意味をあたえる

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軽井沢

朝から家族と軽井沢に出かけていて、今は草津にいる。朝から私の運転だったので、軽井沢から草津へ行く道のりは、妻に運転を任せた。私は車の冷房にすっかりやられていて、頭が痛くなった。後ろの座席へ行けば風にもあまりあたらずに済むだろうと思ったが、そんなことはなかった。私は少し眠りたかったが、眠くないので、目だけつぶっていた。あとチップスターを食べた。

最初にめがね橋という場所へ行き、そこは確かに眺めるのに楽しい風景立ったが、そこまで行くのに峠道を走らなければならず、私はすっかりイヤになってしまった。私は乗り物酔いがしやすく、これは話すと必ず驚かれるのだが、自分の運転でも山道などを走れば酔う。乗り物酔いをしやすい人が、自分の運転では酔わないメカニズムは私にも理解はできたが、だから、やはり私自身の運転なら酔いにくい場面が多数だから私は出かけるときはいつでも自分が運転手を買ってでる。しかし山道はダメだ。なにか、乗り物が揺れること以外の理由があるのかもしれない。細くてカーブばかりの道を、前は自転車、後ろはバイクが走り、気を抜く暇がなかった。あとバスも遅くて腹が立った。バスはカーブの手前で突然ハザードランプを灯し、そうなると私は追い抜かなければならないので憂鬱になった。カーブの手前ではその先が見通せないから、対向車の有無に今まで以上に注意せねばならない。どうしてそんな危険なことをするのか理解できなかったが、私が前を伺っていると、男がひとり降りてきて、小走りで道を横切った。立ちションかな、と思った。野グソかもしれない。しかし、道の反対側の路肩にはシルバーの、セダンが停まっていて、彼はその助手席に乗り込んだ。セダンはすぐに走り去った。私も大急ぎでバスを追い抜いた。私はとにかく気分が悪く、エアコンの風も不快で仕方がなかったので、この旅自体が台無しになればいいとすら思った。

軽井沢は、天皇陛下の避暑地ということを聞いたことがあるので、私たちが通りから一本入った道を歩くと植物の向こうにはテニスコートがあり、そこかしこから天皇が飛び出してくるようなふんいきがあった。テニスコートは、時には砂利の駐車場であることもあった。駐車場のへこんだぶぶんには、昨夜の雨がまだ残っている。しかし暑い日だったので、雨はほどなく蒸発したが、夕方再び雨が降った。

「ここでこんな暑いんじゃ、埼玉なんか地獄ですよ」
私は馴染みの店主に、そんな軽口をきいた。彼は男だが髪が長く、後ろでひとつにまとめている。メガネをかけている。
「私なんか、埼玉に住むのは無理だ。新幹線に乗らなければ、近づくこともできない」
彼はパジャマのような、だらっとした衣服を身にまとっている。「無理だ」と素直に認めてくれ、私は満足した。彼は客商売だから、そういうのを心得ている。
ところが、
「学校は? クーラーとか、ないの?」
とナミミやシキミに尋ね、二人がもごもごしているうちに妻が、
「ありますよ」
と答えたので、私は一気に機嫌が悪くなった。よせばいいのに、
「でも、体育館なんか、地獄ですよ。体育館にクーラーはつけられませんから」
と減らず口をたたいた。彼は、「ああそう」とだけ答えた。彼にも娘がいたはずだが、私はもう何年も見ていない。

軽井沢には町全体にクーラーがないのかと思ったが、店によってはあった。しかし、入り口のドアは開けっ放しで、使い方を知らないように思える。朝晩は寒いから、本当は必要がないのだ。私はふと、中学のときに修学旅行で京都を訪れたら宿の夕食がすき焼きで、しかし従業員はあり得ないくらい大量の砂糖を鍋に入れ、とても食べられたものではなかった、というのを思い出した。馬鹿にされているんだ、と私たちはそのとき思った。私の妹や弟、それどころか娘のナミミが訪れたときも、同様のすき焼きが出されたと聞くので、京都の人は関東の学生になにか根深い恨みでも持っているのではないかと思う。

軽井沢のクーラーも、それと同じ類ではないか、とふと思った。


※小説「余生」第31話から35話をまとめました。
余生(31) - (35) - 意味を喪う