意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

叔母

叔母が先週死にこれから通夜へ行く電車の中で書いている。叔母はもう90歳を越えていて正確には大叔母だった。ちょうどプルースト「失われた時をもとめて」を読んでいて大叔父のことを叔父と呼んでいたから倣った。じっさい「おばさん」と呼んでいたが。


私は少年時代落とし穴を掘ることに執心していた時期があり庭の畑に穴を掘ったりして家族がそこへ落ちることを期待したが誰も落ちなかった。私はがっかりしてやがて飽きてしまいカモフラージュ地面をとっぱらって穴だけが残ったがある日その穴に叔母が落ち私は両親に怒られた。当時の叔母がそこまでもうろくしていたとは思えないが私が記憶する限り叔母はずっと白髪だった。姉である祖母は積極的に髪を金や紫に染めていたから対照的だった。むしろ白に染めているようなかんじがした。叔母は私によくお菓子を買ってくれた。その中に私のお気に入りのクッキーがあり私が気に入った旨を伝えると叔母は私が遊びに行く度にそれを用意するようになった。そのクッキーは最初都会にしか売ってなかったがやがて私の地元のスーパーなどでも売るようになりそのパッケージを見る度に叔母を思い出した。昨今色んな菓子類が販売をやめたり販域を縮小したりするがそのクッキーはまだ売っているので叔母のほうが先にいなくなってしまった。

カレー臭

蒸し暑い中ひたすら倉庫で作業をしていたら不意に自分の身体・または衣服からカブトムシの臭いがした。具体的に言うとカブトムシの足の付け根のような臭いだ。私はカブトムシにはあまり詳しくないが背中の固いぶぶんというのは素材的に無臭な気がし臭うのはやはり裏側の栗の渋皮のような細かい毛の生えたぶぶんだと思う。毛は腹や顔にも生えているが脚の付近のそれはは動きによってしょっちゅう寝たり起きたりするから様々な空気を取り込みそれがカブトムシの独特の臭いになると推測する。私は今宇宙の本を読んでいてそこにアインシュタイン夫婦がある物理学者のこもる山を訪れるエピソードが紹介されていて私はこの学者の名前をど忘れしたがこの人は宇宙が膨張してることを観測した超メジャーな望遠鏡の名前にもなっている人だ。とにかくその人は踊る大捜査線で例えると青島でアインシュタインは室井なのだが室井が現場で馬鹿でかい望遠鏡を見せてもらうと室井の妻のエルザが
「これもすごいけど宅の主人なんかは封筒の裏に式を書いてわかっちゃうんだから尚すごい」
みたいな自慢をして一同苦笑いをしたというエピソードがあった。とにかく私が言いたいのは私はどちらかといえばアインシュタインタイプでカブトムシの臭いについてあれやこれや考えるが実際にかいでみようなんて思わないのである。その臭いが私からした。私は暑いところにいたからちょっと気持ち悪くなったので涼しいところにも行った。


ひょっとしたら中年なので臭うのかもしれないと思った。それは加齢臭と呼ばれるがその言葉が出始めたころ私は「カレー臭」だと思っていていわゆるおじさんの臭いはカレーと似ているからそう呼ぶんだと勝手に解釈した。私の想像力は都合よくできていてそんな風に考えてもカレーを食べるときに中年男を連想しないのである。私は子供のころはカレーが好物で年頃の妹が
「カレーは太るから食べない」
と言ったのに憤慨したものだが今はもう並みでそういえばカレー好きを公言しながらココイチは一度か二度しか行ったことがないし好みのルーがあるわけでもない。私が小学校高学年くらいからオタクという言葉があるがある種の人たちのこだわりというか網羅する意気込みはすごい。子供のころにはビックリマンチョコがあって人によっては辞書みたいな厚さに輪ゴムをぐるぐる巻きにして色んなところに参上していたがそもそも私はシールをコレクションするという発想についていけなかった。シールは一刻も早く貼るものでありシールを手にして得る権利とは所有権ではなく貼る場所の裁量を手にすることだと思っていた。私はフィジーの原住民みたいだと自分で思う。だけどその一方で私はガンダムには目がなくてそういえばガチャポンだとかBB戦士は目の色を変えて買いまくった。しかしそれでもアニメのガンダムは見たことがなく総括すると私は二次元を嫌悪しているだけなのかもしれない。しかしカレーはカレーだ。カレー臭が実は加齢臭だと知ったときあの臭いに名前があるのかと感心した。私は知っていたのである。だけど具体的に誰のをどこで嗅いだのか全く思い出せない。父がああいう臭いをしたことがあったか。父はあまり家にいなかったからわからない。父は私が子供のころはまだ若かった。私が子供のころ父は今の私よりも若いから「若かった」なんて言えるのである。父は背が低いが髪はあった。二人の叔父はその逆で背は高いが頭はうすい。高いと言っても170くらいだ。父が153で小さすぎるのである。母より小さい。母は158で父よりひとつ上だから私は年齢と背丈は比例するのだと幼いころ思った。二人の叔父のうち父に近いほうはいつもジャージをはいていた。若いころは野球をしていた。

趣味読書でいいじゃないか

この前町田康の康が「こう」なのか「やすし」なのかわからなくて調べたという記事を書いたが調べたときに町田康の読書にまつわるインタビューの記事があって読んだら割と本をもりもり読んでいるようで仔細は忘れたが
「寝るまで読んで読み終わらなかったら起きてから読む」
みたいな答え方をされていて私もそれにならって寝ても覚めても読書みたいなことをしたくなった。今は宇宙の本を読んでいてそれを熱心に読んだらやがて読み終わったがそうしたら次は下巻をみたいなかんじだったので私はすっかり読み終えた気になっていたから仰天した。紙の本なら読んでいるとちゅうでも本を閉じれば表紙が目に入り自分が一冊物の本なのか続きがあるのか見当がつくが電子書籍ではそうはいかない。電子書籍には表紙というのは最初にしかない。当たり前のことをと思われるかもしれないがしかし紙の本のときは気分転換で表紙を眺めることもあった。表紙がなにかを暗示していることもあった。電子書籍というのは本当に文字しかないからそういう意味では味気ない。電子書籍は暗いところでも読めるから便利だが。


町田康はまた同じインタビューで小説を書くときにはめちゃくちゃな文章を読んで自分の文体を崩してから書き始めるということを言っていて私はそのめちゃくちゃな文章が読みたいと思った。文章というのは誰が書いてもそれなりになるというかむしろ下手くそに書くほうが才能がいるような競技であるが私はかなり上手になってしまったからそう思うだけで巷には文章力とかの本があふれているからみんなは自分が下手くそと思っているのかもしれない。私はやはり言葉は言葉の上にしか立脚できないと思うので下手くそな人はどこか写真でもとるような意識でやってしまっているのではないかと思う。

わり算ができなくなった

子供の算数を見ていたらわり算で「ある数をいくつで割ったら答えがいくつで余りがいくつになった。ある数とは?」みたいな問題があって子供ができないのでこの子は算数がな苦手なんだと思った。私は「最初に余りを引け。そしてかけろ。逆の符号が基本」と教えたあとに答えを見たら余りは足すものでしかも足すのは最後だった。私は子供のころは算数が得意だったから愕然としてしまった。ひょっとしたら私が子供のころ見た足利尊氏の絵が実はただの武士の絵だったみたいなノリで割り算の確かめ算も特定の状況下ではうまく導き出せないみたいな発見があって求め方が変わったのかもしれない。私は数学よりも算数のほうが得意で私の区別では算数と数学の違いは現実にそくすか否かで例えば私は対数とか複素数とかはお手上げだが「なんとかメートルの汽車がトンネルを抜けるのは何秒後か」みたいな問題は今でも普通に解ける。中学以降は方程式を立てる問題でも数字をこねくり回してそれっぽい答えを出す求め方のほうが得意である。


しかし算数の世界における現実もかなり特異であり子供の問題をそのあと見ていたら「何百羽の折り鶴を何人で折るにはひとり最低何羽折らなければならないか」という問題があってこれはいわゆるわり算の洗礼みたいな問題で計算に余りが出るのだが「5あまり4羽です」と答えたら論外だし「5羽です」もバツをくらう。ひとりが5羽ずつでは目的の数には達しないので6羽折らなければならない。しかし律儀に6羽ずつでは余るのだからこの場合はやはり得意な人だけ多めに折ればいいのではないか。


私の現役時代は「5人掛けの椅子は何脚必要か」みたいな問題があって2余るのだがその余った2人のためにもうひとつ5人掛けを用意せねばならずこれも釈然としない。痩せてる子で固めた臨時の6人掛けで乗り切れないのか。あるいは補助席というものはないのか。そういえば同じ子供がこの前バスで社会科見学に行ったら立って行ったと言い最近のバスは補助席がないのかしらと思った。私はやはり補助席があったほうが遠足というかんじがするか飾りでもいいから付けてほしい。

町田康

町田康という小説家を知っているがまともに小説は読んだことはない。図書館で「告白」をぱらぱらめくった程度だ。以前は町田町蔵と名乗っていたことも知っていてそれは吉本ばななの著書に出てきたから知った。保坂和志と一緒に文学賞の新人賞とかやっているから顔も知っている。すっかりお馴染みなのに著書は知らない。人さえ知れば何冊か読んだことと同じことと思っているのだ。たまたま職場で町田康の話になって同僚は「まちだやすし」と言いそういえば「やすし」なのか「こう」なのか知らないことに気づいた。私は普段の生活の中で小説家の名前を声に出したことがないから漢字が読めなくても不便はなかった。周りと小説の話をすることなど一年に一度くらいしかないから不便はなかった。たまに偶然そういう話になるときもあるが私は人と小説や小説家の話をするのがあまり好きではない。もっと言うと自分の話をするのが好きではない。そういう話をするのは気持ち良い・気持ち悪いで言ったら気持ち良いになるが気持ち良いことがすなわち好きとは限らない。それは他人の話す自身の話がたいていくだらなくてうんざりするからである。


ところが文字だとどうだ。私は毎日自分のことばかり書いている。好きな小説や昨日なんかは自分の職場の通勤路が何通りあるかまで書いている。とくにブログを始めたここ三年で私はずいぶん文字寄りの人間になって音声を用いた自己顕示を行わなくても平気なふうになってしまった。

早く着きたいのではなく止まらず着きたい

車通勤である。通勤路は大まかに3本くらいあって気分や用事によって使い分けているが期分のほうが多い。だいたいどれもかかる時間は同じである。途中に橋があり橋というのは渡らなければぜったいにその向こうへ行けることがないのでコースがかぎられてしまう。最初に大まかに3本と書いたが渡る橋は2本のどちらかだ。橋を渡る必要がなければもっとバリエーションを増やせるだろう。たまに違う道を通ると新鮮である。

今の仕事はもう7年勤めているのでそうするとだんだんマイナーな道を選ぶようになる。今日は妻に送ってもらったのだが
「どこを走っているのかわからない」
と言われた。私も若いころは似た感覚をおぼえた。若いころはよく人の運転する車に乗った。よくこんな道を知っているものだと感心することが多かった。私もそうだが私の両親もあまり出かけるのが好きなタイプではなかったから隣町の田んぼの中を走っているだけで火星に来たような気分になった。国道はやがて大きな交差点にぶつかり立体交差もしていてそこで信号待ちをしているときに世界の終わりにやってきたような気持ちになった。私が感心すると
「もっと車を運転して色んなところに行かないと」
と言われた。なんでも上からものを言わなければ済まない人はこの頃からいた。

ニュアンス

複数人で仕事をしているとニュアンスがまったく伝わらないということに気づいた。ことに私の職場はロボットのような人ばかりだから私が曖昧な指示をするとあり得ないような動きをする。コンピュータープログラムが人間とコミュニケーションをとっているようでその実こちらが文法を誤ると人間離れした動きを見せあ然とするのと同じである。むろんコンピューターではないから無限ループに陥ることはないがこっちが
「そういうことじゃなくて」
と注意すると
「こう言われたから」
と冷たく言われるのである。確かにそう言ったし私は言ったことをすぐ忘れるから言ったと言われればそれまでだから謝って違うことをしてもらう。そもそも私は曖昧な表現をすることが多いし気が多いので指示や説明をしながら「やっぱこっち」と道筋が変わってしまうことが多い。これは私の欠点なのかもしれないが私は常に最善を尽くしたいと思うからしゃべりながらでもなんでも思いついたら言わずには気が済まないのである。しゃべりながらもしゃべっている内容を精査する私のすごさというか。だから周りが合わせてくれないと困るのである。


およそ10年前のときは10年前の話を持ってくるということは10年間は仕事らしい仕事をしていなかったということだが私は下っ端でチームでもなんでもなかったから私さえ理解すればどこまでも高度なことができた。私が設計し私が運用するからである。同僚は私を含めて3人しかおらず今から考えると比較的頭の良い人たちだった。性格に難はあってもこちらのやり方はある程度理解してくれた。主任の人はちゃんと「自分はPCはできない」といえる人で私にはいつも「ボタンひとつでばーっとできるものを作れ」と言った。あときちんと感謝できる人だった。私もまだまだ若く邪気がなかったから言いやすかったのかもしれない。


あと出入りしている事務機屋がやたらと馴れ馴れしい人で私も主任もいつもその人にPCの技術をバカにされていて私は悔しいから色々覚えた。何から何までへんてこりんな職場だった。