意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

社会に出たからって

プロブロガー、という言葉をよく目にする。なりたいという人がいるのなら、なったら良いと思う。ぜったいなれる、という人も、無理かもしれない、という人もいるかもしれないが、本人の心意気は結果にはあまり影響しない。

先に社会に出て、という意見を目にし、それはブロガーに限らずだがそういう意見には耳を貸さないほうがいい。私からアドバイスがあるとしたら、基本的に他人の言うことは聞かないほうがいい、である。どっちに転んでも後悔するのが人生だが、自分の決断による結果なら、まだ諦めもつくからだ。と、言ってみたがそうじゃないかもしれない。とにかく後悔はする。

私は十代のころに親に盛んに
「後悔しない人生を送れ」
と言われたような気がしたが、二十代の終わりくらいに父親と話をする機会があり、私は親を満足させようと、
「何にせよ、後悔しない選択をしたい」
と言ってみたら、
「そんなの無理に決まってんだろ、どうして未来が先にわかるんだ」
と言われた。未来の話をされればその通りだった。たしかに考えてみると世の中でよく言われる「後悔しないためになんとか」は自分の欲望を正当化するというか、勢い付けの言葉である。「やらないで後悔するよりも、やって後悔したほうがいい」という言葉も同じで、逆に「やらないでいたほうがまだマシ」とは言わない。他人には「やらなきゃいいのに」とか言う。

どうして親の言葉を私は聞き違えてしまったのか、はたまた親の心境が変わったのか。確かに私の父は自分のやりたい人生を生きていて、学校の宿題で「青春」について訊いたら
「俺は今でも青春だ」
と答えたから、なかなか勢いの良い人生をおくっていたようだ。私が今、子供に訊かれたらなんと答えるだろう。「忘れた」とか言うかもしれない。

私が二十代の終わりに父親と話をしたときは、私は精神的には結構参っているときで、妻を頼ろうとしても、妻はただおろおろしているだけだった。父がなにか援助してくれるわけではなかったが、なにかのきっかけで話が始まると、気配を察した妹がテレビを消して自室へ行ってしまった。妹はジャニーズのファンでそのときはミュージックステーションを見ていた。父は資産家でもなんでもないので、
「援助できても米くらいだ」
と前に言われたことがあって、私も子供のころから子供は大人になったら親子ともども頼らない、みたいな教育を受けていたので端からあてにはしていなかったが、そのとき父はふと、
「俺も仕事を辞めた」
みたいな話をした。正確には辞めさせられたのであった。辞めることが決まるまでは激務であったらしく、父の左腕はぱんぱんに腫れ、夜うなされることも多くなり、母としては
「辞めてくれてほっとした」
とのことだった。これが自分の好きな仕事を追求した男の末路であった。父の青春はそのとき終わったのだ。

社会、という言葉がどういう場を指すのかはわからないが、会社に入っても、およそ自分の身になることはない、というのが私のここまでの実感である。会社に入って私が驚いたのは自分の子供と同い年だ! と言ってきた、逆に言えば自分の親と同年代の人が、びっくりするほど仕事ができないということである。家では人生や社会を知り尽くしたような顔をしていても、会社じゃ雑魚なのである、ということが普通にありうるのである。私はこれにはショックを受けた。私が驚いたのはこれくらいで、あとはどういう風に生きていてもあまり変わらないことばかりであった。