意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

水の中では髪の毛は濡れない

今日は考えていることがとっちらかっているので、箇条書きスタイルで書こうと思います。

  • さっきコンビニに行ったら、カロリーメイトの棚があり、そこに各味ごとに分かれているのだが棚は手前側に傾斜がつけられ、そのままでは落ちてしまうので、両サイドに透明なプラスチックの引っ掛けみたいなのがある。そのひっかっけが、頬がこけた人の顔の、まさにこけた部分に見え、次第に全体が顔に見えてきた。筆記体の「C」が目である。
  • ATMでお金をおろそうとしたら、2回とちった。1度目は金額の桁数を間違えて、2度目は暗証番号を間違えた。「そんなバカな」と思った。間違えるたびに、白紙の明細が出てきた。白紙といっても、枠の線などは印刷されている。3度目で、ようやくできた。「明細を印刷しますか?」と質問してきたので、「もう2枚あるからいらない」を選んだ。最後にお金が出るときに「ちゃちゃちゃちゃちゃーん♪」と音楽が流れ、思わず「お金様登場のテーマですね?」と笑ってしまった。
  • 外は雨が降っていて、自転車で傘を差した中年女が走っていて、中年女はトンネルに差し掛かると、律儀にも傘を頭上からずらした。しかし横を向いた傘のためにトンネルの幅が縮まって、私は追い抜くことに難儀した。時速2キロくらいで走り去らなければならなかった。「大人の早歩きで時速4キロ」というので、もはやそれは走っているとは言えなかった。昔教習所で縦列駐車の練習をしていたら、「弓岡! お前は今時速0キロで走ってるぞ!」と指摘されたことがある。それでもエンストしないのだから、私のドライビングテクニックは相当である。指摘した教官は元自衛官だったが、私と同じ中学出身だとわかると、とても親切にしてくれた。私はお礼代わりに校歌を3番まで歌うと、彼は涙を浮かべて喜んでくれた。「お前ならぜったい免許取れるよ」とアドバイスしてくれた。
  • 私は雨を見ながら、「濡れる」という感覚は陸上にしかないもので、水中にいるの例えば長い髪の毛はわっと広がり、それを見た魚などは「乾いているな」と思うのだろう。水中における「濡れる」とはどういう状態を指すのだろうか。
  • 私は昨日カフカの「変身」を買った。高橋源一郎の「一億三千万人のための小説教室」という本を読んでいたら引用がされていて、それは冒頭の部分で、虫になったザムザが、虫になった現実から逃れるために二度寝を試みるも、ザムザはいつも横向きに寝るのに虫になったために寝返りも打てずに断念するという部分に感動したためだ。私は「変身」も高橋源一郎も読むのは初めてではなかったが、そういうふうに感じるのは初めてだったので、できるだけ早めに買うのが良いと思い、会社の帰りに急いで本屋に寄った。そうしたら駐車場が全然空いてなくて、しかたなく裏のほうの店員か物好きしか停めないような場所に停めた。裏は竹藪である。私の前を黄色い左ハンドルの車が走っていて、それはエンジン音がうるさいタイプで、中から出てきたのは、とび職のズボンを履いた私よりも年下の男であった。私はもう若くはなかった。彼は借りていたDVDを返しに来ていたので、すぐに帰った。その間車のエンジンはかけっぱなしだった。私がやってきたのはレンタルビデオ屋だった。そこに本屋もくっついていたのである。
  • そういうば奇しくも又吉直樹さんが芥川賞を受賞していて、私が又吉さんに影響されてカフカなんて読み出したと、店員に思われたらやだなーと思った。又吉といえば太宰では? と思うかもしれないが、朝のEテレの「0655」という番組で又吉の唄があるのだが、それは朝の目覚から始まるのだが、出かけるときに又吉は太宰を持っていくかカフカを持って行くか悩むのである。だから、カフカも同じくらいの位置なのではないか。結局どっちを持って行くかといえば、「どっちも」で、その歌の趣旨が、「人生は選択の連続で、選択によってその後の運命が変わる」というもので、太宰バージョン、カフカバージョンで、それぞれ水をかけられたり女に声をかけられたりするのである。歌は同じでも、映像が何パターンも用意されているのである。