意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

私は小児喘息だったから、犬や猫の類を飼ったことがなく、そういえば今書き始めたこの瞬間に私は飼ったことがないのは当然私にとってはお馴染みのことであるが、私の両親はどうだったのだろう、と思った。私は私が飼ったことがないのだから、当然両親も飼ったことがないと思い込んでいたが、両親が飼ったことがないのは私が生まれて以降の話で、それ以前は飼っていても不自然ではない。あるいは、私が物心つく前に飼っていた、という可能性も無きにしもあらずだが、私の両親は私が生まれて数年は借家に住んでいたから飼ってはいないだろう。借家はペットOKなんだっけ? しかしその借家は高台にあって、車を降りてから階段を上がらなければならないから、犬猫からしたら、大変なのではないか? 私は物心がつき始めた頃、夜に家に到着したときに、この階段を上るのが億劫で、後部座席から起こされたわけだが、寝たふりをして無視を決め込んだら、やがて父が抱っこして運んでくれた。よく考えてみると、私が親に抱きかかえられた記憶は、これしかない。あるかもしれないが、思い出せない。あとは、私は小児喘息だったので医師に水泳を勧められ、勧められたのは正確には両親のほうで、私の喘息の原因のひとつが、両親ともヘビースモーカーだったこで、両親は「子供の前で煙草を吸うな」と叱られ、この医師には頭が上がらなかったので、私は水泳教室に入れられた。私は水泳なんかしたくはなかった。幼稚園に入る前後くらいから水泳は始められ、年長のときに、指導員にプールの中で抱きかかえられ、そのとき私はこの女性指導員を、
「俺、重いですよ」
と気遣った。指導員は、浮力を利用して抱きかかえているわけだから
「大丈夫だよ」
と答え、実際大丈夫だった。私は同年代でもって体格のいい方で、さらに長男だったから、もうこの先誰かに抱きかかえられるなんて、考えてもみなかったようだ。私はこのときの記憶がのこっているから、自分が子供だと自覚している子なんておらず、ほとんどの子は自分が大人だと思っている、と思っている。大人、というのはお父さんお母さんその他のことではなく、自分の中での最先端、というか周りが思う以上に成熟している、と思いこんでいる。実際の大人から、体格と知識を引けば、自分になると信じている。少し成長すると、そこに「経験」が付け加えられ、
「自分には経験が足りないだけ」
というようやことを言う人もいるが、それは先ほどの私の
「俺、重いですよ」
と言うのと同じくらい滑稽だから、やめたほうがいい。足りないものは常に見えない。見えてしまったら、ある程度は足りている、ということだ。

私がなんで犬の話を始めたのかと言えば、今セブンイレブンの駐車場でこれを書いていて、さっき店の方に行ったら、フェンスに犬がつながれていて、それはチワワ? のような犬種で、しかし毛が少ないと言うがじとっとして、地肌が露わになっていて、少し気の毒に見えた。しかし私は犬を飼ったことがないから、犬からしたらそっちのほうが涼しくてご機嫌なのかもしれない。フェンスの上の端には、おそらくシャベルとかウンチを入れるビニール袋が入っていると思われる布地の手さげ袋がかけられていて、私はそれを見て、
「まったく、これじゃ犬と袋、どっちがペットだか、わかったもんじゃないな」
と呆れてみたのである。犬はしつけがきちんとなされているのか、私が接近しても鳴き声ひとつあげない。袋は言わずもがなである。

それと高校時代には、「犬」と呼ばれる友達がいて、名付けたのは私なのだが、もちろん犬に似ていたからそう名付けたのである。共通の友人は
「いくら似てるからって「犬」はないよなあ」
と今でも言ってくる。犬自身には卒業以降会っていないが、結婚して子供もいるらしい。


※小説「余生」第19話を公開しました。
余生(19) - 余生