子が夏休み中で毎日昼まで寝るようになり私は夜になってから会う。休み以外は私が起こすのでわずかな時間だが朝顔を合わせる。他人を起こすのは難儀なので休みに入り私はほっとしていた。子供ばかりが休んで僻む大人もいるのかもしれないがそういう理由で私は子供も休んでくれたほうがありがたい。
それが不意に気まぐれで今朝子供のふくらはぎをつかんで揺すったら簡単に起きたので出かける旨を伝えた。私は今日死ぬかもしれないと思った。というよりもし私が死んだら子供はいつもは起こさず出て行く父親がなわざわざ起こして挨拶をしたからあれは別れの挨拶だったと思うと思った。他人が死ぬと人はよく故人と最後に会ったのはいつだったかトークを始める。通夜か葬式で「あの日の朝は特別だった」なんて言いかねない。
村上春樹「アンダーグラウンド」でサリンがまかれた電車に寝坊して乗り損ねた人のインタビューがあってその人は朝寝ていたら死んだおじいちゃんが出てきて部屋中をぴょんぴょん飛び跳ねながら「行くな・行くな」と言うから寝坊してしまったというのがあって当人はやはり特別なものをかんじたがインタビュアーの村上はとくに何も言わなかった。それを読んだ私は以来玄関の鍵がうまくかからなかったり複数の忘れ物をひとつずつ忘れたことに気づいて数メートル進んでは引き返すというのを繰り返したりすると
(これは行くなという合図かもしれない)
と思ったりしたが何も起きず昼過ぎには忘れた。真顔で今日は何か悪いことが起きそうだと周囲に話しても誰にも相手にされなかった。話したのは朝でまだまだ何かが起きる可能性はあった。
一方昔見た霊能番組で休みに家族で出かけようとしたら夫が布団にもぐったまま「行きたくない」と言うのを無理に連れ出したらそこは海で夫は最初朝のことを忘れて無邪気に遊んでいたがふと気づくと見あたらなくて探すと深みにはまって死んでいたという話があって妻は無理に連れ出したことを後悔していたら霊能者が故人を呼び出してくれそうしたら故人は「俺が死んだのは単なる偶然だから気にしなくていい」と妻を慰め霊となった夫が霊の存在を否定するような妙なかんじになったが妻は慰められた。