意味をあたえる

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幸せは個人的なもの

このマンガがすごい大賞のまとめ記事を読んでいたら「藤本タツキが2年連続」と出ていて前回の受賞作のタイトルを見たら知っているタイトルで自分の端末を検索したら持っていた。去年のマンガ大賞の記事かその感想の記事を読んで興味を持って購入したのだ。読み出したらすぐに思い出した。思ったより短かったが、複雑な話なので行ったり来たりした。劇画や外国の映画などは登場人物の見分けがつかなくなるのでそういうのが複雑だった。


漫画を書いている後ろ姿の絵が多く出てきた。そういうのが「四六時中」や時間の流れを表現しているのだと理解した。その後ろ姿を見ているうちにこの主人公たちは不幸なのだ、と思ってしまった。直感でそう思い、考えてみるとひとつのことに打ち込むのは幸せなのは自明なのに、また幸せは外にあるわけないのにそんな風に思ってしまった。私は年をとったのかもしれない。もうすぐ老眼も始まるだろう。


書くことが思いつかないのでタイトルを見返したら「幸せは個人的なもの」となってるから私は今は幸せもパーソナルな時代ですよと言いたいのだ。だが実際はそんなことはなく、よく読んでみると親切な友人や家族が「みんなの幸せ」に招待してくれる。「自前の幸せ」は孤立の運命をたどるからだ。私は少なくとも今はその二つの分け方のどちらが優れているかみたいな評価はしたくはない。まるで自前の幸せが格好良いみたいに感じた人もいるかもしれないが、決してそんなことはない。また「自前風」も多いのである。