意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ななみん愛してる

ななみんから「最近元気ない?」とメールがきてぎょっとした 現に私は今日は少し体調が悪い しかし私はななみんなど知らない でも知っているのかもしれない 届いたのは私がTwitterを熱心に使っていたころのアドレスでそこにダイレクトメールが届いたりそこでアドレスを交換して直でやりとりしたこともあった そういう人たちの名前をぜんぶおぼえているわけではないのでひょっとしたらその中にななみんもいたのかもしれない またTwitterという場所は及び知らぬところで人間同士のこじれがあって突然「アカ変わりました」と連絡があってその際名前も変わる だから尚更収集がつかなくてななみんの信憑性も高まってしまう


私の当時のアカウントはまだ残っているはずだがもう何年もツイートはしておらず特にやめたいと思ったことはないがブログをやるようになったら自然とやらなくなった Twitterは初めのころは楽しかったがだんだんと「リアルと変わらないじゃん」と思うようになった 気にくわないやつがいるから一緒に通報してくれと頼まれたりあと女性だと誰かにつきまとわれたりということが頻繁にあった 私自身が加害者のこともあった ブログは始めたころはコメントでやりとりしたときにTwitter時代を思い出したりしたが今はいいかんじに放置されるようになりたまにつくコメントには星だけつけていればいいから気楽だった


この前のボードゲーム大会で「身の回りのことを書いていて大丈夫か?」と心配されたが(つまり身バレということ)私はその辺割と無頓着だがこのブログ書いている人はTwitterのあの人ですとなると話が変わってきてバレたくないなあと思う

網戸が逆だった

かなり前から二階の自室の網戸の合わせが悪いと思っていた 室内から向かって左の網戸はよくローラーがレールから外れすべりが悪かったからどこか歪んでいるのだと思っていた 左右の網戸をぴったり合わせても上に向かってわずかな隙間が開いてしまい蚊程度なら通れないがそれよりも小さくてらせん状に飛ぶ羽虫などなら通り抜ける可能性もある というかここ数日その通称らせん虫がけっこういて鬱陶しい 寝室では虫除けをたいているし蚊のように刺したりするわけではないが特別かわいいとも思えない 洗濯物とかにくっついたらやだなーと思う


それでとにかく網戸が左右逆に取り付けられていたことに気付いた 朝「もしかして」と逆にしてみたらぴったりはまった そもそも出っ張りと引っ込みがあるから多少歪んでも重なることによって隙間を埋めるつくりだったのである  小さい子供がいる家ではとにかく網戸や障子はしょっちゅうぶち破られるからそのときに間違えて取り付けたのだろう 何年も気にくわない隙間としか思えなかったのに不意に訪れた「逆かもしれない」というインスピレーションはどこから来たのか

ハリケーン

仕事から帰るとちゅうの交差点でふと脇に目をやると家庭用の物置の上に子供用の自転車がおおいかぶさっていていっしゅんハリケーンでもきたのかと思った オズの魔法使いの世界である よく見ると物置の周りには重機だのが特に法則性もなく置かれていてそういう系の家なんだと納得した 自転車は置く場所がなくて物置の屋根の上に追いやられたのである おそらく子供は成長して子供用自転車は役割を終えたのである


なんと儚いことよ!


私も昔はギャバンだかシャリバンシャリバンと打とうとしたら舎利板とか出てきて仏様のようだ)の自転車を乗り回していた口だ ハンドルの先端にビニールの切れにくい紐が下がっていたと記憶する その頃私は小児喘息で入退院を繰り返しあるときの退院の際に家に戻ったら玄関にその自転車があったと記憶する 両親なりのサプライズなのであった 自転車にでも乗れば体も丈夫になると思ったのかもしれない その頃の医師に両親は「喘息には水泳が良い」と吹き込まれ私は地元のスイミングスクールに入れられたが私はこれが嫌で仕方がなかった 何が嫌だったのか今では覚えていないが多分知り合いがいなくて気まずいのが嫌だったのだろう 私は就学前から「憂鬱」という感情を持っていた クロールの息継ぎができなくて検定に落ちたところで母はようやくやめさせてくれた 母の性格からするになかなかやめてもいいと言わなかったのは医師の指示があったからだろう それから私は特に理由もなく喘息の発作も起こらなくなり子供ができて子供が習い事をするようになったが子供も一時期習い先に友達がいなくてつまらなそうだったが最近は仲の良い人もできたようだ そうすると迎えに行ったときにいつまでも友達とだべろうとして親としての私は別の親との距離が気まずくどうして習い事というのはいつまでも私を苦しめるのかと思う

殺虫剤が目に入る

ゴキブリが出た 最初壁面にいて義父がティッシュでつかまえようとしたがさささっと額縁の影に逃げ込んでしまった 額縁は三枚あり一枚は平成元年に撮られた住んでいる地域の航空写真でもう二枚が健康優良児だった妻を評する賞状でもうひとつは義父の技能賞だかの賞状だった ちなみに私の生家は賞状をかざる風習はなくもしかしたら賞状に縁がないのかもしれないだけかもしれないが昔そういうのはしないと聞いた記憶がある 額縁もそうだし家を塀で囲むのも嫌がっていた しかし近所は塀のある家ばかりで道が狭かったため通る車がしだいに我が家の土地にはみ出るようになった 業を煮やした父が鉄パイプで柵を建てて対抗したが免許取り立ての私がそこを派手に車でこすったのは良い記憶だ 


ゴキブリを取り逃がした義父は早々に諦めたが私は殺虫剤を吹きかければ出てくるだろうと思って上から殺虫剤を取ってきて吹きかけたら何がどうなっているのか三方向に噴射するのだった ノズルに穴が開いているようだ しばらく反応はなかったが辛抱強く待っているとやがてゴキブリが「ごほっごほっ」というかんじで出てきて今度は直接吹きかけた やはりあさっての方向にも噴射されその様子は昔のケンタッキーのCMで圧力鍋から湯気が左右に噴射される様子を想起させた


ぽとりとゴキブリが落ちフラフラになっているところにトドメを差しジ・エンドとなったが床を拭いたりしているときにうっかり目をかいてしまったようだ あさっての殺虫剤が指先にもついていて少ししたらヒリヒリしてきた これは仰天ニュースみたいな展開になるかと思った あと殺虫剤といえばtotoというバンドのジェフ・ポーカロというドラマーを思い出し彼は殺虫剤によるアレルギーで死んだ ジェフ・ポーカロはドラム界では神的位置づけだがそのことを知らない中学時代にtotoが好きだというクラスメートをさんざんバカにしたことはこのブログにも何度か書いた 屋代という男で彼は深夜ラジオが好きであり同じ班だった金澤さんも深夜ラジオが好きらしくよく屋代と盛り上がっていた ある日の理科の時間に2人はケンカしたので実験レポートの感想欄にそのことを書いたら教師に赤ペンで「実験に関係あることを書くように」と注意を受けた そんなことは全く記憶から消えあるとき掃除していたらそのプリントが出てきて私はくすっとなった

ナビ合戦

子供の運動会を見に高校へ行くことになったが一体何時に行くのか当日になっても教えてくれずじゃあもう行こうやと9時半過ぎに出たら出番は午後だと知った 洗濯物たたむ暇があったじゃんと私は抗議したが妻はへっちゃらであり「せっかく時間があるのだからららぽーとに行こう」
と提案してきて土曜にあんなところに行ったら絶対に間に合わないので却下した 追い越し車線がえげつない混み方をして日の位置が低い冬などは渋滞中に腕が日焼けするほどなのである 私は数あるショッピングモールの中でららぽーとはあまり好きではなくその理由のひとつは渋滞がひどいからである しかし渋滞はコストコでもするから本当はそういう理由でもないのかもしれない ららぽーとに行くとちゅうには壁面に「東京ドーナツ」と書かれた建物があって建物自体が古くて薄汚れているためそこで揚げられるドーナツも古い油でべしゃべしゃなんじゃないかと思ってしまう そもそも東京ドーナツはどこに売っているのか知らずに食べている代物なのかもわからない 小麦のドーナツではなく都市問題のほうかもしれない


ららぽーとは回避され代わりに何か食べようとなったが今度は昼食にはまだ早い時間であり高校は離れているから高校の近くで食べればいいねとなってやっぱり子供はマックが好きだからマックがいいねとなってしかし検索したらマックはない モスを検索しても近くにはなくでも時間はあるのだから遠回りしてもいいじゃないとなってモスまでの道を私の携帯でナビすることになった ちなみに車は妻が運転していて車のナビにはすでに高校までの道のりがセットされていたので私は
「そのナビが示してる交差点を逆に曲がって」
という独特の指示を出した ナビ合戦である あるいはナビ寄生虫というべきか 車のナビをハックして本来の目的地とは違うところに誘導するところはカタツムリに寄生してわざと鳥に食べられそうな目立つ場所に移動するのと似ている ナビが勝手に変なところに誘導する怪談もあった 怪談と言えば心霊映像番組がテレビでやっていてユーマとかユーフォーとか司会者や芸人が大真面目に「これはとんでもない!」とか言っていたが空しくないのかなと思った 女性が就寝中に布団をはがされるポルターガイスト映像があって「エッチな幽霊ですね」なんてコメントされていたがそれより寝室にカメラを設置されることのほうが余程不気味だと思った もちろんすでに現象があるから証拠を押さえたくてカメラを回した可能性もあるが


しかしムーの編集長が「この心霊映像は作り物の可能性もあるが作り物だったらもっと自然なかんじになるはずだ だから本物」と独特の論理展開をしていてそれをおもしろいと思ったがよく考えるとそれって創作のリアリティに通じるものがある

余韻

一昨日のボードゲーム大会に参加した後参加中の感覚をずいぶん久しいものと思ったがよく考えたら家族と会社以外と話すのが久しぶりと言うことに気づいた ずいぶん友達とも会っていない 一年以上ひらいた もしかしたら会ったかもしれないが忘れた 友達と遊ぶときの無責任さを一昨日は久しぶりに味わった 


私はだいたい馬鹿なことばかり言っていて今日も本社から偉い人が来て帰った後同僚に「俺イエスマンじゃなかったでしょ? ちゃんと言ってたでしょ?」みたいなことをアピールしたら「目を輝かせながら「さすが!」とか媚びてたじゃん」と返された 書いてみるとニュアンスもないからただの卑しいサラリーマンの会話になってしまうが私はふざけていたのである ここ数年は自分でもひどいと思うくらいふざけたことばかり言い真面目な話の途中でも隙あらばというかんじで冗談を言う 少しラリっているのかもしれぬ 会社でふざけるときはヨイショするかんじで言うと波風が立たなくて楽だ 「○○さんが優秀だから、こっちは大変なんですよ」と言うと同時に相手をディスれるから精神衛生てきにも良い


とはいうものの最後は真面目っぽいことを言わなければならないのが仕事のつらいところだ また家族の会話もどこかふざけきれないぶぶんがある その点友達というのは縁が切れたらそれまでだから存分にふざけきることができる

シンさんのボードゲーム大会に参加した

黒木シンさんというブロガーの方から「ボードゲームしませんか」と誘われたので参加した 以前にも誘われたことがあったがそのときは断ったのでもう誘われないだろうと思っていたら同じ調子で声をかけてくれた ある建物の前で待つように言われたので私は少し前に到着し行き交う車などを眺めた また、人も多かった そこは偶然にも私が以前勤めていた会社の道路の向かいという場所でもあった 以前勤めていた会社のとなりには交番があった 交番も目に入った 交番と会社の間に非常階段があってあるときそこにホームレスの人が居着いてしまったので鍵をかけることにしましたみたいなアナウンスがあった ちなみにそこは保坂和志の「未明の闘争」にも出てくる場所でもあった


私の次にシンさんがやってきて少ししてブロガーの紙さんが黒いブーツをはいてやってきて 最後にブロガーのあじさいさんが遅れてやってきた 息を切らせていたので「走ってきたんですか?」と訊ねると「走ってないよ」と答えた 名前の通りあじさいのような色のカバンを下げていた そんな色のあじさいがあるかは知らないが


私は「ボードゲームは子供のときくらいしかしなかったしテレビゲームも滅多にしない テレビもほとんどみません」と話し、またどのボードゲームの説明をされても「笑っていいともみたいですね」と表現したので周囲の人は呆れ気味だった それでもシンさんは丁寧にゲームのルールを説明しカードを配り紙さんはお菓子を配った お菓子の中に見慣れない袋があったので訊いたらウェットティッシュだった あじさいさんも何か持ってきたと言った 私は手ぶらだったので少し恥ずかしかった


ボードゲームは積極的に嘘を言ったり他人の足を引っ張ったりするのが楽しかった 私は駒の動かし方法や点数の付け方や複雑なルールはまず覚えれなかったが誰かしらがやってくれたので楽ちんであった それからお互いのブログの印象について言い合い結局がんばって続けていこうみたいな結論になった 私は自分のブログについてもいくつか聞かれたがあまり本当のことを言わなかった気がする 私が「今日の出来事は記事にしますか?」と皆さんに訊ねたら一様に「わからない」と返ってきたので私は内心で(やるなあ)と思った 私たちは出来事よりもそのときの気分を大事にする世代なのだ 世代というのは変な言い方だが紙さんも私に「同期なんですよ」と言った 帰り道は雨が降っていてふと紙さんが履いているのはブーツではなく長靴なのではないかと思った 狭い歩道にたくさんの傘が並んで私だけが集団から離れるとシンさんが心配そうに何度もこちらを振り向いた シンさんはとても背が高いので私にはそれがわかった 私のとなりで母子が手をつないで歩いていてカッパを着た子供の方が転倒し母親が「あらまあ」みたいな反応をした 手はつないだままだったので子供は泣かず母親もよくある暮らしのハプニング的な笑い方をしたが私は何故かそれを深刻に受け止め母親の反応に違和を覚えた


あじさいさんについてあまり書かなかったがあじさいさんは広島東洋カープが好きだそうです