意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

字数

昨日他の人のブログを読んでいたら、
「今日は5000字書いた」
と妙に強調するのがあって、私はふと、それならば小島信夫「寓話」ならば、何字になのか気になって仕方なくなってしまい、最初インターネットが普及しているからそれで調べたら、さすがに字数までは出てこない。そういえば小説とか本で、ページ数というのはよく見かけるが、文字数というのはまず見ない。確かにページ数というのは本のボリュームをイメージするのには最適だが、一ページに一体何文字載せられているのかは本によってマチマチなので、ページ数は話自体の長さを測るのには向かない。だから、もっと文字数を全面に出してもいいと思う。

ところで、私は前日保坂和志が個人出版した版の「寓話」を持っていたので、実際に数えれば済む話であった。なので私は本棚からそれを取り出し、本棚は私は現在二個所有していて、一個は新しくて背も高いが、部屋の日当たりが良く、背表紙が結構焼けてしまうことに気づいた。いちばんよく焼けるのは河井出版社の文庫であった。青山七恵の「窓の灯」などは、黄色い部分がすっかり白っぽくなっている。だけれどこれは中古で購入したから、もとから白かったかもしれない。誤解されては困るが、私は河出出版社を責めたいわけではない。山崎ナオコーラ人のセックスを笑うな中上健次千年の愉楽」などはまだまだ元気です。私は本棚を置く場所を間違えたのである。

対してもうひとつの本棚は廊下の日当たりの悪い場所を、どうにか妻を説得して確保した。妻は、というか妻の親も妹も本なんてまず読まないので、そういう人は本をただの連続する紙の塊としか見ておらず、あと何年前か十何年前かに、本や雑誌を床のそこらじゅうに積み上げたアパートの一室の床が抜けるという事件があり、その事件は本読まない派の人からすると相当なインパクトだったらしく、要するにそれまで私たちは教師や偉そうな人に
「本を読みなさい、本は心を豊かにします」
などと言われそれがやがて読む・読まないに関わらずコンプレックスになるのだが、この「読み過ぎたために床が抜けた」という出来事は、その抑圧から解放される瞬間となり、本を読まないことを正当化する手段となったのである。だから私は
「そんなに本があると床が抜けるから、新しく購入したいのなら、古いのは処分してほしい。私のお父さんも本は読まないから、家も本の重さに耐えられないようにできてるから」
としょっちゅう言われる。なので、私は返す刀で
「そっちこそ、ラルクのCDやビデオがある。ビデオはもうデッキがないのだから持っていても意味はない。しかし、思い入れのあるものを手放すことができない心理は理解できる。つまり、そういうことである」
と言うのだが、そうすると
「またその話か」
と言われる。不毛なのである。

「寓話」は数えたらおよそ45万字あった。