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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

死刑制度について

ニュースを見ていたら、まんだらけという店の25万円相当の商品が盗まれて返さなければ顔写真を晒すという事件があり、それは法治国家なのだから私刑は認められないからダメだという人とそうでない人がいて、私は法治国家だから、と聞くと何か思考停止のような呪文に聞こえてしまう。

私はどちらかといえば顔写真は晒さない方の考えだが、それはもちろん人が人を裁いていいのか? という考えに基づくが、だけどそれはあくまで死刑に限って今まで考えてきたことだから、万引きなら多分誰も死なないので、べつにいいのかもしれない。私は思うのだけれど、この手のことは、「わからない」というのがいちばん正解に近いのかもしれない。「正解」という言葉をうっかり使ってしまったが、正解とか考えると真実から遠ざかるのかもしれない。「真実」なんて言葉を使うと、一気に幼稚なことに思えてきてしまうのだが。

つまり私が言いたいのはこのように重箱的にどんどん自分を追い込んで迷わせることが大事で、自分がそういうことにかかずらっているうちに、自分の意識の届かない空白地帯ができ、そこがいちばん調和の取れた世界と言えるのではないか?

ところで私が少し前から疑問に思っているのは、死刑反対派が犯人を殺したいと思ってはいけないのか? ということである。私はやっぱり今のところ死刑反対派であるが、自分の子供が無残に殺されたとして、そうしたらやはり犯人を同じ目にあわせて殺したいと、思うかもしれない。思わないかもしれない。それはなってみないとわからない。殺したいと思うに決まっている、と主張する人もいるが、私はそんなエネルギーを持てるかわからない。正直自分が死んだ方がずっと楽だとも思う。

死刑と書いて光市母子殺人事件のことを思い出したが、じゃあお前は子供を殺された親の前で死刑制度反対と言えるのか、と言う人もいるが、少なくとも私は、光市の人にだったら言える。私は光市の人については、犯人を死刑にすることが生きる希望となっていたのではないか、とテレビを見ながら思ったことがある。いや、今書きながら思ったのかもしれない。