意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

汗ばむ

もうすぐ桜が開くと聞いた 扉のような言いぐさである 確かに春への扉かもなとかんしんした そんなに早いんじゃ散るのも早いんじゃと心配したら桜は散ってもきれいだからいいと言う 散った桜には寂しさしか感じなないから新鮮な発想だった 昼間は汗ばんだ 半袖の人がいた 

高速道路に出るおばけ

高速道路をつかって通勤をした 小学生の頃「高速道路に出るおばけ」という本を図書館で借りて読んだ 怖い話の本というのはやたらと恐怖心をあおるだけで○○心をあおるというのはテレビと一緒でどうしても薄っぺらくなってしまう あるいは「君の身にも起きるかもしれない」みたいな これも恐怖心か その点「高速道路に出るおばけ」というのは派手さはないが話はしっかりしていた 「ほんとうにあった怖い話」とサブタイトルがつけられていたがどちらかといえば「哀しい話」であった 

ワタナベは誠実なヤツ

ノルウェイの森を読んでいる 最初に読んだのは20歳ころでまあ、ワタナベの年に近い 今はもうすぐ40で最初のドイツの空港のシーンで37とが言っていたからそれは当時の村上春樹の年齢と思われ私はそれに近い その歳になって読み返すとワタナベは誠実だと思った 私はやっぱり女性の気持ちなんて考えずセックスの可能性ばかり考えていた ワタナベはたくさんの女と寝ているから女性の気持ちを考える余裕があったのだろう もし私のそばに直子のような境遇の女がいたら私は彼女を傷つけるだけだろう 直子に拒絶され私も傷つきしかし何故拒絶されたのかまったくわからず苦しむのだ 私はやっぱり今でも女性の気持ちはわからない 今は特別親しくなろうとかそういうプレッシャーがないからいくらか楽だ 心理的距離を縮めようとしない限り女性は安全だ

愛しているから忘れてほしい

なんとなくノルウェイの森を読み始めた 恋をしているからである しかし恋とはもっと切実なものだった気がする ノルウェイの森は昔好きな人に貸した 「ノルウェイの話なのかと思ったらちがった」と言われた ビートルズなんて知らないのである 好きな人に貸した話は今書きながら思い出した 暑い夏の出来事だった 白い柵の前で待ち合わせ場所まで自転車で行った


「文章という不完全な容器に盛ることができるのは不完全な記憶や不完全な想いでしかない」というのはまったくその通りである 書く行為は最初から足を踏み外す


第一章の最後で直子が自分を忘れないでほしい旨をワタナベに伝えるがワタナベはドイツの空港でつまり直子は自分を愛していなかったんだということに思い至る 昨日読んだときにもその理屈につまづいたし初めて読んだときもつまづいたことを思い出した どうして「忘れないで」が「愛していない」なのか 愛していたら忘れてほしいのか 「忘れないで」いることは実は簡単だ だれでも簡単に「このことは忘れずにいよう」とか思う 忘れないとは結局忘れないつもりになっているに過ぎない 忘れるとは記憶にアクセスし続けない限りそのことを認識することができない

ブログは出家のようなもの

すっかり書くことに興味を失ってしまった今日この頃だがそうなると書いていた頃は極めて禁欲的だったなと思う あるいは禁欲を目指していたのかもしれない 私の文章はお経のようなものだったのかもしれない 天国へ行くために必死だったのである よく地獄でもへっちゃらとのたまう人がいるが地獄は底抜けなのである 私は地獄というものを知らないがきっとそうなのだ 底抜けとは文字通り地面がゆらぐことである

ジャンバー

道端でジャンバーを着た後ろ姿を見かけ無性にイエモンの「So Young」がききたくなった 春なのである 発売当時深夜の音楽評論家が「春はなんかやさしくて残酷」という歌詞をほめていたのを思い出す 私はこのぶぶんも歌全体も好きでも嫌いでもないが春の居心地の悪さにぴったりの曲だと思っている 冒頭のジャンバーも春には似つかわしくないがしかし着なければ寒いのである おしゃれは我慢強い人でないとできない しかしいつまでも冬の格好をしていると10も20も上に見られてしまう

油断はできない

ぽかぽか陽気だと思っていたら夜になってこの寒さである 震えてしまうのである 口のきわに口内炎ができてしまいこれは本物の口内炎ではないかと思う というのが私は糸切り歯がとがっていてよく口腔内を傷つけてしまう それが化膿して痛くなってしまう 生活に余裕があればそんなときは毎食後にリステリンをして消毒を欠かさないが今はそういう余裕がない 朝に歯も磨けない 昼も磨けないときがある 今日は昼休みに突っ伏してやろうと思ったがぜんぜん眠くないからあきらめた