意味をあたえる

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日航ジャンボの日

今日は日航ジャンボの日であり、私はそんなこと全然忘れていたが、上司が少し照れ臭そうに、
「今日誕生日なんだよね」
と言ったので、思い出した。つまり、以前にこの人は何歳だかの誕生日に墜落して、それを級友にからかわれた。その話をしていたのを、以前、私は聞き、覚えていたのだ。

私は日航ジャンボ機には縁もゆかりも無いが、上野村慰霊の園には2度ほど行ったことがある。坂道の上にあり、それは細い坂道であり、カーブもきつく、しかしそれは山道だからであって、地元の人からしたらなんでもない普通の道なのかもしれない。私たちは別のところへ行ったついでにそこへ寄ったので、すでに日が傾いていて、たぶん4時くらいだっただろうか、管理人と思われる腰の曲がった小さな老婆が、その辺をうろちょろしていた。

慰霊の園については実際の施設なので細かい描写をしてもどうせ間違ってしまうのでしないが、石碑の中に犠牲者の一覧があり、義母はその中で坂本九の名前を一生懸命探していた。もちろん坂本九とは芸名だから本名は違うので違う名前で名前は掘られているが、義母はそれはわかっていたのでやがて見つけた。見つけると私に教えてくれたが、私はすぐに忘れてしまった。

入り口の方に戻ると小さな建物があり、全国から贈られた千羽鶴だとか、御釈迦様の絵だとかたくさんあったが、一度目のときはネモちゃんがまだ小さいので、私はその辺のものをやぶいてしまうのではないか心配なので、私はネモちゃんの背中に目を光らせていた。義母も妻も資料に夢中で、ネモちゃんの面倒は私が見なければならなかった。だから私はもっと新聞のスクラップをじっくり読みたかったが、2回目もそうだったが、結局あまり読めずに帰った。

すごく小さな記事であるが、事故が起きて数日後の新聞に、日航の職員の女性が、あるいは男性だったかもしれないが、事故の対応に追われて過労死したという記事が出ていた。それは1度目に来たときに見つけた記事であったが、2度目も読みたいと思い、探してみたら見つからず、諦めかけていたらやがて見つかった。新聞のスクラップは記事がたくさんあるので何冊かに分かれていたが、色んな人が見るのでだいぶぼろぼろになっていた。