意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

作文が苦手だった

実家に帰ったら私が小学一年生のときの文集が出てきてそれを私の子供が読み上げて、妻が「読み方に悪意がある」と言った。私は子供の書く文章にも面白いものがあると知っているが、私の書いた物はてんでダメだった。私は作文が苦手で何を書いていいのかわからず、苦痛だったのをおぼえている。わからないといのは、もちろん書くことはあっても、それが周囲に読まれて恥ずかしい思いをしたり、教師に注意されたり、そういうことを避けるにはどうしたらいいのか、と悩んでいたのである。例えばそれは絵でも同じだった。私の子供は私の絵が上手だと褒めてくれたが、私はやはりその絵を見る気にはなれなかった。お祭りで複数の人がお神輿をかつぐ絵が書いてあったが、教師の欄に「どこのお祭りかな?」とあって、私はどんよりとした気持ちになった。日付からそれは地元の祭りであるとみんなで推測した。お祭りは子供の頃は楽しかった。

小学一年生は息苦しさをかんじることが多かった。それは担任の坂井先生が厳しい人で、悪いことをすると椅子を取り上げられたりした。物の管理が下手くそで、朝顔の成長記録の途中をなくしたり、計算ドリルを何枚かなくした。計算ドリルは通番が揃わないと、進級ができないから春休みに学校へ行く羽目になった。通知票の裏表紙に校長の名前が印刷されていて、そこに印鑑が押されないと二年生になれないのである。ちなみに校長の名前の最後の一文字に印鑑が重なってないとそれは偽の印であると教えられた。後にも先にも進級にここまで真剣になったのはこの一度きりである。叱られて椅子をとりあげられたとき、上手に謝れないと返してもらえなかった。帰り道に謝りの口上を考えながら帰っていたのをおぼえている。その道は工事中で舗装がはがされていた。


しかしながらだから今の私があるだとか、今の子供はうらやましいだとか、こんな思いを他の人にさせたくないだとか、そんな風に考えるのはもういいだろうと思うようになった。私は自分が子供のときに自分が子供だとは思ったことはなく、今の子供は自分を子供だと思っているように見えるが、本当のところはどうなのかはわからない。何かが変わったようで、何も変わっていないのかもしれない。昨日オートバックスで私の前に並んでいた女はおそらく私よりも年下で肩幅も狭かったが、とても地味な服装をしていて、子供たちはその人を「おばさん」と呼ぶのだろうな、と思った。しかし私はその人を女として見ることも可能なのである。自分が年齢を重ねて、世の中の見え方が変わるのはとても不思議だ。

映画を早回しで見るのは単に退屈なだけ

「映画を早送りで観る人たち」の出現が示す、恐ろしい未来(稲田 豊史) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)

保坂和志が著書の中でどんなに途中で面白い小説でも残り1ページで退屈になったらそこで読むのをやめると言っていて、それはつまんなにのに無理して読むのは作者に対して失礼だという意味で確かにそうだと思った。私もさすがに残り1ページくらいなら惰性で読んでしまいそうだけど、無理して読み進めるくらいなら、そこで意識して止めてしまうようになった。私は映画はほとんど見ないからマンガや小説だが、マンガは鬼滅の刃なんかは面白いところもあったけど、いちいちリーグ戦みたいに、登場人物が過去のエピソードを持ち寄るのにはちょっとつき合いきれなくて読み飛ばした。ストーリーがわからなければ少し戻って読めばなんとなくわかるのである。もっと言えばストーリーがわからなくても読んでしまえるのが漫画なのである。絵に引っ張られてページをめくり、気づいたら最後まで来てしまうのである。誰が死ぬとかラストはどうかとかだけつかんで、二回目に臨むのが私の漫画の読み方である。


引用元で、飛ばし見をして伏線を見落としたらどうするのかみたいなことが書いてあったが、どうして2回目、3回目に見ることを想定しないのか不思議である。私はどちらかと言えば伏線についても飽きてきた感があり、伏線は見つけた人が利口な人と勘違いさせてしまう装置である。昔ジーザスクライストスーパースターを見たときに、香油を塗ってもらうイエスにユダが「香油買う金があるなら貧しい人に施せよ」とさんざん文句言ったらいざ裏切ったときにアンナスに金貨をもらって返そうとしたら「受け取るの嫌なら貧しい人に施しておやり」と言われて、ぐぬぬ、てなって何がぐぬぬなのかと言うと受け取ったらイエスを金で売ったことになるけど、過去の「施せ」と言った自分と統合性がとれなくなるから、受け取らざるを得なかった。それが私はすごく愉快で、友達に「皮肉だよな」と持ちかけたら「まったくだ」と返されて、私はこの皮肉に気づくのは私くらいだと思っていたからものすごくびっくりして、同時に恥ずかしくなった。以来伏線が苦手なのである。

会話のリアリティ

友達いなさすぎて文中で人の会話が書けない

会話とはだいたい意味不明なもので、一言で通じないのが普通である。自分の普段の会話に注意してみると、文法は即興で、とりこぼしたところを後から補足していることがすごく多いことに気づく。相手が補足してくれる場合もあり、そこから「会話」が生まれることが多い。


リアルな会話文とはそこを意識しなければいけないと思う。つまり意味不明に書くことである。私はそう思っていて、だから漫画やアニメなどの会話が説明的すぎてシラケルのである。日常でそんなに一気にしゃべったら呼吸困難になるのではないかと心配になる。喉も乾くだろう。


しかし段々とそれも仕方ないのかな、とも思うようになってきた。それでも映画などはまだ気を遣っている風にも見え、だから会話のやりとりを聞いてもストーリーが見えない、ということがよくある。映画というのはわからない美学みたいなのを感じる。私なんかは物語を深く読む(観る)ことなんて滅多にないからあの場面のあのやりとりにはこんな意味があった、と聞いても「へぇ」となるだけである。

眠い・頭痛

割と健康だ。幼い頃は小児喘息を患っていて、学校などしょっちゅう休んだ。月曜の支度をしたら月曜から休み続けてようやく復帰できるから翌日の用意をしなきゃとカバンを見たら翌日は月曜で儲けた気持ちになったのをおぼえている。しかし翌日の準備を真面目にしたのっていつまでだろう? 私の子供なんかは私よりも丁寧に生きていてその辺は抜かりがなさそうだ。


小児喘息は大人になるまでにいつのまにか治ってしまい、しかしそれでもまだまだ体は弱かった。新宿駅で倒れそうになったことがある。頭が割れるように痛くなったり。風邪で喉を痛めて声が出なくなったり。原因がはっきりしないものもあった。30くらいまでそういうのがあった。30代半ばから健康になってきた。季節の変わり目を気をつければ良かった。体調が悪いときはモンスターエナジーとかアリナミンVを飲んで早くに床についた。ライフガードを飲むと、よく学校を休んだときに母が買ってきてくれたのを思い出して嬉しい気持ちになった。ライフガードって今はとてもジャンクな飲み物のイメージしかないが、初めて見たときはサバイバルの御用達的な飲料かと思った。当時は1リットルの容器だった。


コロナが流行して熱心に消毒をするようになったら、いよいよ風邪も引かなくなった。たまに体調の悪い夢を見るくらいで、起きると普通だった。熱を計るといつも35度代だ。みんなかつてないほど清潔だ。


それがここ2日くらい頭が痛い。暖かくなったからだろうか。薬を飲んだら少し良くなった

おとうさん

妻とモツ煮込み屋へ昼をとりにいった。座敷のおくには親子がいて父親と息子という組み合わせだった。息子は高校生かそれ以上という感じで交わす言葉もなく、ただ飯を食いにきた、という雰囲気であった。息子はチェックのネルシャツにジャージのズボンという出で立ちでスマホをじっと見ている。父親はジーンズにしっかり上着をしまい、腕組みをしている。腹が出ている。ザ・お父さんという感じだなと私は思った。やがて食事が運ばれてきて、2人は黙々と食事を始める。


しかしやがて思ったが、現実のお父さんというのは、年代で言えば私くらいであり、私がザ・お父さんとイメージしたのはもっと上の年代の人である。目の前のモツをすする男は、ひょっとしたらおじいちゃんなのかもしれない。食事が終わって帰るところを見たら、思ったよりも息子は大人で、やっぱりこの二人は親子なんだろうと思った。


それからなんか色々あったが忘れてしまった。さっき大きな地震があった。

言い当てられて、景色が広がる

今日で上司が退職した。私が今のところに赴任してから何人目だろうか。何人目といっても2人目と4人目が同じだったりする。他にもいろいろ人が入れ替わり、誰かが「風向きが変わる」と言った。その上司と一緒に昼飯を食い、第一駐車場が一杯だったので第二駐車場に車を停めた。よく晴れていた。私の電話が鳴り、比較的良いニュースの電話だったので気分が良く「卒業式みたいだな」とふと思った。
「上が変わるとモチベーションも上がらんでしょう」
とその人が言った。お前が言うなよ、と思ったがそれを聞いて私は今、モチベーションが低いのか、と思った。私はここのところの停滞を、てっきり人生の苦難みたくとらえていたが、もっと単純な話だったようだ。感覚が一般化されると、少し気が軽くなった。

幸せは断片

ちょっと前の記事で同じタイトルを使ったが、そのときはそのことについて書けなかった。そのとき書きたかったのは、あるとき私は通勤していた。するとその途中の道の真ん中で父子が遊んでいて私は平日の朝に何をしてるんだろう? 父は失業中なのかな? と思った。やがて幼稚園のバスがやってきて、父子の子のほうは幼稚園児であり、そのバスに乗り込むものだということがわかった。父子はバスを待っていたのだった。私は自転車で通勤していて、父子が遊んでいたのはちょうど通り道だったが、父子に遠慮してその前の交差点を右に折れたのである。普段から通る道なのにどうしてその日に初めて遭遇したのか。


それよりもその光景はかつての私で、私もよく子供と一緒に幼稚園のバスを待っていた。バスに乗せてから私も車に乗って会社へ行くと、会社へは少し早めに到着した。子供が小学生になると私の会社への到着は始業のギリギリになった。やがて私の仕事量はどんどん増えて、子供が小さい頃に仕事が暇で良かったと心の底から思った。もうおぼえていることは少ないが、向かいの家の段差の継ぎ目に蟻が巣を作っていて、蟻が継ぎ目からいらない土塊を捨てていて私は感動した。その様子を子供に教えて子供がその家の人に教えたら、家の人は継ぎ目に薬をまいて蟻を殺してしまった。私はがっかりしたが、この人による価値観の差が愉快だった。その人はおじいさんで創価学会の人で、創価学会の人は蟻に厳しいのかもしれない。ものすごい長生きで今も生きているが、今は施設に入っている。私はお別れに立ち会えなかったが、今生の別れになるのは多分確実だった。家族は一度その創価学会のおじいさんと電話で話したが、まるで天国と電話がつながったみたいだと言った。嘘だ。それは今私が思いついたことだ。私は施設なんかに入りたくないと思うからできるだけ足腰を丈夫にして計算もできるようにしたいが、最近は運動もできないから自信がない。