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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

朝晩が寒くて夏というかんじがしない

あるところに風邪をひいた男性がいました。それは私でした。私の配偶者は、またふたりいる子供はみんな暑がりなので、夜私が窓を閉めて寝てしまっても、そのあと誰かが窓を開けてしまい、私の二の腕は朝方にはすっかり冷え切ってしまうのであった。子供はふたりいると書いたが上の子供はもう高校生で自分の部屋で寝起きしているので、暑がりかどうかは私には関係なかった。彼女は夜中じゅうエアコンをかけっぱなしにして毛布を頭までかぶって寝ていたが、そういう人は男女問わず多いのだろうか。かつて一緒に住んでいた私の義妹もそうやって寝ていた。部屋自体は二階だがエアコンの室外機は一階に置かれているので、エアコンが動いているのかは誰でもすぐにわかった。義父が苦い顔をしながら室外機を見やり、それから吸っていたタバコを鉄パイプの中に押し込んだ。彼の家は狭かったがかろうじて庭と呼べるようなスペースが玄関の前にあり、その真ん中に鉄パイプが刺さっていてパイプの中は彼の吸い殻で詰まっていた。また彼の娘、私からしたら義理の妹も喫煙者で吸い殻は窓から投げ捨てていたので植物の根本に吸い殻が転がっていた。今は嫁ぎ二人目を妊娠し、もといた部屋は私の娘が使うようになった。そこで彼女が喫煙しているかは知らないが私は父親からもし自分の子供が煙草を隠れて吸っていても、無理に暴かないように、もしそうするとあわててクッションなどで隠したときにそれが燃え移り家ごと燃えてしまうこともあるから、とアドバイスを受けていたから、もし吸っていてもまずはじっくり見守ろうと決心していた。しかし私の妻などはそういうことのできる女ではなかった。エアコンを夜じゅうつけっぱなしにする娘に対し彼女はエアコンのリモコンを没収するという暴挙に出た。私としては納得しかねる対応だったが、妻はすぐに論点をすり替える女だから私は自分の考えを披露する気になかなかなれない。案の定リモコンを没収された娘は今度は夜じゅう扇風機をつけるようになり、扇風機には室外機などないからもう誰も彼女を注意しなかったが、真下のリビングにいると低いモーター音が聞こえ、私はその音が大の苦手だった。とにかくこの家はいたる部屋に扇風機があって、脱衣場にもある。脱衣場の上が私の寝室で横になると脱衣場の壁につけられた扇風機がうおんうおん言いながら、首を左右に振る音がいつまでも続く。ああ嫌だと思う。そう思いながら寝につくと窓を開けられる。熱帯夜が待ち遠しい。

「意味を喪う」を更新しました

意味を喪う(5) - 意味を喪う

ピカソは過去を重ねる。それはそうとして暑い日でした。冷房の効いた部屋で仕事をしていたら
「神様のようだ」
と言われた。
「ボルトが一本余った」
と困っている様子なので作業を手伝ったら、その間にパソコンを取られた。今時信じられないが、社員ひとりにパソコンがなく、共用なのである。否、自分の席にはあるのだ。私のが共用なだけで、私は手持ち無沙汰なので、倉庫を掃いたりした。

結局殴る

私の記事はタイトルと内容が合っていないことがたびたびあるが、それはタイトルを書いてから内容に移るからである。もちろんタイトルを決め、それについて書くよう努力すればタイトルにそぐった内容を書けるのかもしれないが、タイトルを書き終わり、本文に移ろうとするとするときになにかノイズのようなものが混じってしまい、タイトルを書くときの思考にどうしてもなれない。例えば鳥というタイトルで、実際に鳥について書こうとすると、どこか嘘をついているような、後ろめたい気持ちになってしまう。私は思うに、私の場合タイトルはタイトルで完結しているためではないか。つまり、タイトルで書いた文字以上のものはない、という仮説である。たとえば文学というものがあるが、かなり短い文字数でも場合によっては文学と認められるパターンもあるようだから、タイトルの文字数で完結するというのは異様なかんじがするが、異様にかんじる私が異様なだけかもしれない。

 

とにかく私は私が思っているよりもずっと複雑な手順を踏んでから日々書くことに向かっているようだ。ところで、私がタイトルと本文について前段落では書きましたが、そうしたらなぜか頭の中に石原慎太郎が思い浮かんで、

「そんな馬鹿な話があるか。それは君、一種の気取りだ、こけおどしだ。私はこうして君の頭の中に登場するが、君の書いた物なんてとても読む気にならない」

と、散々怒られてしまい困った。今が都知事選の時期だからかしら? とにかく石原慎太郎にかぎらず、およそ小説家と呼ばれる人たちはとにかく他人の書いたものに厳しくて困る。その様子から察するに、自分の書いた物に対しては相当やりこんでいるはずで、そうまでして書くのは大変そうだ。柳美里という作家は作家以外ではおそらく生きていくことすら難しい人物だ、というのを過去にどこかで読んだが、それはとても不幸だ。それなのに、私たちはその不幸を羨ましがる傾向にある。

 

話は変わるが、よく「その身になってみて初めてわかった」とか、「当事者になって初めてわかった」という旨の告白を目にするが、それはひっくり返せば「当事者にならなければわからない」と宣言していることだから、とても悲しいと思った。それらの人たちの願いとはおそらく、当事者じゃない人にもその不幸であるとか不便さを理解してほしいことにあると察するが、最初から「無理だ」と言い切っているから伝わらない。かなりの困難をともなうが、どうにか疑似当事者になってほしいというのが狙いなのだが、かなりの困難を伴って書いているように見えない。テクニックの話だったらごめんなさい。しかし、上辺の言葉だけでわかってもらおうとするのは虫が良すぎないか。だったら、不用意に「当事者にならなければ」なんて使わずに、もっと言葉の精度に気をつけよう。私が思うに、人は自分の知っていることは人に知られたくないという本能(あるいは洗脳)があって、それが軽い言葉を選ばせてしまい、書き手を現状にとどまらせようとするのではないか。

 

※この記事の冒頭に書かれたことはウソで、筆者はタイトルはいちばん最後に内容と照らし合わせながら考えています。

自分は何歳か

たまに「自分の中では○歳で止まっている」みたいなことをいう人がいて、飲み会とかだと「俺も俺も」みたいになってそういうのは論外だ。私の唯一尊敬する私がドラムのレッスンを受けていたときの先生は、

「28で止まっている」

と言っていた。私が最後にレッスンを受けたのも28くらいのときだ。それから辞めて、仕事も転々として、あまり年齢のことを考える余裕はなかった。しかし30になるときや31になるときはそれなりに思うこともあったのか。思って思うのは常に過去に向けてなのだから、そのとき思ってもあまり意味はない。30になったとき、あるいは40になったときにショックを受ける人もいるようだ。私ももうすぐ40だから、そのときは何かしらを思うのかもしれない。通り過ぎるだけかもしれない。私はあまり自分の年齢を意識することはなく、自分の中ではまだ20代みたいな感覚はない。それを自分なりに分析すると子供がいるからではないか。子供は変化するから、時間の流れをとらえやすいのである。あと大抵の子供は自分より物を知らないから、子供というのは自分とはなかなか対等になれないから、同い年と考えるのは難しい。そのうちに感性をてこにして、見栄えの良い知識量や経験でこちらを上回るようになるのだが、そうなるころには今度はこちらがもうろくして、傾ける耳がない。「老いては子に従え」と、あるとき私の父母は言ったが、どこまで本気なのかあやしい。私の親は私なんかより余程金を稼ぐのがうまい。やりがいと金儲けをうまくドッキングさせることに成功したようだ。祖母はもっとうまい。役人だった祖父が出世に興味がなかったから家は貧しく、祖母は家の一部を下宿にしたりして、金銭を得ていた。私はどちらかと言えば、祖父に近い気がする。

腰の調子が良い

1ヶ月半くらい前にサッカーを見に行ったら、駅からスタジアムまですごく離れているので長く歩いたらそれ以来腰の具合が悪くなった。半月ほどして、子供の授業参観の時に、もう立っているのがつらくなって教室を抜け出し、しかし学校という場所は教室以外極端に椅子のないところであり、しばらくうろうろしてから渡り廊下の読売新聞の写真版の掲示板の前でしゃがんで痛みがおさまるのを待った。立っているときは痺れをともなった痛みがあるが、座ったり寝ころんだりすれば短い時間で痛みはリセットされた。だから私はしゃがんだ。しかしただしゃがむのでは通りかかった人に不審に思われたり、もっと厄介な場合だと心配されて声をかけられたりするから、あくまで私は“読売新聞が読みたいものの、目が悪いからやむを得ずしゃがんでいる“風を装った。読むといってもそれは子供が容易に食いつくような写真ばかりの記事だから、写真の中に知っている顔を見つけたという風を装おうか。とにかく私は常に何かを装っていないと、周りの目が気になって気になって、何もできなくなってしまうのである。読売新聞写真版は、私が小学のときもあった。掲示板の脇には姿見があって、平成○年卒業生寄贈、と書かれていてそれは私が卒業した年だが、それは卒業してから設置されるので、私には馴染みがなかった。私はそこの卒業生であった。もうそれから20年以上が経つ。だからこの学校の生徒はもちろん、若い先生が生まれる前からその姿見はあったのだ。私に置き換えると、昭和50年とか、47年、と書かれた椅子や机を眺める感じか。椅子にはサビが浮き、机は穴ぼこだらけだった。机の引き出しの下側と、フレームをつなぐ横棒の間の隙間に雑巾をはさみましょう、と先生は言ったが、他の子はきれいに物干しに干したようになるのに、私のは隙間がせまくて雑巾を広げられず、仕方がないから隅っこに突き刺すように干した。一年生はまだまだ握力が弱く、雑巾掛けなんてしたことのない子たちばかりだから、掃除が終わって机の下に雑巾を干すと、五時間目が終わる頃には床に水たまりができた。私が小学校の頃は、寂しかったり憂鬱だったりそういうことがたくさんあったが、一度大人になってしまうと、全部の子供が図々しくて馬鹿者で、悩みなんて皆無という風に見えてしまうから困る。

授業参観のあと、妻と一緒に病院に行きレントゲンを撮ってもらったら、手術するほどでもないが、良くなるとも悪くなるとも言えない、と言われた。妻によるといつもの先生ではなく、いつもの先生は学会があって代打の先生が来ているとのことだった。おかげでいつもより空いてると妻は言うが、私には空いているように見えなかった。妻は元から肩と首が悪くてそこにかかっていた。私たちは最初別々に保険証を出した。妻の後ろに私が並んだ。帰りは私のほうが早く終わり、そうしたら妻のぶんまで会計を払わされた。

もう会えない人

私は子供時代は病弱なほうで、就学前はよく入院をした。病院は熊谷にあって、駐車場は砂利だった。とても大きな病院というイメージがあったが、それは子供だから感じたのかもしれない。そのときは今ほど大きくなるとは思っていなかった。大木のように感じた受付のところの柱も、今となっては●●くらいの太さ(私は太さを表す語彙を持っていないことに、書きながら気づいた)になっているかもしれない。私が子供のころ、カルテとはまだ紙のカルテのことであり、たくさん病院にかかった人のはどんどん分厚くなる。私のはそこらの人がかなわないくらい分厚かった。そして古かった。オマケに表紙のところには大きなインクの染みがついていて、それが血みたいで私は不吉な感じがして嫌だった。母にそれとなく不吉アピールしても、全く意に返さない様子だった。母は極めて即物的な女だった。しかし母も母なりに気を遣うぶぶんもあったかもしれない。私も子供がもし病弱だったら、カルテの染みが血に見えても、
「どこが血だよ? あんだけ黒けりゃ地底人になっちまう」
と言うかもしれない。
「どうして地底人の血は黒いの?」
「地底には日が届かないからだよ」
「じゃあ逆じゃない? 日に当たった皮膚は黒くなるもの」
「確かに。でも天使は色白だ。血液もさらさらだ」
「そういえばこの前の学校で川の流れを表す言葉、というのを私は習った。そこで「さらさら」という擬態語が出てきたけど、どうして流れがさらさらなの?」
「笹の葉、さらさら、だからじゃない?」
「どぼどぼ、とかじゃーじゃー、とかのほうがしっくりこない?」
「擬態語と擬音語がごっちゃになっているね、一年生からやり直したまえ」
「そういえばお父さんは以前、私に自分が二年生になれなそうな話をしていましたね。あのときお父さんのクラスの担任の先生が若い女の教師でとても厳しい人だと言った。だから私が一年生のとき、担任が若い女の先生だったことに心配していましたね」
「そうだ。私が一年の時は三組まであって、私以外のクラスの担任はおばあちゃんみたいなしわくちゃで、だから最初ラッキーだと思った。しかし現実は逆だった。私や他の出来の悪い子は椅子をしょっちゅう没収されたし、もっと悪い子は引き出し丸ごと取られた人もいた。椅子のない子は膝をついて授業を受けなければならなかった。それが情けなくて恥ずかしくて、でも自分以外にも同じ人がいるのがせめての救いだった。今思えば、先生はそういうことをよくわかっていた」
「私のときと逆ですね。私の先生は、生徒が怖くなって授業中にずっと毛布を被っていました。私たちが半袖の日でも、頭からかぶるので私たちは変だと思いました。誰かがどうして毛布をかぶるのか訊ねると
「寒がりだから」
と答えました。寒がりだから、と答えるとき、先生はほっとしているように見えました。先生は私たちが二年になるときに、どこかへ行ってしまった」
「ストレスが、人間の生理機能をおかしくしちゃうパターンだね。そういえば自分も前の仕事をやめるとき、最後のほうは寒くて仕方がなかった。それは単に冷房が効き過ぎていただけだけどね。自分の席が送風口の真下で、おかげでずっとパーカーを羽織っていた。それでも指先は冷えて仕方がなかった。あるときそれを見た年下の先輩が、
「僕も寒いから上着ようっと」
と言って、社長に怒られていた。そこが風当たりのいちばん少ない席だからだった。しかしそんなことは他愛のないことだった」
「お父さんは今でも寒がりですものね。この夏はさぞかししんどいのでしょう」

ここ十年でいちばん寒い

短歌

※「十年」は「五十歩百歩」的なのととらえてくれれば(国木田独歩

短歌でした!

明け方にどうしても寒いのでタンスから長袖を引っ張り出して今も着ている。タンスは上から三段目だ。三段と四段が私のエリアである。長袖は中学時代に池袋のジーンズメイトで購入したもので、ジーンズメイトは半分地下のような場所にあった。私は当時赤が好きだったから、赤いトレーナーを選んだ。それを15年以上着ている。ジーンズメイトの服はとても頑強なのであるかは知らないが、そういえばもう一着同じ頃に母がどこからか買ってきた紺と紫の合いの子みたいな色のトレーナーがあり、だから、その頃の私の服の扱いが頑強なのであった。母のほうは首もとに胸まで開くチャックがついていて、それは最初金属でくすんだシルバーだったが、変色して橙色っぽくなっている。妻は捨てろという。妻は嫉妬深い女であり。自分より長い付き合いの長い物が許せないのである。

一方赤いほうは全体が赤というわけではなく胸のあたりは群青で、真ん中に大きく「G」と書かれている。何のGだかはわからない。あるとき友達がそれを見て
「ゴッドの紋章だ」
と言った。当時連載していた「ロトの紋章」という漫画と掛けたのである。確かにGの周りには紋章っぽいのが書かれていたので、妥当な名付けであった。

とにかく寒いので、軽く喉が痛くなった。風邪ジャブと名付けよう。昨日も涼しかったので草むしりがはかどった。会社の草むしりである。家に帰って話したら、子供に笑われた。子供からしたら私がさぼっているとか、あるいは仕事の戦力外になったと思い滑稽に感じたのかもしれない。私はこういう無邪気さが好きである。私も中学くらいのとき、いつも帰りの遅い父が昼過ぎに帰ってきたから何か気の効いたことを言ってやろうと思い、
「クビにでもなったのか」
と言ったら
「ちげーよ」
と返された。違くない家庭は当時でもたくさんあり、私もそれをニュース等で知っていたが、それが意味することが、即座に理解できない年頃だったのである。

草むしりは社内政治では割と重要な意味合いを持つ。