意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

日曜は暖かいゾ

三寒四温という言葉を知ってまだ10年経たない。最初に春のありがたみを知ったのは二十歳の頃でコンビニの早朝バイトをやっていたときだ。6時からのバイトは冬の間は家を出るときは真っ暗なので車のヘッドライトをつけなければいけないが、あるときからつけなくても十分明るいと気づく。「あれ? つけなくても見えるじゃん」となったときは感動した。世界は終わってなかった、と勝手に思った。一年のタイミングで夜と昼の長さは違いますよという知識とは全く別の次元の話だ。知識というものには主体がない。他人が発見したものを吸収するから当然だ。経験はその逆だがどっちがいいという話でもない。


今年の冬はここまま寒くてもいいと初めて思えた。私は寒いのは苦手だがだんだんと暖かさの気配をかんじると寂しさをおぼえた。これは初めての感覚だった。私の部屋の暖房は貧弱で布団も薄く、明け方は寒さで目を覚ますがだらだら寝ているより健全な気がした。ほんの2、3日前、ホットカーペットの上でうとうとしながらひょっとして俺はもう死んでいるのかもしれないと思った。私という殻の中はとっくに空っぽになっていた。それなのに勝手に生きていると勘違いしてるだけなのだ。それは戯れだった。朝になったら中身は殻にぴったりくっつきいい加減な1日が始まった。最近歯茎が腫れ勝ちで私は来月親知らずを抜くのである。