意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

人生外

私がブログを書いているときというのはかなり集中していてイメージとしては、脳をコルクのように圧縮してぎゅうぎゅうの状態である。だから書き終わった後というのはヘトヘトの状態であるが、同時に清々しい状態でもある。気分転換、という言葉があるが私は実は気分転換がすごく苦手でたとえば煙草などを吸う人は一時間とか経過すると煙草に誘われるのか、そそそ、と部屋の外へ出て行く。吸わない私は
「サボってんな」
と思うのだが、気分転換にはなるようだ。しかし私はそういう人が
「忙しい、忙しい」
と言うのが理解できなくて、そんなに忙しいのなら煙草吸う時間を減らすとかすればいいじゃないですか、と思う。しかしそういう発想が私の気分転換下手の理由であり、私は確かに忙しくなると、ぎゅうぎゅう詰めにしてしまう癖が過去にはあって、苦しくなった。だから今では忙しかろうが暇だろうが、人のパフォーマンスには変わりはない、むしろ暇な方が良いパフォーマンスになる、という発想になって、忙しいときこそのんびりしようと心がけている。しかし周りからは、
「棚尾はのんびり屋だなあ」
とか言われる。仕事において「忙しい」というのは、周りとの摩擦を軽減するための演技なのである。だから私ももっと忙しそうにすればいいのかもしれない。

「忙しい」とは、よくよく分析して課題を洗い出してみると、単に「忙しがっている」だけだということがよくある。現実に手が間に合わない、という状態でなくても、たとえば
「明日、これこれこういうのが来て、それは新商品だから苦戦するかもしれない」
という未来の情報に対して気持ちの余裕がなくなって、その余裕のなさを「忙しい」と判断しているだけかもしれない。しかし「かもしれない」は未確定なわけだから、実際は苦戦しないかもしれない。物事を悪い方に考えるのは、いざという時には役に立つのかもしれないが、それが今の気持ちの余裕のなさ、そこからパフォーマンスの低下につながるのなら、本末転倒である。「いざという時」は実際にやってこない可能性もあるが、今という瞬間は100%やってきているので、優先するべきは今なのである。

また、気持ちに余裕のないときの発想はだいたいにおいて悪手である。私は今朝後輩に、
「こういう状態を招いた会社や上役が悪い」
ということを言われたが、私には今の状況が、そこまで悪いとは思っていなかった。悪いのは悪いが、それがイレギュラーなのか、それとも慢性的なのかはまだまだ判断できない時期だった。イレギュラーならば、会社を責めるのは少し可哀想だ。確かに会社というのは隙あらば搾取しようという装置なので、何をやっても悪い、と評価するのは自己防衛のためには良いのかもしれないが......。

結局私の評価としては、後輩は視野が狭くなっている、ということである。こういうときは思考に蓋をして、目の前の作業に没頭するのが良いが、彼はプライドが高いので、
「本当だね。この会社はクソだよ」
と話を合わせた。