意味をあたえる

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「迷ったら両方」についての新たなひらめき

私は休みの日には本棚のホコリを払うと決めているが、今日はまだ行っていない。つまり今日は休みだ。しかし寒すぎて、私は寒がりだからずっと布団に潜りっぱなしで、これでは病人みたいで後ろめたいというか、もったいないというか、脳みそと鼻を直線で結んだ接点の部分ばかりが疲労してきてしまう。上顎の一枚めくった部分というか。なぜ書けば書くほど泥沼にはまるような描写にこだわるのか、私は。

とにかく布団でカバーできるのは布団が触れている箇所のみで、しかし布団があると本を読むのもスマホいじるのもやがて指先が冷えて、寒くて仕方なくなる。私は冷え性なのであった。

それで、本棚を眺めながらどこかへ出かけようかと思ったらひらめいて、それは私はこのブログで何度か「迷ったら両方」という主張をしていて、つまりディズニーランドか富山県に行きたくなったが決められない、という場面になったら両方へ行け、物理的に無理です、となったらミッキーのカチューシャつけて北陸新幹線に乗れ、という意味だ。

でもその論だと、「買うか買わないかで迷う」というパターンが解決できないのが悩みであったが、私がさっきひらめいたのは以下の部分で、迷ったらそれを買って、何か手持ちのものをひとつ処分すればいいのではないだろうか? 文字にしてみたらやはりそれほど大した閃きでもなかったので、一文で言い切ってしまって良かった。確かに古いものは要らなくなるから捨てる。けれど、例えば新しい靴を買ったときに、テレビを売り飛ばす、という具合に独立している行為を結びつけ、買うのと買わないのを同時にするんだと思い込めば、買うという行為のハードルは自然に下がるのではないか? 私も気が向いたら実践してみたいと思う。

ここまで書いて記事のボリュームとしてはどうだろうか? 私はただの閃きだったから2,3行で済むと思い、次の話を用意していたが、思ったよりも長く書いてしまった。次の話とは以前保坂和志の小説、世界が奏でる音楽を読むときに、やはり小説の自由を先に読み直すのか迷い、前者を図書館で借りながら後者を購入した。それで、図書館のほうはやがて期限が来たから返したから、今は一冊だ。それは一度読み終わっているか、今は適当に拾い読みしているのだが、また小島信夫が出てきて、昨日は私は声を出して笑ってしまった。布団の中で。昨日も休みだったのである。しかし昨日は妻も休みだったから、あまり本を読めなかった。ラーメンを食べに行き、最初はうどんのつもりだったが、やっぱりラーメンがいいよね、となった。妻は「はま寿司」のうどんでもいい、と言ったが寿司店は寒そうだから私は嫌だった。私たちは二人とも外食には慣れていないから、お昼時で店が混んでいて、座れなかったらどうしようとか、そんなことばかり気にしていた。

ラーメン屋は赤いテーブルで、初めて来るところだったから、しかしその店はチェーン店で、私は池袋のには行ったことがあったから自動ドアが開かなくても動じることなく、落ち着いてボタンを探すことができた。メニュー表の破れかかった感じも、私がやったぐらいの風を装うことができた。やがて私たちはラーメンを食べ終わり、妻は途中からすりおろしニンニクをスプーンで何杯も放り込み、スパゲッティみたいに割りばしとレンゲで麺に絡ませ、掃除機みたいに麺をがばばばと吸い込んだ。
「ニンニクって次の日も臭うよね?」
と質問され、私は
「ああ」
とか答えた。通りには雨がぱらついていた。