意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

いちばん涼しい夏

小学校5、6年のときに少林寺拳法をやっていて大抵はどこかの小学校の体育館で構えとか蹴りとかやっているのだがたまに説法の時間があって私たちは入ったときに教科書みたいなのを支給された 練習のときはいつもそれを道着と一緒に袋に入れて持って行ったが使うことは滅多になかった しかしある夏の日に私たちは床に正座をさせられ(あぐらだったかも)班ごとに整列しテキストの指定されたページを開いていた 学校の授業と同じだったがしかしその日は特別暑かったのか先生はある程度までくると「ここまで」とやめてしまった 先生といってもいちばん偉い先生ではなく若い下っ端の先生だったから暑さが堪えたのだろう あるいは私たちを気遣ったのかもしれない 私たちは暑さよりも体育館のぬるい床の上でじっとしていなければならないことのほうがつらかった 先生は残りは各自家で読むようにと私たちに指示をした そして
「クーラーの効いた部屋でサイダーでも飲みながらゆっくり読んでください」
と言った 当時私の家にはクーラーがなかったため先生の指示通りにはできなかったが私はクーラーの有無はそれほど重要でないことがすぐにわかった


私はクーラーの効いた部屋でソファに座りサイダーを飲みながら冊子を読む私を想像した 当時の私がどのくらいクーラーというものを理解していたか今ではわからない 家には扇風機しかなく母の実家には背の高い扇風機があった 冷房のない夏なんて今では想像できないが当時は扇風機だって四六時中つけているわけではなかった 祖父母の家に遊びに行くとき冷房よりとスイカの有無の方がずっと重要事項だった ジュースだって飲み放題だった 下戸の叔父が仕事から返ってくるとコカ・コーラの缶を開けコーラを飲む叔父は話の分かる相手であった 祖父母の家は置いといてとにかく私の想像の中の冷房の効いた部屋が今まででいちばん涼しい夏だった