意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

魂の午前3時

夏なので暑いので夜中に目を覚ますことが増えた。冷房をかけて寝ると寒くて起きるし消すと暑くて起きた。暑くて目が覚めて枕元のエアコンのスイッチを入れると冷たい空気がすわ~っと降りてきてこれは至福だった。しかし設定温度や風量を誤るとすぐに寒くなった。他人にそのことを話したら冷房を入れて毛布をかぶるのが良いとアドバイスされたが何故かそうする気が起きなかった。数年前まで寒いより暑い方がぜんぜん得意と思っていたが自信がなくなってきた。寒がりなのは変わらない。


夜中に目をさますと心が丸裸になったような感じがする。村上春樹の文章で魂の午前3時というのを読んだことがあってあらためて検索したら元はスコットフィッツジェラルドらしい。そこに書かれた通りで真夜中に目をさますと自分の人生が折り返しを過ぎたことを嫌でも実感する。果たしてこのままでいいのかとも思う。自分の人生がとても空虚なものにかんじる。


しかしそんなことを考えつつもすぐに眠りについて朝を迎えると何事もなかったかのように1日が始まるのである。もちろん夜中にかんじた人生の空しさはしっかり心に残っている。しかしながらそれらは1日のルーチンにまったく影響をあたえない。私は毎朝起きたい時間に起きられれば朝ご飯を食べて昼食の弁当を詰める。寝坊をすれば弁当がカップラーメンになり朝食が菓子パンになる。そんなとき立ち寄るファミリーマートには溌剌とした若い女性の店員がいて私は彼女に好意を寄せている。彼女は髪を後ろで一本に結んで溌剌なのでレジよりも発注を任されることが多く、今やレジで顔を合わすことは少なくなり代わりに彼女の舎弟のような目の細い男が私の相手をする。愛想はあまりないが私は舎弟のことも嫌いではない。(溌剌なのにレジをやらないのはおかしくないか? と思われるかもしれないが溌剌だから店長にも気に入られて色々業務を仕込まれているのではないかと推測する)

そういう朝のルーチンをこなしながら(昨夜は死にたくなったけど今日は今日でガンバロウ)と自分を奮い立たせることは一切ない。私はそのことがとても奇妙だと思う。夜中の心の丸裸は日中の私とは地続きでないのだ。あるい人生の大きな流れに完全に取り込まれてしまっているようで不気味だ。