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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

幸か不幸かを問われれば「どちらでもいい」

朝起きて幸不幸について書かれた記事を読んで、そのタイトルが疑問形だったので、別に私に投げられた問いではないのはわかっているが、つい
「どっちでもいいやー」
と、心の声で答えてしまった。本当は読んだ人全員に対する問いかけなのは間違いなさそうだが、私のような回答は想定外、想定外というと格好が良すぎるのでノー眼中といったところだろう。

村上春樹のエッセイでプロ野球のヒーローインタビューで
「今日の出来は何点?」と訊かれたヒーローが、
「うーん、80点!(わー(歓声))」
というのがよくあるが、基準的なものがあるわけでもないのに、点数だけ聞いてもナンセンスだ、という旨のことを書いていて、しかしその類の質問というのは実に多い。結果が円グラフとかに写し出され、
「YES 60%」
「NO 35%」
とか出てきて、あと、「その他 5%」というのがあり、自分は間違いなくその5%に入る人間だろう。この5%とはカレーライスでいうところの福神漬けと同じ割合であり、つまり自分は福神漬けのような人間である、と書いてあった。

そのエッセイが書かれたのはおそらく30年くらい前の話だから、それから30年経って同じようにヒーローインタビューで点数を訊かれることに対し、私は驚きを禁じ得ない。

それで全然関係ないことを書くが、小学校の時は班ごとに机をくっつけて食べるが、その当時私は結構トークが面白かったので、班の中でMCみたいな役割を担うことが多く、そこで例えば
「朝はパン派? ご飯派?」
という質問を繰り出し、そこに
「5枚切り? 食うね~」
とかコメントを挟んだりする。それで単純な質問を時計回りにしていくと、私たちは普段授業などでさんざん質問と答え、みたいなのを繰り返しているから、みんな実にテンポよく答えていき、リズムが生まれる。それを私は逆手にとって、リズムに乗った生徒たちはそれを守ろうとするから、こちらが質問しないうちに答えたりする。そこで、最後の女の子が答えたときに、
「まだ何もきいてない」
と突き放すと、そこで一笑いとれるのである。私はそういうテクニックをいくつか所持していて、それを順番こに繰り出していた。たまに教師に叱責されることもある。

しかし突き放された女の子がかわいそうではないか、という意見もありそうだが、その子は私のことを好いているらしい、という噂だったので、私は少しくらいぞんざいに扱っても大丈夫だろうと思った。

書いてみたら本当に関係なかった。最初のほうのことを書いていたときにふとこのこのを思い出したから、なにかがつながっていたはずなのだが、途中まで書いたらシキミが起きてきて、さらに昨日から甥っ子とその母親が泊まりに来ていて、甥っ子も起きて慌ただしくなった。甥は泣いてばかりで、まるで赤ん坊のようにめそめそしているが、実際に赤ん坊なので仕方がなかった。なんとかつかまり立ちができる状態で、歩くことはできない。ふくらはぎを掴んでみたらほとんど脂肪であった。

最初のブログで「子を失うことは不幸だ」ということが書かれていて、私は完全にそれに同意するが、しかし「不幸」という言葉でくくってしまうと、やはりどこかでその状況を見くびっているような気がし、もしも現実にそんな日がやってきたときに、
「あのとき俺は今この状況を「不幸」ととらえたが、そんな長閑な自分を絞め殺してやりたい」
とか思うのかもしれない。いや、もしかしたらそう思うことが、救いのひとつの糸口になるのかもしれないから、今を馬鹿丸出しで生きるのもいいかもしれない。だけれども、ここで私がいくら言葉をつらねても、結局は失われていない子供の現実の側にいるのだから、素朴だし長閑だし、ちゃんちゃらおかしい。

この記事のタイトルはなんだっけ? 


※読ませてもらった記事はこちらです。