意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

会話のリアリティ

友達いなさすぎて文中で人の会話が書けない

会話とはだいたい意味不明なもので、一言で通じないのが普通である。自分の普段の会話に注意してみると、文法は即興で、とりこぼしたところを後から補足していることがすごく多いことに気づく。相手が補足してくれる場合もあり、そこから「会話」が生まれることが多い。


リアルな会話文とはそこを意識しなければいけないと思う。つまり意味不明に書くことである。私はそう思っていて、だから漫画やアニメなどの会話が説明的すぎてシラケルのである。日常でそんなに一気にしゃべったら呼吸困難になるのではないかと心配になる。喉も乾くだろう。


しかし段々とそれも仕方ないのかな、とも思うようになってきた。それでも映画などはまだ気を遣っている風にも見え、だから会話のやりとりを聞いてもストーリーが見えない、ということがよくある。映画というのはわからない美学みたいなのを感じる。私なんかは物語を深く読む(観る)ことなんて滅多にないからあの場面のあのやりとりにはこんな意味があった、と聞いても「へぇ」となるだけである。

眠い・頭痛

割と健康だ。幼い頃は小児喘息を患っていて、学校などしょっちゅう休んだ。月曜の支度をしたら月曜から休み続けてようやく復帰できるから翌日の用意をしなきゃとカバンを見たら翌日は月曜で儲けた気持ちになったのをおぼえている。しかし翌日の準備を真面目にしたのっていつまでだろう? 私の子供なんかは私よりも丁寧に生きていてその辺は抜かりがなさそうだ。


小児喘息は大人になるまでにいつのまにか治ってしまい、しかしそれでもまだまだ体は弱かった。新宿駅で倒れそうになったことがある。頭が割れるように痛くなったり。風邪で喉を痛めて声が出なくなったり。原因がはっきりしないものもあった。30くらいまでそういうのがあった。30代半ばから健康になってきた。季節の変わり目を気をつければ良かった。体調が悪いときはモンスターエナジーとかアリナミンVを飲んで早くに床についた。ライフガードを飲むと、よく学校を休んだときに母が買ってきてくれたのを思い出して嬉しい気持ちになった。ライフガードって今はとてもジャンクな飲み物のイメージしかないが、初めて見たときはサバイバルの御用達的な飲料かと思った。当時は1リットルの容器だった。


コロナが流行して熱心に消毒をするようになったら、いよいよ風邪も引かなくなった。たまに体調の悪い夢を見るくらいで、起きると普通だった。熱を計るといつも35度代だ。みんなかつてないほど清潔だ。


それがここ2日くらい頭が痛い。暖かくなったからだろうか。薬を飲んだら少し良くなった

おとうさん

妻とモツ煮込み屋へ昼をとりにいった。座敷のおくには親子がいて父親と息子という組み合わせだった。息子は高校生かそれ以上という感じで交わす言葉もなく、ただ飯を食いにきた、という雰囲気であった。息子はチェックのネルシャツにジャージのズボンという出で立ちでスマホをじっと見ている。父親はジーンズにしっかり上着をしまい、腕組みをしている。腹が出ている。ザ・お父さんという感じだなと私は思った。やがて食事が運ばれてきて、2人は黙々と食事を始める。


しかしやがて思ったが、現実のお父さんというのは、年代で言えば私くらいであり、私がザ・お父さんとイメージしたのはもっと上の年代の人である。目の前のモツをすする男は、ひょっとしたらおじいちゃんなのかもしれない。食事が終わって帰るところを見たら、思ったよりも息子は大人で、やっぱりこの二人は親子なんだろうと思った。


それからなんか色々あったが忘れてしまった。さっき大きな地震があった。

言い当てられて、景色が広がる

今日で上司が退職した。私が今のところに赴任してから何人目だろうか。何人目といっても2人目と4人目が同じだったりする。他にもいろいろ人が入れ替わり、誰かが「風向きが変わる」と言った。その上司と一緒に昼飯を食い、第一駐車場が一杯だったので第二駐車場に車を停めた。よく晴れていた。私の電話が鳴り、比較的良いニュースの電話だったので気分が良く「卒業式みたいだな」とふと思った。
「上が変わるとモチベーションも上がらんでしょう」
とその人が言った。お前が言うなよ、と思ったがそれを聞いて私は今、モチベーションが低いのか、と思った。私はここのところの停滞を、てっきり人生の苦難みたくとらえていたが、もっと単純な話だったようだ。感覚が一般化されると、少し気が軽くなった。

幸せは断片

ちょっと前の記事で同じタイトルを使ったが、そのときはそのことについて書けなかった。そのとき書きたかったのは、あるとき私は通勤していた。するとその途中の道の真ん中で父子が遊んでいて私は平日の朝に何をしてるんだろう? 父は失業中なのかな? と思った。やがて幼稚園のバスがやってきて、父子の子のほうは幼稚園児であり、そのバスに乗り込むものだということがわかった。父子はバスを待っていたのだった。私は自転車で通勤していて、父子が遊んでいたのはちょうど通り道だったが、父子に遠慮してその前の交差点を右に折れたのである。普段から通る道なのにどうしてその日に初めて遭遇したのか。


それよりもその光景はかつての私で、私もよく子供と一緒に幼稚園のバスを待っていた。バスに乗せてから私も車に乗って会社へ行くと、会社へは少し早めに到着した。子供が小学生になると私の会社への到着は始業のギリギリになった。やがて私の仕事量はどんどん増えて、子供が小さい頃に仕事が暇で良かったと心の底から思った。もうおぼえていることは少ないが、向かいの家の段差の継ぎ目に蟻が巣を作っていて、蟻が継ぎ目からいらない土塊を捨てていて私は感動した。その様子を子供に教えて子供がその家の人に教えたら、家の人は継ぎ目に薬をまいて蟻を殺してしまった。私はがっかりしたが、この人による価値観の差が愉快だった。その人はおじいさんで創価学会の人で、創価学会の人は蟻に厳しいのかもしれない。ものすごい長生きで今も生きているが、今は施設に入っている。私はお別れに立ち会えなかったが、今生の別れになるのは多分確実だった。家族は一度その創価学会のおじいさんと電話で話したが、まるで天国と電話がつながったみたいだと言った。嘘だ。それは今私が思いついたことだ。私は施設なんかに入りたくないと思うからできるだけ足腰を丈夫にして計算もできるようにしたいが、最近は運動もできないから自信がない。

カマボコ板

主体性のない毎日を送っている。誰かに言われたことのみをこなす毎日である。今よりずっと暇だった頃、何をしてたのか思い出そうとしてもうまくいかない。今が丑年だという事実がうまく飲み込めず、神社の壁面に描かれた牛の絵に奇妙を感じた。何年か前に行った神社である。行きたくはなかったが、家族が行きたいと言うから行った。山の上にあり、道の端に雪が残っていた。踏み固められた雪を靴底でけずりながら
「シャーベットお待ちのお客さま!」
とふざけたが誰も乗ってきてくれなかった。下の子もすでに中学生である。私だけが神社が何をするところなのかわかっていない。宗教施設だということしかわかっていない。鳥居の下の中央に木の柵があって、タックルして倒したら15点とか思ったが、さすがに私はそれが置かれている意味を知っていた。

あまり本も読まなくなった。根気がなくなってしまったのである。だから漫画とか推理小説を読んだが、途中で嫌になってしまった。漫画は過去のエピソードがワンパターンすぎていい加減うんざりするし、推理小説はハラハラしすぎてしまう。モンテクリスト伯はとてもおもしろかったのに、不思議である。仕方がないのでまた小島信夫を読んだり、保坂和志を読んだ。まったく面白くなかった。かつてはここから色んなことを思案して、それを文章にした。今は文字が私の表面を滑り落ちるだけである。私は自分が堅い板のようになったと思った。カマボコ板である。何も染み込まない。セロニアス・モンクを聞いてみたが、同じだった。オフィシャル髭男爵はあざとさばかり感じてしまう。キングヌーの方が器用だ。

世の中が様変わり・幸せは断片

書き続けていると書かなくするのが難しいのと同じように、いったん書くことをやめると書き出すのが難しい。私は仕事でたまに思い荷物を転がすが、いちばん最初がいちばん動かしづらく、上司に
「遊んでんじゃねぇ」
と怒られる。もちろん遊んでいるつもりはないし、上司も私が遊んでいるとは思っていないのである。ただでさえ下を向くことの多い職場だから、上司と私がじゃれ合うのを見せるのは、周囲に良い影響をもたらすのである。私はべつにそういうのを狙っているわけではないが、私もいつのまにか見られる側になってしまった。

電車に乗っていてとても寒かった。窓が同じくらいずつ開けられており、換気をしているのである。以前より電車に乗らなくなったから、電車で換気をしていることを知らないではないが、いちいち戸惑ってしまう。一年前は電車に乗って通勤していて、駅のホームで震えながら電車を待っていた。とても高い場所にあるホームで、私はその線路を万里の長城のように感じていた。階段もとても長い。