意味をあたえる

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コロッケはご飯に合わない

ちまたでは様々なものがご飯に合わないと言われておりその根拠としては炭水化物に炭水化物をかけ合わせるのはいかがなものかというのがあるが結局それは好みの問題慣れの問題のような気がする。お好み焼きとご飯が×なのはわかるが餃子が×となるともうついて行けない。この前実家に行ったら20年ぶりくらいにお好み焼きを振る舞ってくれさんざんお好み焼きを食べた後に「締めは焼きそばね」となるのである。これはもう反射というかそうしないと気が済まないのである。ちなみに私は焼きそばを食べるときはご飯も食べたくなるのでそれを拡張すればお好み焼きとご飯を組み合わせたってなんら不自然ではない。要は味がある程度濃ければなんだってご飯には合うのであるというのが私のスタンスである。


私は自分のことをバカ舌だとか何を食べても美味しいと言うとか言っていてそれは声の大きい友達がしょっちゅう自分の美食ぶりをアピールするからでそれに張り合っても消耗するだけなのでそうアピールしているぶぶんもある。しかし本気でそう思っているぶぶんもあったが結婚したら妻にずいぶん味にうるさい男だと言われああそうなのかと思った。私は妻の献立についてちょっとどうかと思うぶぶんもあるがしかしそれは私の感覚の問題でここで例示して客観的な裏付けが得られたとしても結局空しいから具体的にはどうかは書かない。


話は変わるが私は自分は味音痴だが最近になってコロッケを食べるときにご飯がやけに鬱陶しくかんじることに気づいた。コロッケを食べるときはどういうわけかご飯が熱いことが多くなかなか量が減らないのである。それでも大して頓着しないで食べていたがようやくこれが「合わない」という感覚なんだと気づいた。おそらく米と芋の味が近いために食べながら飽きているのだ。さらにシチューもそれほど合っていないと思うようになった。しかしコロッケほどではない。私の生家ではシチューの日にはコロッケが組み合わされることが多くそのときの私は無意識下ではかなりテンションが下がっていたと思われる。しかしそれでも「シチューはシチュー・コロッケはコロッケ」という食べ方をすれば問題はなかった。例外として近所に安田スーパーというのがあってそこのコロッケは見るからに貧相な真ん中がくぼんで衣もしなっとしたやせっぽちコロッケでありこれはご飯の邪魔をしないのである。農家の食卓に似合うコロッケである。


あとおでんを食べるときはどういうわけかご飯がかためのことが多くしかし私はかためのご飯が好きだからおでんとご飯は一緒に食べる。