子供の頃眠れないと言うと父親にタイトルのことを言われた。私は当時子供だったので労働はできなかったのでスクワットをして寝た。スクワットはどこかのテレビで「ケツ上げ」と言われていた。師匠の期待を満足させられなかった弟子が罰として指示からケツ上げ100回を指示される場面が放送された。私はそれを見て父親にケツ上げとはそんなにしんどいのか? と訊ねると父はやってみろよと言うのでやったら本当にしんどかった。それから数十年経った先日に私の子供が私の父親の前で眠れないと言ったら全く同じことを言われていたので驚いた。またその少し前に父親が昔話をしたときがあってそのときに「夜中仕事をしていたら眠くて仕方ないから庭の草むしりをしてしのいだ」という話を聞いたので父親はなんでも労働で解決するタイプなのだと思った。確かに父親は仕事人間で家に帰ってこないときもあった。しかし私の家はまったく裕福ではなく、私の家は私が中学になるまで平屋だったので父は労働が目的のタイプなのである。平屋だったので友人がよく私の家の屋根に登りたがった。父がそれを見たら怒ると思ったが父は仕事であまり家には帰らなかった。
昨日他人のブログを読んでいたら仕事が休みの日は1日布団の中でスマホをいじってよろしくないと書いてあって、私はとても難しい時代を生きていることを実感した。良い休息の取り方みたいな指南書が売られており私も脳の休息は寝ることが解決になるとは限らないみたいな本を読んだがつまらなかった。コスパとかタイパとかが行くつくところまで来たかんじである。私たちは休息もコントロールしてパフォーマンスを改善しなければならない。あるいはそれは冗長性というのにも似ている。もしものリスクを避けるため、短期的なパフォーマンスばがり追うのではなく長期的なパフォーマンス改善が王道ですよという話である。自分を甘やかしましょうとか、何もしないのが重要という休息に対するアドバイスもあるが、結局は冗長性につながるから同じである。
私が微力ながら解決策を提示するとすべてを諦めると好転するかもしれない。あるいはこれは大きな話になるが真面目な人がよろしくないという風潮になれば変わるかもしれない。あと今思ったが現代は情報が洪水のように押し寄せる時代だ、というのでできるだけたくさんの情報を取り込もうとするとそれが労働につながって眠れるようになるかもしれない。スマホを10台くらい用意して休みの日はそれらを全部並べて別々の画面を同時に見ようとするといいと思う。お金がかかるのでスマホは中古でも良しとする。