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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

気が気じゃない

子供が耳の下にできものができたというので、もう死ぬんじゃないかと気が気じゃなかった。今も気じゃない。どうしてこんなことになったのか。私は自分の子供が死なないように、日頃子供の欠点についてよく考える。ちょうどこの前「ゴールデンカムイ」という漫画を読んでいて、そこにアイヌのひとが出ていてアイヌは子供にわざと「うんこ」みたいな汚い名前をつけて、死に気に入られないよう工夫するのである。気に入る、という表現ではなかったのかもしれないが、とにかくあまり良いものではないという風にアピールし、それと私の欠点探しは似たようなものだ。例えば私の子供は太めなので、運動全般が苦手であり、逆上がりもできず、たまには練習につき合うが、むしろこのままできずに育ってほしいとすら思うのである。

調べてみると耳の下のできものは痛みがなければ悪性ということは少ないと書いてあったが、私は少しは安心したが安心できない。それはあくまで確率の問題であって、絶対そうとは言い切れないから。寝る前に聞いたら「痛みはない」というが、「押すと痛い」というから、これは痛みがあるという判断になるかもしれない。しかし体のどこだって、ある程度の力で押せば痛いのだから、これはセーフかもしれない。しかし病院には行っておいた方が無難だろう。そう考えると「痛みがなければ」の痛みが何を指しているのか不明で結局なんの解決にもならず怒りがこみ上げてくる。しかしインターネットに頼り切るのはおろかだし、私が動揺しているところを見せてもアレなので目をつぶって寝た。子供は昼寝をしていて、その前は宿題でかなりヘビーなのをやっていたから疲れて寝たのだ。私からしてもかなりヘビーな宿題だった。絵も文もあるやつで、37歳の現在の私が課されても、かなり憂鬱になる宿題だ。しかし私の子供はずいぶんと頑張っていた。少し頑張りすぎではないか、と今となっては思う。「頑張り屋」というイメージを相手に持たれては、死んだ後になんと言われるか容易に想像できて、それこそ死に一歩近づいてしまう。「頭がいいぶん、少しズルいところがある」みたいな評価がよい。その点私の母はやはり私の元であるからよくわかっていて、以前私が自分の子供を母を喜ばせるためにこういうぶぶんが優れている的な話をしたら、それって普通じゃね? みたいな反応をして驚いた。一世代開くとここまでクールになれるのかと感心した。もともと私自身も親バカなところはなるべく排除して育児にあたっており、赤ちゃん言葉なんてとうぜん使わないし、例えば「ブラジルってどこ?」と訊かれれば「南半球」といった具合に子供用のローかライズした答えに置き換えるなんてことは、少なくとも自分からはしなかった。しかしそんな私ですら母のクールな反応に驚いた。母には本当に人間の心というものがないのかもしれない。私が小学生のときの授業参観で友達を連れて母に
「俺って橋の下から拾ってきた子供だろ?」
と訊いたら平然と「そうだよ」と答えて友達を大爆笑させたのである。私がその立場だとして、ちゃんと言えるだろうか。
「その橋の下には小川が流れていてホタルが飛んでいて、光に導かれて行ってみると乳児の君がいたんだよ」
と、無駄な装飾をつけてしまわないだろうか。そんなことを言ったら周りの子が羨ましがって、私の子の評価がますます上がってしまう。

朝になると少しの間はできもののことを忘れていて、外が雨降っているのかに気をとられた。日の出が遅くなり、外を走るトラックはライトをつけていて、ワイパーが動いているのか見えなかった。ワイパーがたくさん動けば雨が激しいという判断がついた。やがてできもののことを思い出し、私は石を丸飲みしたような気になった。あまりに心配で、ひょっとしたら私は自分の子供に死んでほしいと思っているんじゃないか、とすら思った。