前回の放送で温泉を掘り当てたかどうかの顛末は語られず、再び場面はお屋敷となる。てっきりクビになったと思っていた荻窪(私が勝手につけた名前。クビになったと思ったので正しい名前は忘れた。炭酸カレーを一気飲みしている)に対し
「掃除がしたい」
とダダをこねるザリガニくん。荻窪は掃除機を手渡すが、肝心のゴミがなくてザリガニくんは不満顔。何故なら掃除に関しては荻窪が徹底しているからである。それはいいとして、自分の掃除具合を自慢する荻窪の顔に、無精ひげが生えている。これは使用人としてNGじゃないのか? ザリガニのイジメが凄惨さを極めているのだろうか。
そこへ女中ののりこが登場し、ザリガニのために、そこら中にゴミをばらまく。荻窪の仕事に対するリスペクトもへったくれもない。のりこの気遣いに感激したザリガニは、そのままのりこと出かけてしまう。ひとり取り残される荻窪。オマケにゴミはひとつひとつが大きくて、とても掃除機で吸い込めそうにない......。
ところでのりこの顔も肌荒れをしていたので、撮影スケジュールがかなりタイトなのかもしれない。元気なのはザリガニだけだ。彼は若いのである。
「ザリガニくん」はEテレのシャキーンという番組内のミニドラマであるが、歌のコーナーもあり、そこで最近「72億分の1」という歌がかかる。主旨としては、「地球上にはまだまだ知らない人がたくさんいる」というものだが、ストーリーは、小学生の男女がランドセルをしょって電車に乗って、降り、降りたら原っぱになっていて、その駅はとても終点という風ではなかったが、乗客全員が降りて、踊る。その、ホームに降りたところで、先頭に降りるのは小学生の男女なのだが、この2人が見つめ合っているうちに、その他の乗客が改札に殺到する。全員大人である。その中にボーダーのワンピースを着た茶髪のお姉さんがいて、お姉さんは、赤いランドセルの脇を通り抜けるときに、肩をすくめて細いところを通り抜けるような、他人の持ち物に触れないように気を使っているような上半身の力の入れ具合がすごくリアルで、とても演技のように見えなくて気に入ってしまった。歌の映像はフィクションだが、このお姉さんの仕草は、たぶん普段の生活でも自然に行われているもので、だからこれは地に足のついたフィクションなのである。地に足がついていないと、私たちは「子供っぽい」とか「○○に目をつぶれば見られる」とか、そんな風に言ったりする。
※ザリガニくんの前回
※小説「余生」第7話を更新しました。
余生(7) - 意味を喪う