじゃあ試食します」
と言って市場の人が皿に載せた蟹の一部を持ってきてそこで私は馬鹿らしくなってテレビを消した この中に心底蟹を食いたい人がいるようには思えずそれなのに食いたそうにするのはいくら仕事とはいえかわいそうになってしまう しかしそのすぐ後に「これは一種のお芝居なんだ」という考えが浮かび確かにお芝居なら健康そのものの人がかなわぬ恋をして死にそうになったりしても後ろめたいかんじは全くなくそういう意味でお芝居は最初から最後まで嘘なのにポジティブだ 世の中には嘘や冗談が半導体みたくなかなか通じない人もいるが原始時代のお芝居は納得してもらうのにかなり骨を折ったのではないか 今でもドラマに「フィクションです」とか出ていてその本当の意味は知らないが昔読んだ「晴れときどき豚」という本でフィクションという言葉の意味を訊ねてきた息子に父親が「この文言がないとドラマを真に受けて怒り出す人がいる」と答えていて怒るというのは騙されたから怒ると思っていたがこれはフィクションなのにフィクションの宣言がなくて怒るということで見ている本人はフィクションだと気づいているから怒るのである
しかし子供のころはそういう発想はなくドラマを現実と混同する人が一定数いると思って世の中の得体の知れなさに恐れを抱いた しかし嘘に引っ張られるということは普通にあり人々はそれを「印象」と呼んだりする 例えばドラマAで変態だった俳優がドラマBで復讐に燃える刑事を演じていたりするとこんなにシリアスでも変態なんでしょ? とわざとごっちゃにして見ると楽しい