意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

コンクリートの国のアリス

妻が図書館へ寄ってほしいと言うから向かった 車のタイヤを替えた帰りである 街中の行ったことのない図書館なので気が乗らなかった 妻は後部座席で横になった 新しいタイヤの心地を確かめるのではなく体調が悪かったのである ゲスの極みを聞かせたせいかもしれない 「ベッキーの件がなければもっと売れたのかもしれないのにね」とか「米津玄師のほうがいいね」とか勝手なことを言った 米津玄師は知らないが真面目な歌を歌うだけなら正直何を聞いても同じ気がする 妻はゲスの極みの歌詞がいいのか曲がいいのかしつこく訊くので「ふざけたところがいい」と答えた


結局図書館も私が行くことになり返却期限のすぎた本を返すのではなく借り直すことまでしなければいけなかった 行ったことのないよその図書館なのである 車を停められるのかもわからない 地下へ降りて車を停め案内に従って進むと扉があり古めかしい手書きのフォントで「しずかにあける」と貼り紙がしてある そういえば地下へのスロープを降りる間もしつこいくらい貼り紙がしてあった それも手書きだ 公共施設とは往々にして時代に取り残されるのである カウンターの女性も早口で何を言っているのかわからない コンクリートの国のアリスという海外の小説を思い出した そんなものないが

眉毛がつながりそう

ゆっくり眉毛を整える時間もないのでつながりそうである 放っておくとつながってしまう眉なのである 女性の眉を見ると絵心だとかんじてしまう 実際下手くそな眉がある ふだん上手くてもあるとき書いてなかったりして時間がなかったのかななどと考えてその人の日常に思いを馳せてしまう 

オタク

隣の車が側面にアニメのキャラクターが描かれていて朝日を反射していた フルカラーのキャラクターではなくメタリックであり描かれた元のアニメーションを説明する文言もあったが英語で読めない ロゴも言葉で説明できない形をしている 前にも見たことがある 車は車高の低い軽自動車である


その中で小太りの男性がトランシーバーのようなアンテナのついた物体を操作しており私は「本物のオタクだ」と感動した トランシーバーはスマホより二回りくらい大きくて分厚かった

聞かなかったことに

よくある大人のやりとりに「聞かなかったことにします」というのがあるがここのところそういう機会が増えた 小学生にはマネできない大人の証のような言い回しである 小学生なら「いや、聞いてんじゃん」とケンカになってしまう 大人になりたてのころも「いや、聞いたことにしてくれよ」と思った よく考えたら大人のなりたてではなく十年くらい前の話だった 派遣として勤めていたときに部屋の外にコートをかける物干しがあったがみんな自前のハンガーを用意していると勘違いして私も自分の家から持ってきたら違った そのことを当時の先輩に話したら「聞かなかったことにする」と言うから聞いてくれよと思った

毛布みたいな猫

帰り道に猫が死んでいると思ったら毛布だった そういう柄の猫がいそうな柄の毛布であった 煮物のような毛布である それが中央分離帯のそばで丸まっていて追い越し車線を走っていた私はおどろいた たくさんの車が走行車線から私を抜いた 私の車がのろいというかのろい車の後ろを走っていた 私は考え事をしていたから自分が遅いのは気にならなかった 考え事をしながら運転するのはよくないと思いそんなときは音楽を聞いた シンバルの真ん中の盛り上がったぶぶんをカップというがそこを叩くと甲高い音がする 私はその音が品がなくて好きでなかったが今日は小気味良く聞こえた 私は橋を走っていた 煮物のような猫を見たのは橋を渡り終えてからだった そういえば最近動物の死骸を見ていない気がする 通勤路の一部が通行止めになってからだ ひどいときは鳥の死骸もよく見たのに

二通り

エヴァンゲリオンについてアスカが二通りあるのは何故かと訊ねたらそもそも違う世界の話なんですよと教えられた 江が違うらひい お返しにというわけではないが私は昨年三国志を読んだから劉備が村人を訪ねたらその村人は何ももてなす品がないからの自分の妻を殺して鍋にして出して劉備が感動するエピソードと曹操が手違いでかくまってくれた人の家族を殺してしまった後たまたま曹操をもてなす酒を買いに行って難を逃れた主人に逃げる曹操が会って一度は見逃すもののやはり殺された家族と対面するのは気の毒だと殺すエピソードを披露したら「それは演義ですね」と突っ込まれた 三国志には正史というのがあって私からするとエヴァンゲリオンのアスカが違うくらいの認識だが正史は事実で演義はエンターテイメントという芥川賞直木賞くらいの違いの認識なのかもしれない 直木賞だっていいじゃない

パパ

ホームセンターに行ったらそこかしこで「パパ、パパ」と呼ぶ幼児の声が聞こえ世の中はパパであふれているんだなと思った かつては私もその中のひとりでもちろん今でも子供は健在で私を呼ぶことがあるがホームセンターの「パパ」で私が呼ばれたような気はしない ウォーキングマシンの見本の上で男児が「なぜ動かないんだ」と泣き声をあげている 簡易な柵が置かれそこには「お子様のご利用はやめてください」と書いてある もちろん大人もダメだが大人は周りの目を気にするから乗らないだろうという店側の読みなのである 男児の泣き声は妙に私の感情を逆なでしそんなに動かしたいなら私がどうにかスイッチを見つけ出しすってんころりんさせてやろうかと思った 想像力とは時に緩衝材の役を果たすのである 私は角材のエリアでじっとしていることができた やがて男児のもとに母親がやってきて「今日はそれはお休みなんだよ」と諭していた 私もよくそんなことを言った 私の子供は小賢しいのでそうすると「じゃあいつならやってるの?」と訊くから「知らん」とぶっきらぼうに答えた たぶんそういうことのすべてを忘れて子供は春になって学年があがる